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ブックマーク / t-kei.hatenadiary.org (4)

  • 「まぜるな危険」について - 諸悪莫作

    光市事件―置き去りにされたもの - 諸悪莫作に寄せられた以下のブックマークコメントについて。予期していた批判内容ではあるけれど、今のうちに釘を刺しておきたい。 id:yuki-esupure それとこれとは別なのよ なんでもごっちゃにするなよ id:kisaragi18 生い立ちが悲惨でも罪を犯さず真面目に成長する人はたくさんいます id:hatuseno 被告の生い立ちの話は知っていたがそれは母子殺害とは関係ない。虐げられた子供時代を送った人でも立派に成長している人も居る。まぜるな危険 はてなブックマーク - 光市事件―置き去りにされたもの - 諸悪莫作 光市事件のマスコミ各社の報道に対して、BPOは、次のように指摘している。 犯罪を裁き、あるいは調査・取材しようとするとき、犯行に先立って、あるいは犯行のさなかに、その人間の内面で起きた意識的・無意識的な情動を探ることが欠かせない。殺人の

    「まぜるな危険」について - 諸悪莫作
    umeten
    umeten 2008/05/04
    >犯行の形態やそれへの量刑判断と、被告の生育過程は関係がないと強弁する。一方で「被害者遺族の感情」は「まぜるな危険」とは言わない。そのダブスタは、いったい何だと言うのか。
  • 光市事件―置き去りにされたもの - 諸悪莫作

    先の光市事件差し戻し審の判決は国民一般の感覚に沿うものであり、同時に被害者遺族の感情に寄り添うものであったと一般には言われている。実際、村氏は判決に対して「納得している」とも語っているし、また、主にテレビからなるマスコミ報道での取り扱いもネット上の多くの声も、この判決によって正義が実現された、被害者遺族の無念が晴らされた、としているものが多数を占めている。 しかし多くの人々がそのように溜飲を下げ、そしてこの事件を記憶の中から風化させていくのとは裏腹に、村氏の人生はこれからも続いていく。村氏にとって子が殺されたという事実は厳然として残り、そしてこれから僕たちがこの事件のことを忘れようとも、彼は、その事実を背負って生きていかなければならない。 今回の事件について「社会が被害者遺族という存在を発見する契機となった」と評する意見もある。確かにそうなのかもしれない。しかし、犯罪に巻き込まれて

    光市事件―置き去りにされたもの - 諸悪莫作
  • ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作

    教育法の改正について、様々な批判がなされている。それらの批判の多くは、やや乱暴に言ってしまえば、「愛国心や伝統といった恣意的な価値観を教育の主眼とすることは、民主制度の社会が多様な価値観によって担保されている事実から考えるならば、首肯することはできない」という、ごくごく当り前の前提に立っている。 ところで現在、成立が間近、もしくは今後審議入りする可能性があり、且つ、社会に対して重大な影響を与える可能性の高い法案は、教育法の改正だけにとどまらない。そして、それらの法案は、たとえば障害者自立支援法に代表されるように、それらを不正であると感じる人々が声の限りに抗議をおこなったとしても、そのような抗議は無いかのように(今国会では成立しなかったとしても、いずれは)成立する、現況はそのような流れにあると言ってもおそらく間違いではない*1。そしてそのような状況にある以上、なぜ、そういった抗議が(

    ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作
  • すっきりしない - 諸悪莫作

    以前、河合隼雄の発言を取り上げて、批判をおこなったことがあった。 河合隼雄の「靖国参拝」に関する発言について - 諸悪莫作 t-hirosakaさんへ - 諸悪莫作(コメント欄) 正直に話せば、あのエントリを書いた後、僕は自分の中になんだかもやもやと、すっきりしないものを感じていた。自分の捉え方には、なにかが欠落しているのではないか、何かを取りこぼしてしまっているのではないか、という思いが抜けなかったのだ。そんな中、今日、川瀬貴也さんの「すっきりしないこと」が大事: 川瀬のみやこ物語 episode2というエントリを読んで、僕はその「欠落しているもの」の正体が、おぼろげながらも見えてきた気がしたのだった。 川瀬さんのこのエントリを僕なりに簡単に要約してしまえば、「帰属処理」と「切断操作」に終止してしまっている人達に対して、その「すっきりしたい」という気持ちは、ただの自己正当化の欺瞞に過ぎな

    すっきりしない - 諸悪莫作
    umeten
    umeten 2005/12/28
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