「指輪物語」で有名なトールキンが自分の作品に読者が「暗喩」を求めるのを否定した、の話を読んだことがある。 ファンタジーの世界とは個人が作りあげたものではない、の意識を持っていたんじゃないかとその時、思った。 ファンタジーとは、別世界からのメッセージが個人を通して伝えられるものだ、 個人の「表現力」という心象風景だけを取り上げて「分析」されるのは迷惑だ、もっとその美しい世界を自由に楽しめ、と トールキンは言いたかったんじゃないのか、宮崎作品へのネットでの激しいバッシングを読む度考える。 私も、つっこむためだけに見るような己の感性の貧しさを恥じよ、と先日読んだ日記の方に完全同意する。 昨日、「千と千尋の神隠し」を見直してみた。 この作品は町山さんが「少女売春の話だ!」などといつものように妄想電波炸裂なことを言ったので、以来、 その口まねさえすれば聡明に見えると信じている頭の悪い人間がその発想が