2014年1月8日のブックマーク (1件)

  • 皇国史観と孝明天皇 | ブログ運営のためのブログ運営

    孝明天皇は江戸幕府を支持していた。孝明天皇の妹である和宮は、第14代将軍・徳川家茂に嫁いでいるが、子宝に恵まれなかった。徳川家茂が(天皇の妹を嫁にしたのに子孫を残さず)1866年に20歳の若さで死んだことが明治維新の大きな原因である。家茂の死因は判然としないが、甘いものが大好きでかなり深刻な虫歯で健康を害しており、それが遠因とされている。内親王が武家へ降嫁したのは、日歴史の中で和宮だけであり、徳川家茂が早世していなければ、公武合体路線が続いたと思われる。家茂が死んでも、徳川慶喜は孝明天皇をコントロール出来ている状態だった。孝明天皇は強硬な攘夷論者だったので開国を拒んでいたが、「攘夷を貫いたら日が焦土になる」と徳川慶喜が説得し意向を変えさせたので、孝明天皇のままだと開国を拒み玉砕を選択したというのはない。徳川慶喜は孝明天皇から将軍宣下を受け、征夷大将軍になったが、その二十日後に孝明天皇

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    ukdata 2014/01/08