「〈企画〉 アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ」(京都大学新聞社) もとのアニメは見ていないが、強く触発された。 当事者性とは、伝わらないものを抱えること。 受け入れられたいという願望を満たすために自分で格闘しなければならない、そういう状況に追い込まれること。 そして、《責めあり》の存在であること*1。 たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる。 そもそも思考は、ある仕方で批判可能性を引き受けつつ、それとは別の階層の批判可能性を封じる*2。 お約束――≪この話をしているかぎり、論じ手は自分の関係性それ自体について当事者的自己解体を迫られることはない(分析それ自体のレベルで面白くないと責められることはあっても、思索事業の前提は批判されない)≫ 当事者とは、倫理性を帯びることなのに、 現状の当事者概念は*3、倫理性を免除する装置でしかない。 周囲は《