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働くということと随筆に関するushiwatatのブックマーク (7)

  • 人生がずっと小学校のようであればなあと思う - β2

    毎日の時間割は組んであって、先生が怒ったり褒めたりしてきて、ぶつくさ言いながらも毎日通って、たまに楽しいこともある。たまにテストはあるけど順位を貼りだされたりすることもないし、その結果で生死が左右されるわけではない。生徒によりお金持ちや貧乏というのはあるけれども、学校の中にいる限りそれほど意識する必要もない。誰それは誰それが好きらしい、などという他愛もないうわさ話が流れてくる。そういうのが小学校的な世界。 優秀な個人が自分のスキルを生かして、最新のテクノロジーを使ってプロジェクトを立ち上げて、イノベーショナルなビジネスモデルを立ち上げて、人としても大きな成長をしてソーシャルグッド。理想や夢を持たないと生まれてきた意味なんてない…というのはちょっと汗臭くてご遠慮願いたい。とはいえ、こういう考え方も昔からあるわけではないから、何十年か経つと「あったね、そういうの」となっているのかもしれない。

    人生がずっと小学校のようであればなあと思う - β2
  • エリック・ホッファーについて (book review)

    ・働くことと暇な時間を過ごすこと。その関係についてずっと考え、何冊ものを読んでいて、エリック・ホッファーがたびたび登場することに気がついた。で、名前は知っていたけれど、今まで読んでなかったホッファーのを読むことにした。 ・エリック・ホッファーはまったく学校に行っていない。7歳で失明し、15歳で奇跡的に回復した。18歳の時に父親が他界した後、放浪と日雇いの仕事を続け、40歳を過ぎたころから65歳までサンフランシスコで沖仲仕の仕事をした。その間、暇な時間は読書と思索という暮らしをずっと続けた人である。 ・『波止場日記』は1958年6月から59年5月までの日記をまとめたものである。次々やってくる外国の船の荷揚げ作業のこと、一緒に仕事をしている仲間のこと、つきあっていて子どももいるが結婚しないリリーのこと、そして時事的な問題に対してや読んでいるについて、さらには考えていることと著作作業につい

  • Tomorrow will be a better day -- 未来志向のマネジメントのために | タイム・コンサルタントの日誌から

    居間に入ったらTVがついていた。新春の経済番組がちょうど終わるところだったらしい。アナウンサーがおごそかな声で、コメンテイター達を前に「今年は厳しい選択を迫られる年になるでしょう」と言ってしめくくった。いやはや。そんなこたあ、言われんでも知っているつもりだよ。でもTVスタジオから、上から目線で言われたくない。 世の中には、厳(おごそ)かなるメッセージを好む人たちが一定数いる。それはまあ趣味の問題だから、口ははさむまい。世の中にはライトなメッセージを好む軽薄な人たちも大勢いて、それぞれの世界を形作っている。重厚と軽薄と、別にどちらが上でどちらが下というものではない。両者がうまく感情のバランスをとってくれればいいのだが、水と油のようにお互い不干渉になっている。そして世の動きにつれて、それぞれ一喜一憂する。わたし達の時代には、共通の感情や言語が乏しいのだろう。 今の中高年はみんな忘れたふりをして

    Tomorrow will be a better day -- 未来志向のマネジメントのために | タイム・コンサルタントの日誌から
  • 長文日記

  • 価値を感じることができない - 傘をひらいて、空を

    そのとき私は十七歳で、スーパーマーケットのレジ打ちをしていた。その店には万引きを示す暗号があって、「まるいち」というのだった。それを伝言ゲーム式に伝えるのだ。私がアルバイトをしているあいだにその暗号を聞いたのは一度きりだった。私はなんだかどきどきしながら、それを同じレジにいた仲間に伝えた。 それから少し経って、控え室でポップを書いていると、帳簿をつけていた店長が、このあいだ万引きいたよね、と言った。いましたねと私はこたえた。店長は当時としても旧式の、大きなPCに向かったまま話した。 万引きの損害は痛いし、窃盗は犯罪だし、だから俺は腹を立てるわけだけどさ、子どもの、子どもっていうか高校生くらいまでの子の万引きって、気持ちの上で引きずることはないんだ。なんていうか、子どもの万引きは、商品が欲しくてやってるんじゃないのが大半で、ものがわかってなくってゲームっぽくやっちゃうとか、仲間がやれって言う

    価値を感じることができない - 傘をひらいて、空を
  • http://www.soubunshu.com/article/259391915.html

  • 弟の相談を笑っていたら死にやがったw

    2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。 先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。 父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。 アル中気味の父親は

    弟の相談を笑っていたら死にやがったw
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/08/02
    この生を生きること・働くこと。|僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。/でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった|
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