タグ

慰安所に関するunyounyoのブックマーク (12)

  • 中国が記憶遺産の証拠として父撮影写真を無断申請、福岡の医師抗議 

    中国が昨年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録申請した慰安婦に関する資料をめぐり、父が撮影した写真が無断で証拠として申請されているとして、福岡市の産婦人科医、天児都(あまこ・くに)さん(80)が10日、東京都内で記者会見を開き、「私は許可していない。中国は日に『歴史に学べ』というが、歴史は事実に基づいてきちんと述べてほしい」と抗議した。 中国は、慰安婦の強制連行や性奴隷だったことの証拠として提出している申請書類は全てオリジナルと主張している。それが事実ではなく、著作権を侵害した不適切なものが含まれ、ユネスコの規約に反していることが明らかになった。 天児さんの父で産婦人科医だった麻生徹男さんは戦時中、陸軍軍医少尉として中国各地を転々とした。問題の写真は、写真撮影が趣味の麻生さんが上海で撮った慰安所の写真で、麻生さんのアルバムには「楊家宅慰安所」とあり、「1938年2月7日

    中国が記憶遺産の証拠として父撮影写真を無断申請、福岡の医師抗議 
  • 中国、南京の旧日本軍慰安所跡を保護文化財に指定

    中国・南京(Nanjing)にある保護文化財に指定された旧日軍慰安所跡(2014年6月18日撮影)。(c)AFP 【6月19日 AFP】中国は、南京(Nanjing)にある旧日軍慰安所跡を保護文化財に指定した。国営の新華社(Xinhua)通信が19日、伝えた。 新華社によると、南京東部にあるこの慰安所跡は7棟からなる複合施設で、第2次世界大戦(World War II)中にいわゆる「慰安婦」200人以上が収容され、旧日軍兵士に強制的に奉仕させられていたとされる。旧日軍の慰安所としてはアジアで最大規模だったという。 南京師範大学(Nanjing Normal University)の歴史学者、経盛鴻(Jing Shenghong)氏によれば、当時首都だった南京市内には、旧日軍が運用していた同様の施設が40か所あったという。(c)AFP

    中国、南京の旧日本軍慰安所跡を保護文化財に指定
  • 慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落- 毎日jp(毎日新聞)

  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その12 - Apeman’s diary

    吉見義明、「【資料紹介】第三五師団司令部「営外施設規定」」、『季刊 戦争責任研究』、第80号(2013年夏号)、pp.55-57 史料名でピンときた方もおられると思いますが、scopedog さんが発掘された史料が『季刊 戦争責任研究』の最新号に掲載されております。吉見先生による解説では、scopedog さんのダイアリのコメント欄での永井和先生のコメントにも言及あり。野戦酒保規程の改正によって抽象的に与えられた軍「慰安所」の設置根拠が現地軍レベルの実務においてどのような形で具体化されたか、を示す史料によって、「慰安所」制度研究に欠けていたピースの一つが埋まったと言えるのではないでしょうか。scopedog さんの地道な努力に敬意を表しつつ、ご紹介させていただきます。

    「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その12 - Apeman’s diary
  • 社会リポート/沖縄 旧日本軍司令部など地下壕跡/大量の避妊具出土/周辺に軍専用の「慰安所」

    県民の4分の1が犠牲になった沖縄戦(1945年3月20日から組織的戦闘が終結した6月23日)を主導した陸軍沖縄守備隊の32軍司令部地下壕(ごう)跡(南風原町=はえばるちょう=当時は村)などから、避妊具が大量に出土していることが紙の取材でわかりました。こうした例は全国的にも初めてです。司令部壕などの周辺には日軍専用の「慰安所」がありました。 南風原町が発掘 「うむ、これは」 2005年12月から09年5月にかけて行われた同町津嘉山地区に広がる32軍司令部地下壕など旧軍施設の発掘調査を担当した南風原文化センターの学芸員、上地克哉さんは土中から姿を現した遺物に思わずつぶやきました。「避妊具(コンドーム)だ」 泥にまみれ、戦時中の米軍の火炎放射攻撃で焼かれ、すすだらけになりながら、かろうじて原形をとどめていたのです。11の壕跡から127個が出土しました。 今年3月発行の『南風原町史9巻』は、

    社会リポート/沖縄 旧日本軍司令部など地下壕跡/大量の避妊具出土/周辺に軍専用の「慰安所」
  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる

    日の水木サン』より 「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。 (彼女がナニカを排泄する様子の描写)

  • 慰安婦問題とアジア女性基金/デジタル記念館

    慰安婦問題についての日政府とアジア女性基金の認識、被害者への謝罪と償いの事業の内容、関連資料をお見せするデジタル記念館です。

  • 日本軍「慰安所」の地図 - Transnational History

    Where "Comfort stations" Were 「慰安所」があった場所 『wam女たちの戦争と平和資料館:http://www.wam-peace.org/』2005年,作成資料 ◉:公文書によって確認された場所 ▲:元「慰安婦」の証言によって確認された場所 ■(二重四角←変換できない):日軍将兵の手記、証言や地元の目撃者証言によって確認された場所 (※地図上のマークの数=慰安所の正確な数ではありません。) 地図にマークが無い場所でも慰安所があったことが後に確認された地域があり、この慰安所マップも完全なものというわけではないが、この規模の大きさからいっても「従軍慰安婦制度は、20世紀における最大の人身売買のケースのひとつ(2007 米下院決議 H.R.121)」であることは明らかであろう。 なお、地図では沖縄(南西諸島)に数カ所のマークしかないが、実際には沖縄だけで*延べ約1

    日本軍「慰安所」の地図 - Transnational History
  • 日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History

    慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち 場所:中国、時期:1938年頃 出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日機関紙出版センター,1987年)新版:2005年 慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。 それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。 以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。 最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。

    日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History
  • 「慰安所」は強姦を防止した人道的な制度? - Transnational History

    あるブログで従軍慰安婦についてこんな主張がされていた。 慰安所を設置していたのは戦場で兵士が現地の女性を強姦することがないようにするためのいわば人道的な制度です。 (Blog「真実が知りたい、真実を知って欲しい」http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-63.html) ここまで歴史オンチで全肯定的ではないにしても、軍慰安所を強姦防止に役に立ったと「必要悪」として容認したり、正当化する言説はこれまで何度も見たことがあるので、こうした見方の誤りを批判しておきたい。 そもそもなぜ日軍「慰安所」は設置されたのか? 「慰安所」はなぜ設置されたのか。その目的の1つに強姦防止があげられてきたのは周知のことである。よく知られている北支那方面軍参謀長岡部直三郎の1938年6月27日「通牒」ほか、当時の軍関係資料にもそれは示されている。これら公表さ

    「慰安所」は強姦を防止した人道的な制度? - Transnational History
  • 日本軍の慰安所政策について

    2004年9月18日、ソウル大学校ジェンダー研究所と社会史研究会共催のセミナーでおこなった報告の原稿に、2005年6月12日に「追記」を付加した。2012年1月12日に補注1と注49への追記を加えた 日軍の慰安所政策について 永井 和 (京都大学文学研究科教授) この報告は、永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』創刊号、2000年をもとに、一部補足したものである。 はじめに 問題の所在 Ⅰ.警察資料について Ⅱ.陸軍慰安所の創設 Ⅲ.日国内における慰安婦募集活動 1.和歌山の誘拐容疑事件 2.北関東・南東北での募集活動 Ⅳ.地方警察の反応と内務省の対策 おわりに 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 追記(2005年6月12日記) 注 はじめに はじめまして、永井和と申します。日の京都大学で日現代史を教えております。しばらくの間、おつきあいをよろしくお願い

  • 日本軍の慰安所政策について

    2004年9月18日、ソウル大学校ジェンダー研究所と社会史研究会共催のセミナーでおこなった報告の原稿に、2005年6月12日に「追記」を付加した。 日軍の慰安所政策について 永井 和 (京都大学文学研究科教授) この報告は、永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』創刊号、2000年をもとに、一部補足したものである。 はじめに 問題の所在 Ⅰ.警察資料について Ⅱ.陸軍慰安所の創設 Ⅲ.日国内における慰安婦募集活動 1.和歌山の誘拐容疑事件 2.北関東・南東北での募集活動 Ⅳ.地方警察の反応と内務省の対策 おわりに 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 追記(2005年6月12日記) 注 はじめに はじめまして、永井和と申します。日の京都大学で日現代史を教えております。しばらくの間、おつきあいをよろしくお願いいたします。まず、この研究会にお招きいただき、報告す

  • 1