2011年の原発事故によって「全町避難」を強いられてきた福島県双葉町で、 '22年8月30日、町の中心部の避難指示が解除された。町内に住めるようになるのは事故以来、はじめてだ。住民が戻ってくるタイミングに合わせて、この町に新しい看板をつくった人がいる。かつて町のシンボルだった原子力広報看板、〈原子力明るい未来のエネルギー〉の標語を考えた大沼勇治さん(46)だ。新しい看板に込めた思いを聞いた。 (大沼さんの活動、原発やふるさとへの思いを追った過去記事、第1弾:〈原子力明るい未来のエネルギー〉標語の考案者が語る「恥ずかしい記憶」の意味、第2弾:原発PR標語の考案者が「12年目のリスタート」、故郷・福島とウクライナにはせる“強い思い”) 原発を推進した町の歴史を忘れさせない 避難指示解除前日の8月29日、双葉町には青空が広がっていた。晩夏の日射しが新品の看板の上に照りつけている。 〈エクセレント
