タグ

友情に関するushiwatatのブックマーク (24)

  • 友達と仲間 (book review)

  • 友人を愛せているということ - やしお

    5年前、10年前の自分と比べると、はるかに友人たちを愛せている。固執でも依存でもなく、ずっと自然に、より強固に相手を肯定できている。価値観や思考の違いを、10年前の自分であれば否定したり嫌悪したりして友人関係を解消していたかもしれない。5年前の自分なら、そうした差異に目をつぶることで耐えていたかもしれない。しかし今の自分は、それを面白いと感じて肯定できるようになってきている。これを、愛せている、と言っている。 15年前の自分は、友人なんてたくさんいらない。一人か二人、親友と呼べるような相手さえいればいいのだと思っていた。漫画などで、たくさん友人がいても浅い、当の友人がいない、などと批判的に描かれたりする。そうした紋切り型を曖昧に信じていた。今思えばまるで浅はかだった。 プライドが十分に強靭でないので、誰かに肯定してもらわなければ生きていけない。そうした肯定する役目を「親友」と呼んで他人に

    友人を愛せているということ - やしお
  • 「ドラゴンボールはフリーザ編で終わってたら名作だった」とかのたまう輩に鉄槌を下しブウ編がいかに最終章として素晴らしいかを力説するための覚え書き - 銀河孤児亭

    (コメ欄等の指摘で「アダルトチルドレン」という単語について完全な勘違いの元に盛大に誤用していたことを教えて頂いたので訂正しました) どうも。ブログでは久方ぶりのあでのいです。ドラゴンボールで何編が一番好きか聞かれたらノータイムでブウ編と即答するあでのいです。 そうブウ編なんですよ。最終章ですよ。ブウ編も好き、ではありません。ブウ編「が」一番好きです。 「○○編で終わってれば名作だった」と言われがちなジャンプ長期連載漫画で最終章を一番好きになってしまうとなかなか肩身が狭い思いをするものですが、ドラゴンボールなんてのはその最たる例の1つでしょう。 日々そんな肩身の狭い思いをしている私ですが、先日こんなニュース記事を見かけましてね。 ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」 何たることかと。怒髪天を衝くとはこのことかと。 件の番組そのものに関しては実際に見た

    「ドラゴンボールはフリーザ編で終わってたら名作だった」とかのたまう輩に鉄槌を下しブウ編がいかに最終章として素晴らしいかを力説するための覚え書き - 銀河孤児亭
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/06/09
    大人の論理と子どもの世界、というのは、どこか『紅の豚』のポルコとフェラーリンのような。なんだろう。
  • 小田嶋『友だちリクエストのなんとか』:恥ずかしいだけの本 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    友だちリクエストの返事が来ない午後 作者: 小田嶋隆出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2015/04/28メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (6件) を見る 小田嶋隆は、かつて別冊宝島なんかでもよく書いてたことからもわかる通り、ちょっとひねくれた偏狭な視点をもって極論の放言でウケを取りつつ、たまにそのひねた偏狭な視点が、世間的に声の大きい議論の歪みや盲点をうまく突くことがあるので重宝されていたライターではある。その点で、かれは内田樹と同じ種類の物書きだ。内田も、街場とかおじさんとか、来はあまりシャープな視点を持っていないと思われている立場が、逆説的に鋭いつっこみを入れられるというのを売りにして出てきた。 この手の物書きは、自分がひねた視点のマイナーな存在であり、基的には底の浅い放言をしているという立場をわきまえていればおもしろい。道化みたいなもんですな。でも、

    小田嶋『友だちリクエストのなんとか』:恥ずかしいだけの本 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • mixiのオワコン化はSNSの運命。戦略ミスとか関係ねぇ

    mixiがなんでダメになったかとか、衰退したかとか、そういう議論に終止符を打つ。 議論してるやつ、意味不明なこと主張してるやつら全員間違ってるから。質はそういうことじゃないのよ。 SNSの生命線、核は強みになる独自機能でもなければ、個別の機能でもないのよ。 SNSの生命線はソーシャルグラフ。つながり。これだけ。 日記がどうとか、つぶやきがどうとか、ぶっちゃけ二の次。 もちろん全体的なトレンドとして、よりライトで、よりリアルタイムなコミュニケーションがスマホによって促進されたのは事実。 けどやっぱりそれは二の次なのよ。 mixiがオワコン化したことは、日人である俺らにとっちゃむちゃくちゃ感慨深いし、センセーショナルな問題だけどさ SNS発祥のアメリカではもう何度も繰り返されてきたことなの。 原因はソーシャルグラフ、つながりが時代遅れになったから。これが全て。 アメリカでは概ねFriend

    mixiのオワコン化はSNSの運命。戦略ミスとか関係ねぇ
  • 信頼関係を築けるひとと築けないひと - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ぼくがどういうひとと付き合いたいか、付き合っているか、を考えてみた。 人間関係の基はお互いの信用にある。どこまで相手が自分を信用しているか、逆に自分が信用するかを値踏みすることになる。 これは意識的、無意識的を問わずにすべての人間がやっていることだ。 ぼくが仲がよくなるひとには、なぜか世間的には信用できないひとである、とか思われていることが多い。 そういう一般的に”難しい”ひとと付き合えるのはひとえにぼくの優れた人格の賜物であるとか以前は思ったりもしてたのだが、そういうわけでもないなといつの頃からか考えるようになった。 世間で油断ならないとか、自分のことしか考えないとかいって非難されるタイプの人には共通項がある。他人を信用しないということと、もうひとつそれを態度に出しているひとであるということだ。 他人を信用しないだけならともかくそれを態度にわざわざ出してしまうというのはどういうことか。

    信頼関係を築けるひとと築けないひと - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 私たちはすべての人と友達になれるのか

    ソーシャル。ソーシャル。ソーシャル。 今、この言葉を聞かない日がないくらい耳にしています。そして、様々な言葉がソーシャルと組み合わせて使われることがあります。ソーシャルリーディング、ソーシャルラーニング、ソーシャルファンディング、ソーシャル医療・・・。おそらく私たちの行うすべての行動はソーシャル化され、ソーシャルという言葉を使う必要がなくなる日が来るのかもしれません。 ソーシャル化される・・・これは、私たちの情報が公の場にさらされ、すべての人が何かしらの形で繋がっているネットワーク化された状態です。人との繋がりや影響力がネットワーク化された社会では重要と考えられているからこそ、評価経済や評判経済という言葉が生まれてきたのでしょう。 人と人とが繋がり合い、新たな可能性を生み出すソーシャルな世界。常にネットワークにいるからこそ、心を支え合うこともできるかもしれない。Sean Parker 氏が

    私たちはすべての人と友達になれるのか
  • サヨナナ: 「ネットひきこもり」になってしまった

    8年使っていたVAIOが壊れたりしたのもあって、自宅でのインターネット利用が極端に減ってしまいました。職場で、そして通勤時間中の携帯電話でネット閲覧はできるものの、自分にとってのインターネットライフはやっぱり自宅PCによるもの。複数のブラウザ、複数のタブを開いて、何かをダウンロードしながら、音楽を聴きながら、思いつくままにネット空間をさまよう……的な時間のすごし方はやっぱり自宅PCじゃなきゃできない。携帯電話からのネット利用が、俺にとって常にかりそめの姿にしかならない理由は、ずばり「マウス右クリックからのコピー&ペースト、別窓で別作業へゴー」という一連の流れが指先オンリーでできないから、だったりします。まあそれは置いておいて閑話休題。 自宅でのネット利用が減って、「ネットひきこもり」になってしまった。自宅にひきこもって、外部世界との交流をせずにインターネット閲覧ばかりしている状態……の逆。

  • 常識を揺さぶる新アプリ「Color」は、新たな時代を築けるか【湯川】 | TechWave(テックウェーブ)

    Twitterはわれわれの常識を一変させた。今やっていることや思ったことを、すべてオープンにする。「ネットは危険」というこれまでの常識の中では成立しえなかったサービスだ。しかし実際にTwitterを使い、そのオープンさが新しい楽しさや価値を生むことに多くの人が気づいた。そしてネットは新しい時代に移行した。 同様に新しい時代を築くのではないかと期待されるサービスが登場した。「Color」と呼ばれるスマートフォンアプリだ。このアプリの登場で、シリコンバレーは久々にエキサイトしている。その様子は後述するとして、まずはアプリの機能を説明していこう。 簡単に言うと、写真共有サービス、もしくは写真版Twitterである。アプリを通じて写真を撮れば自動的にネット上にアップされる。「公開」「非公開」の設定はない。写真を撮ればすべてネット上に公開されるようになっている(ただしアップした写真をネット上から削除

    ushiwatat
    ushiwatat 2011/03/25
    |Twitterが「見ず知らずの人にまで、自分が何をしていて、何を考えているのかということを公開すべきか」という問いをユーザーに投げかけたように、 Colorは「物理的に近くにいても互いを知らない人と写真を共有すべきか
  • 架空世界に執着する人たち:孤独とメディアの心理学 | WIRED VISION

    前の記事 Gmail音声通話:狙いはSkypeではなくFacebook 架空世界に執着する人たち:孤独とメディアの心理学 2010年8月27日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) フィードサイエンス・テクノロジー Jonah Lehrer Photo: Flyinace2000/Flickr 孤独な人がテレビを見ると、実際の人間と接するのと同様の感情的な慰めを得られるようだ。Fionnuala Butler氏とCynthia Picketton氏が、『Scientific American』サイトで、以下のような興味深い記事を書いている。 [心理学者はこれまで、実際の対人関係に関して研究を行なってきたが、最近の研究では、研究対象が「疑似社会関係」まで広がってきている。]擬似社会関係とは、われわれがテレビ映画の中の人物もしくはキャラクターに接するうちに形成される、

    ushiwatat
    ushiwatat 2011/01/25
    |それはまるで、テレビの登場人物と築く疑似社会関係が、失敗した人間関係の代理となっているかのようだ|
  • そして「ウェブ」と「メール」が融合する 「現実世界での関係」でコミュニケーションの汎用性は高まる:日経ビジネスオンライン

    2010年9月10日、ミクシィが開催した「mixi meetup 2010」には、3000名もの技術者や経営者たちが押し寄せた。目当てはミクシィが当日発表すると予告していた新プラットフォーム。発表した内容は会員2000万人を超えるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)「mixi」内で形成されている人間関係を他社へ開放するというものだった。 SNSで形成される人間関係が外に飛び出すとどういう世界が拓けるのか。従来のサービスや製品はどう作り替えられていくのか。 ミクシィの笠原健治社長が狙いを語る。 (聞き手は原 隆=日経ビジネス記者) 笠原 例えば、mixiのソーシャルグラフと連携すれば、携帯電話の電話帳が「ソーシャル電話帳」に変わります。携帯電話の利用者自身が編集した電話帳とmixi内の友人情報がマージされる(1つになる)わけです。mixiのプロフィル情報を取り込むことで、常に最新

    そして「ウェブ」と「メール」が融合する 「現実世界での関係」でコミュニケーションの汎用性は高まる:日経ビジネスオンライン
    ushiwatat
    ushiwatat 2010/09/20
    |実際の知り合いではない「バーチャルグラフ」は従来のコミュニティと大差ありません||現実世界での関係を中心にソーシャルグラフを作った方が、コミュニケーションの汎用性は高くなります| 局面というのは?
  • 配偶者の条件 - 内田樹の研究室

    金曜日。朝、記念賞授賞式。うちの黒田くんが賞をもらったので、お祝いに行く。 大野篤一郎名誉教授による「セネカの幸福論」という講演がある。 ひさしぶりの大野先生のお話を聴く。 どこから始まりどこに行くのかわからない哲学的知性の遊弋。 忘れられかけた「古き良き大学」の空気が大野先生の笑顔から感じられる。 基礎ゼミでは「友人と恋人はどう違うか?」というお題。 おもしろい主題である。 これについては私見があるので、それを述べる。 「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」という詩章がある。 知性、気づかい、向上心というようなものが友人を選ぶときの条件であるよということである。 では、配偶者の条件は何か。 与謝野鉄幹のこの「人を恋ふる歌」は広く人口に膾炙した「をめとらば才たけて、みめうるわしく、情けある」で始まる(男性配偶者の条件については言及していないが、同列に論じてよい)。 はたしてこれは

    ushiwatat
    ushiwatat 2009/10/19
    誰も理解しないことと自分だけが理解することとは同じ(私的言語?)。こう考えると容姿の衰えは幸福かもしれない。/他の人が愛する人を幸福には出来ない?
  • 全米のギークが涙した告白「私が同窓会に参加しない理由」 - YAMDAS現更新履歴

    Hacker News でものすごい数のコメントを集めている記事があり、何かと思ったら Good Math, Bad Math の Very off topic: Why I won't be at my high school reunion というエントリだった。 Good Math, Bad Math は Radium Software で何度か名前を見た覚えがある科学系ブログという程度の認識だが、このブログの作者 Mark Chu-Carroll は現在 Google に勤務するソフトウェア技術者である。 その彼が今回はオフトピで、それが読みたくない人は読まないこと。また通常よりもコメントには厳しく対処することを宣言して話をはじめる。 Mark Chu-Carroll は1984年に高校を卒業し、今年はその25周年ということで同窓会が開かれる。たくさんの同級生が Facebook

    全米のギークが涙した告白「私が同窓会に参加しない理由」 - YAMDAS現更新履歴
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/07/23
    |私に近寄るな。私はお前らの人生の話なんて聞きたくないのだ。お前らが高校を卒業してからどんなに変わったかなんて知りたくない。お前らの仕事、配偶者、子供の話なんて聞きたくないんだ|
  • コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    はてなダイアリーでブログを書きはじめて1ヶ月以上たったのだが、別に日記とかをつけているわけではないので、そろそろ書きたいこともなくなってきた今日この頃です。 44年間の人生(※1)で中身が詰められた引き出しは意外に少ないもんです。 もともとブログをはじめた理由となる読んでもらいたいエントリが当はあるのですが、はてなが意外と楽しくて、予定以上にいろいろなエントリを書いていたら、完全に出すタイミングを失ってしまいました。増田にでも出そうか悩んでいます。 さて、ということで、なにか、普通のひとはあんまり書かないだろう暮らしの知恵的なものをエントリにしてみました。 テーマはコミュニケーション能力がないひとの上手な他人との付き合い方です。コミュニケーション能力が当にないひと向けですのでリア充なひとは不要です。該当しないなあと思う人はここから先は読まなくていいです。(というか、すごい長文になってし

    コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/07/19
    あとでまた読む。|相手の判断が正しくて、そしてあなたの価値が低いのであれば、悪いのは価値のないあなたのほうだ。ゲームは負けです|
  • 「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ

    正月に久々に会った友人たちは皆元気そうで安心した。ただやはり我々ももう30歳を迎え,気になることはいくつかあった。まず,一番面白いというかショックというか複雑な現象だなと感じたのは,「今何やってるの?」という質問が禁句になっているということだ。 10人ぐらい集まると,ご時世なのかもしれないが,1人2人はフリーターのような生活を送っているものもいる。そういう人間への配慮だろうか,「今何やってるの?」は禁句であり,仕事の話も極力避けようという空気があった。 さらに,ある友人は彼女を連れてきていたのだが,この2人に対して「結婚」の話題を持ち出すのもタブーである。以前私はある友人に彼女を紹介され,「結婚するの?」と聞いたところ空気がものすごくどよーんとしたことがあった。同席者には後から,「あんなこと聞いちゃ駄目だよ」と怒られた。そうなのか。 思い出話も悪くないが,それだけでずっと持つものではない。

    「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/01/12
    |20代の頃は寄り道しながらも精一杯走ってきた。少し疲れがたまってきたのが今の我々だろう。この10年間をどのように過ごすかということについて,明るい未来を想像している人間は,我々の中にはいなかった。|
  • 友人の回復を祝う | digi-log

    2008-12-24 友人の回復を祝う 「ホームレス」と呼ばれた友人がいる。 中学生の頃の友人である。彼は身だしなみ、殊に頭髪に無頓着であり、同級生は彼の頭を見て「葱坊主」とか「いが栗」「馬糞うに」などと呼んでいた。中学校を卒業する頃には最終的に「ホームレス」と呼ばれていた。 別にいじめとかではない。そこには親しみがあったし(事実、彼を「馬糞うに」と命名したのは彼の恋人であったし、彼女こそが頻繁に彼を「うに頭」「葱坊主」と呼んでいた)、彼は彼で全く身だしなみへの無頓着さを改めようとはしなかったのだから。 そんな彼と久々にゆっくりと酒を飲む機会がこのところ続いている。 実はこの彼こそが私の第一の友人である。コンサルからプライベート・エクイティーの世界へといった友人、メキシコからの友人も大切な、当にかけがえのない友人だが、それでもやはり私はこの「ホームレス」と呼ばれた友人を愛してやまない。

  • 知人の自殺をきいて: 極東ブログ

    ごく私事といえば私事なのだがなんとなくブログに書いておきたくなった。知人が自殺した。一歳か二歳年上のかただった。パソコン通信時代からの知り合いだった。そのころの知り合いは、私が言わなくてもこのブログのことをは知っているものだが、彼についてははっきりとこのブログを書いていると告げた数少ない人だった。当初は私が珍妙な古代史観をもっていることに興味を引かれたらしくそんな交流をしていたものだった。 あのころの私は今のようにネット上での交友関係から引きこもるふうでもなく、よくオフ会なども出たものだった。でも不思議と奇妙な縁で彼と面識をもつ機会がなく、初めて会ったのはこの夏の終わりだった。そしてそれが最後になった。それから数日して彼は自殺したということになる。 彼とは喫茶店で二時間も尽きぬ話をした。その後の古代史観についても話した。古代史というのは、素人にはトンデモ説花盛りの幻想の領域だし、彼もそこを

  • 友だちの話 -  陰陽師的日常

    他人の目というのはいい加減なもので、どういうわけか小さい頃から「活発」というレッテルを貼られていた。それも同じ年頃の子ではなく、大人の目からそう見えるらしかった。 実際のわたしは、といえば、自分の興味のある話は周囲の誰も興味がないし、人といるよりはひとりでを読んでいた方がずっと良かったのだが、学校でも、休憩時間に教室や図書館を読んでいると、どうして友だちと遊ばないの、と先生が聞いてくる。下手をすればそんなことぐらいで親が呼び出しを喰らう。そのあと、親からも、友だちがどれほど大切か、延々とお説教まで喰らうことになる。仕方がないから、帰る方向が同じ子や、たまたま同じ班になった子、席が隣になった子と「友だち」になった。自分がしたい話をすると、たいてい相手はあからさまにいやな顔をするので、いつも相手の話を聞いていた。適当に相づちを打って、話を整理してあげると、相手は喜んで「親友」と呼んでくれ

    友だちの話 -  陰陽師的日常
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • ララビアータ:走れメロス? - livedoor Blog(ブログ)

    『走れメロス』という作品がある。真の友情を描いた名作とされているらしく、小学校か中学校の教科書にも取り上げられたことがあると思う。文学作品として見てもいかにも凡庸な出来で、他の太宰治の作品とは、とても同列に論じることができるものではないと思うが、ここではその点はさておき、『メロス』で描かれたものが友情の理想では有り得ないという点を強調したい。 メロスは暴君に捕らわれて死刑を宣告されるが、親友セリヌンティウスを人質において、妹の結婚式に出席するために出かける。いろんな困難に遭遇するが、やっとのことで時間に間に合うように帰ってくるメロス。暴君の猜疑心に、若者の友情が勝ったのだというわけだ。これからが、いかにも芝居がかってうんざりするような場面が続くところだ。 メロスは、セリヌンティウスに、自分がただ一度、友を裏切ってしまおうかと考えてしまったから、殴ってくれと言う。それに対して、セリヌンティウ

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/06/15
    |友情において、裏切りはそれほど致命的なものであろうか?||重要なのは、それが彼らしい行動であるかどうかであって、それが道徳的に善いかどうかとか、私にとって有利であるか不利であるかといったことではない|