Leiermannさんの所のこの記事についたトラックバック(kusamisusaの日記さん・烏蛇ノートさん)で出てきた話題について思った事を幾つか。 「恋愛」がある一人(若しくは特定範囲)の人間を特別扱いする行為である以上、それが差別的側面を持つ事は否定できないでしょう。しかしヘテロセクシャルである男性が恋愛を否定するからと言って、それが即ちミソジニー(女性差別・女性蔑視)になると言うのは余りに短絡的ではないですかねぇ? ミソジニーは、女性の持つ個別的事象を捨象して女性というセックス全体を差別・蔑視するものですよねぇ。私は、Leiermannさんがこれまで記事の中で繰り返し否定してきたのは、セクシャリティにおける「男」や「女」に含まれる「ジェンダーに根差したモテ志向」であると受取ってます。彼の主張は、仮に彼がホモセクシャルだったとしても、セクシャリティに対する嗜好として特に破綻は無いですね