ブックマーク / www.10plus1.jp (7)

  • 市街化調整区域のBuildinghood

    村と東京 都市化を免れた日の農村地域に行くと、いたるところに良質な環境がある。それは人々のたゆまぬ環境工作と生活の蓄積を物語る。これらが日の国土を下支えしている。各場所に固有の問題があることを認めつつ、この風景が存在しているからこそ日ごろの都市生活が成り立つと思うぐらいである。村と都市とはお互いを対照している。 しかし東京に戻ると、すでに人がおちつくための居場所ではなくなった感じがする。私の住んでいる下町界隈は以前には経済活動も活発でその裏には低層の木造家屋が立ち並んで、人間が路上にあふれていた。いまは銀行も撤退したその商業地域は、大通り沿いに高層マンションが立ち並んでいる。古くから残る家屋の目線でその林立する様子を見ると、まるで自分が海底にいるような気持ちがする。人間生活の維持についてはもちろん考慮されているが限りなく仮設的だ。気づいてみればコミュニティの存在をしめすのは、たまに玄関

    市街化調整区域のBuildinghood
    ushi2
    ushi2 2017/11/13
    「市街化調整区域」論。
  • 「NIMBY」はどのように考察されるべきでしょうか?

    かつては、年配者が、若者の道徳的退廃を嘆く、というのが相場だった。しかし、いまや、逆である。少なくとも、年配の者が、若者をその道徳性に関して非難する資格を失いつつある。ここで念頭においているのは、NIMBY、近年の日における、軽すぎるNIMBYの頻発である。NIMBYは、"Not In My Back Yard"(うちの裏庭にはやめてくれ)の略語である。その意味するところは、ある施設に関して、一方では、その必要性は認めていながら、他方で、自分の近隣に建設・設置されるのは嫌だと主張する住民、または彼らの態度である。「死活的」とはとうてい言えない小さな問題しか引き起こさない施設に関して、このNIMBY的な態度をとる住民が増加していること、これが、近年の日の特徴ではないか。近年、各地でNIMBY的な拒否にあっている施設としては、例えば保育園や学校、あるいは公園、精神科の病院、墓地等を挙げるこ

    「NIMBY」はどのように考察されるべきでしょうか?
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    ushi2 2016/12/30
  • ポストメディア都市と情動資本主義の回路 ──YouTuber、「恋するフォーチュンクッキー」、Pokémon GO

    ポストメディア都市と情動資主義の回路 ──YouTuber、「恋するフォーチュンクッキー」、Pokémon GO 今年の初夏の頃、JR大阪駅付近の地下街でYouTubeが大規模な街頭広告キャンペーンを打っているのを見て、なにやらもやもやした複雑な気分になった。件の広告は、「好きなことで、生きていく」というキャッチフレーズでYouTubeが2014年から展開しているプロモーションの一環であり、いわゆるYouTuberが一組と二人取り上げられている。学ラン姿で歴史ネタのダンスを披露する男性二人組(エグスプロージョン)、自分の顔を実験台にしてメイクアップの技を披露する看護師の女性(関根りさ)、洋楽の日語カバー動画でブレイクしてメジャーデビューした女性歌手(MACO)。私はこの広告を目にするまで彼らのうちの誰も知らなかったが、それぞれ数十万規模のチャンネル登録者数を持つ人気YouTuberであ

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    ushi2 2016/09/06
    遊びを装った搾取。
  • 〈タクティカル・アーバニズム〉──XSからの戦術

    XSのアーバニズム Mike Lydon, Anthony Garcia Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change Island Press, 2015 タクティカル・アーバニズムとは世界的に広まりつつある、市民によるローコストで敏速な都市の改善方法である。一時的に公共空間でアクションを行ない、継続して都市の環境を変えていく手法をとる。2008年頃より欧米の都市関連サイトで散見するようになったワードだが、狭い意味でいえば、2015年に発刊されたマイク・ライドンとアンソニー・ガルシアによる書籍『Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change』が公式な出自と言える。フロリダとマンハッタンを拠点にアーバンデザインの会社を運営する二人は、2012年より世界中

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    ushi2 2016/05/09
    面白い都市改造
  • 独居と漂流──老人たちはどこに向かうのか

    Ⅰ 土に返る前に 「お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」。創世記第3章19節である。アダムは神の命令に背き、罪をなし、その罰として創造前の無に戻された。人間の(homo)人間らしい(humanus)ところは、無力(humilitas)であることも含めて大地(humus)と結びついてきた。大地から(humi)生み出され、土へと返る(humo)。 家族や友人に囲まれた豊かな老後、趣味旅行に費やされる余生、そうしたイメージが揺らぎ始めたのは、NHK『無縁社会〜"無縁死"〜3万2千人の衝撃』(2010年1月31日)がその嚆矢であったかもしれない。2013年からは毎年『老人漂流社会』の特集が放映されている。独居だけでなく、同居する「子供」は、蓄えが底をつき、住む場所を失う誘因とさえなる。 藤田孝典『下流老人── 一億総老後崩壊の

    独居と漂流──老人たちはどこに向かうのか
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    ushi2 2016/01/07
    '顔に汗して糧を得る機会も失われ、孤独のうちに亡くなることは如何なる罪なのか。罪あるゆえに罰として、ゴミ同然に箒で掃き清められるのか。'
  • 対談:郊外の歴史と未来像[1]郊外から建築を考える

    三浦展氏、藤村龍至氏 所沢「第四山の手」とセゾン文化 三浦展──ツイッターでのちょっとしたやりとりをつうじて、今回藤村さんと対談を行なうことになったわけですが、きょうは僕としては、藤村さんのパーソナル・ヒストリーをおうかがいすることで、「郊外世代」が何に根拠を求めてものをつくっているのかを探るきっかけにしたいと思っています。 さっそくですが、藤村さんは1976年生まれで、いわゆる郊外育ちなんですよね? 藤村龍至──はい。都内で生まれて、保谷市(現西東京市)でしばらく過ごしたのち、80年にトトロの森で知られる埼玉県所沢市の椿峰ニュータウンに引っ越してきて、そこで育ちました。高校生の頃は新所沢パルコまで自転車で行き、そこに自転車を止めて、西武新宿線に乗って川越まで通学していました。中学の頃から池袋に足を延ばして西武美術館で展覧会を見たりしていましたし、高校の時は所沢のことがわかると思って堤康次

    対談:郊外の歴史と未来像[1]郊外から建築を考える
  • アトラクションの郊外──ポストモダン都市、名古屋

    〈アトラクション〉の日常 『アトラクションの日常 ──踊る機械と身体』 今夏『アトラクションの日常──踊る機械と身体』(河出書房新社)と題する著書を上梓した。「奇書」「いろんな意味で見たことのない」など、誉められているのか呆れられているのかはわからないが、とにかくそんな評価を頂戴している。特定の領域や制度の内側に立てこもるガチガチの「研究」ではないし、数多く登場する映画や絵小説なども、分析の対象としてというより、分析の道具として用いている。折り目正しい人文学的な作法を尊重する向きからすれば、たしかに少々変態気味であるかもしれない。 たとえば目次。開けば「乗り込む」「セルフサービスする」「くりかえす」「同期する」「夢みる」などといった動詞が目に飛び込んでくる。それらひとつひとつが章タイトルだ。むろんそれなりの必然性がある。そこで捉えようとしているのは、日常生活のさまざまな場面において、

    アトラクションの郊外──ポストモダン都市、名古屋
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