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2011年7月26日のブックマーク (5件)

  • 時事ドットコム:中華航空機事故「天の采配」?=石原自民幹事長が言及

    中華航空機事故「天の采配」?=石原自民幹事長が言及 中華航空機事故「天の采配」?=石原自民幹事長が言及 自民党の石原伸晃幹事長は25日夜、同党衆院議員のパーティーで、1994年4月に中華航空機が名古屋空港で着陸に失敗した事故に触れ、「細川政権から羽田政権に行くごたごたの時に飛行機が落ちた。飛行機が落ちるとは言わないが、(菅直人首相が)あまりおかしなことをやると天がまたいろいろな采配を振るう」と述べた。政権の危機管理能力に絡めて退陣時期を明確にしない首相をけん制した発言だが、「不適切」との批判も出そうだ。   石原氏は「8月31日に今国会が閉じて(民主党)代表選で新代表が決まっても、菅首相で次の臨時国会まで行くみたいな悪夢が起こるかもしれない」と指摘。中華航空機事故は細川内閣が総辞職した後の「職務執行内閣」期間中に起こったとして、速やかな首相退陣と新内閣発足を改めて求めた。(2011/07/

    type2mk22
    type2mk22 2011/07/26
    やだもうこの親子
  • 「雇用守り復興へ」願いこめ/宮城・「気仙沼お魚いちば」/被災店舗が新装オープン

    「港町気仙沼ににぎわいと憩いを戻そう」―。宮城県気仙沼市で24日、水産加工品販売とレストランを兼ねた「気仙沼お魚いちば」が、東日大震災で被災した店舗を新装オープンしました。マグロ解体即売会や氷点下ビールの販売、金魚すくいなどが行われ約200人が訪れました。 「お魚いちば」を経営する「阿部長商店」の阿部泰浩社長は、震災で工場が流されるなどの被害を受けましたが、「復興と雇用を守ることは一体」という信念のもと従業員を解雇せず再起を目指してきました。 新装オープンの式典で阿部社長は、「われわれが一日でも早く立ち上がることが地元水産加工会社の復活の兆しとなる。今後は観光の拠点としての役割を果たしていきたい」と述べました。 新装した店舗を訪れた男性(63)は「復興のきっかけになればうれしいね」とにっこり。東京から帰省した女性は、「少しでもお役に立ちたいと思い、買い物に来ました」と話しました。 「阿部

  • asahi.com(朝日新聞社):福井県の原発再稼働 経産省幹部、知事支援者に裏工作 - 政治

    印刷 関連トピックス原子力発電所  経済産業省の幹部が6月下旬、停止中の原発の再稼働に反対を続ける福井県の西川一誠知事を説得するよう、知事の有力支持者である川田達男・福井商工会議所会頭に協力を依頼していたことがわかった。再稼働に向けて海江田万里経済産業相が「安全宣言」をした直後のことで、幹部は「福井の経済界からの要望は、積極的に協力する」と持ちかけたという。  24日に福井市であった県北陸新幹線建設促進同盟会総会で川田氏が明かした。  川田氏によると、6月24日、経産省幹部から面会の依頼があり、同夜に福井市内で会談した。海江田経産相はこの6日前の同18日に「安全宣言」をしたが、福井県は同21日、原子力安全・保安院の再稼働要請を拒否。川田氏と経産省幹部の会談はその直後だった。 関連記事名義で1万株、800万円利益 強制捜査の経産省幹部(7/8)原発再稼働に同意せぬ考え 福井知事、経産相の要

  • 主張/熱中症緊迫/高齢者の被害拡大繰り返すな

    各地に大雨と一時的な涼しさをもたらした台風6号が東の海上に去り、今週から再びきびしい暑さが襲ってきます。いよいよ懸念されるのが熱中症の被害です。 6月下旬から太平洋岸を中心に始まった格的な暑さで、すでに各地で、救急車で病院に緊急搬送され、そのまま入院したり、ときには亡くなられたりする方が相次ぎました。高齢者を中心に多くの被害者を出した昨年のような事態を絶対に繰り返さないことが急務です。 死者の8割が65歳以上 熱中症のため救急車で運ばれた人の数は、6月中だけで昨年の3倍以上、7000人近くにのぼりました。うち51・1%が65歳以上の高齢者でした。救急車で運ばれる人の数は、7月になってからも増えています。 厚生労働省の調べによると、昨年1年間の熱中症によって亡くなられた人の数は1718人にのぼります。しかもその79・3%と、約8割が65歳以上の高齢者です。高齢者にとって、熱中症がもっとも怖

  • タモ神閣下の『ほんとうは強い日本』ほか - 虚構の皇国

    経済新聞: ・3面の半五段広告にタモ神閣下の『ほんとうは強い日』(PHP刊)の広告に爆笑。 私の知り合いで、来年定年を迎える東京電力の社員がいる。彼はかつて原発の現場で仕事をしていたが、今回の原発対応で再び原発の事故現場にとびこむことになった。多くの人が彼を止めた。もう十分東京電力で勤め上げ、すでに現場を離れているのだから、いまさら危険を冒して出かける必要はない、若い人たちに任せてはどうかということである。 しかし彼は次にようにいったという。 「私は東京電力の社員であったために、子ども二人を大学に入れてやることができた。自宅を構えることもできた。いま東京電力の命運がかかるこのときに、会社を見捨てて自分だけがいい思いをすることはできない」と。 彼は自ら志願して原発の現場へ入っていった。私はこれを聞いて涙がこぼれ落ちそうになってしまった。このような日人の職人気質が強い日をつくってきた