先日、某セキュリティソフト会社の管理職の人が、ネット上の難民を揶揄したマンガに賛同する人達の情報をリストアップしネットに公開したところ、逆にその素性がバレてしまい「炎上」するということがあった。セキュリティ会社の社員が、「個人情報」をネットに公開するなどということはいかがなものか、ということらしい。 それからほどなく、今度は、この「個人情報」をネットに公開したことを批判する弁護士に対して、某地方新聞社の管理職の方が、twitter上で弁護士に対して「暴言」を書いたということで問題となり、これも「炎上」した。 この二つの「炎上」を起こした人達については様々な批判があった。社会的地位にも恵まれた50代ということが共通点として目立つことだが、それよりも、この二人が、反差別を旗印にし、これまで賛否両論・ 毀誉褒貶を受けてきた「しぱき隊」であるということで注目を集めた部分が多い。 整理するために、最
(コメ欄等の指摘で「アダルトチルドレン」という単語について完全な勘違いの元に盛大に誤用していたことを教えて頂いたので訂正しました) どうも。ブログでは久方ぶりのあでのいです。ドラゴンボールで何編が一番好きか聞かれたらノータイムでブウ編と即答するあでのいです。 そうブウ編なんですよ。最終章ですよ。ブウ編も好き、ではありません。ブウ編「が」一番好きです。 「○○編で終わってれば名作だった」と言われがちなジャンプ長期連載漫画で最終章を一番好きになってしまうとなかなか肩身が狭い思いをするものですが、ドラゴンボールなんてのはその最たる例の1つでしょう。 日々そんな肩身の狭い思いをしている私ですが、先日こんなニュース記事を見かけましてね。 ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」 何たることかと。怒髪天を衝くとはこのことかと。 件の番組そのものに関しては実際に見た
わたしは残念ながらモーツァルトが嫌いだ。ファンの人には申し訳ないけど、めったに楽しく聴けない。自分はまあ比較的、クラシック音楽を聴く方の部類だと思う。聴き始めたのは十代の頃からだが、その頃は一応素直な人間だったので、先輩先人の教えに従い、偉大なる天才作曲家モーツァルトもいろいろ聴いてみた。 だが2、3年ほど経ったのち、いつまで聴いてもちっとも楽しくないことに気がついた。気づくならもっとサッサと気がつけばいいのに、そんなにかかるのが、わたしの鈍感なところなである。あるいは、伝統的な教導の強さと言うべきかもしれない。ただし、わたしは心の広く公平な人間であるから(笑)、モーツァルトにもたまには良い曲があることは認めてよう。たとえば晩年のクラリネット協奏曲とか、同じ楽器だがクラリネット五重奏曲は素晴らしいし、あるいは音楽劇「魔笛」などにも良い部分がある。 ともあれ、自分の好みに気がついて以降は、彼
ISISによりイスラム教の存在感が日本でも(あまり喜ばしくない意味で)大きく膨らんだ。元々日本人にはなじみの薄かったイスラム教だが、その教義と宗教文化の特徴的な面が大きくクローズアップされ、信仰心を持たないとされる多くの日本人には珍しいものとして受け取られている現状がある。 多くの日本人は、自分が無宗教だと思っているらしい。その一方で、日本人には「日本教」とも言うべき日本固有の独特の宗教観があり、それが日本人のメンタリティを強く規定しているとする指摘もある。 「日本教」という言葉が使われる文脈は主に2つある。一つは、イスラム教などの他宗教に対比される日本固有の宗教的感覚を指す「日本教」、もうひとつは我が国の仕事観における、あたかも宗教のような独特の精神性を揶揄した言葉としての「日本教」だ。 いずれにしろ「日本教」という言葉は山本七平という一人の評論家が作った。山本七平は7、80年代に、主に
わたし達は、消費社会に生きている。普段は職場で生産にかかわる仕事に従事していても、家に帰れば、消費者としてふるまう。いや、ちょっと昼飯を外に食べに行く時でさえ、消費者に戻るのだ。そうして毎日、お金を出して何かを買う。買うのはモノだったり、劇場での視聴だったり、旅行という体験だったりする。そして買ったモノや体験を、なぜかわたし達は、口に出して人に伝えたがる。考えてみれば、不思議な習性である。消費してそれで終わり、にしてもいいはずなのに、良きにつけ悪しきにつけ、何か一言いいたくなるのだ。 もっともわたし達は、自分でお金を払わない物事に対しても、あれこれと批評を口にする。TVで見る番組は、広告代という形で間接的に費用を払っているとしても、新聞で読む世の中の出来事、親戚の結婚式の体裁から、ゴミ出しの時に合う近所の奥さんの性格まで、すべて品評の俎上にのせられる。App Storeでは有償アプリも無償
「わかる」ことと「わからないこと」のはざまで 恥ずかしい思い出話からはじめよう。 私にとって小林秀雄の批評は高校生時代の愛読書だった。当時は文庫でかなり出ていたから、文庫にあるものはすべて読んだ。初期の「様々なる意匠」も当然読んだ。それで、文学青年でもあった担任の国語の先生に、「こんど、「ようようなるいしょう」を読みました」と、自慢げに報告した。一瞬間があって、先生は「そうか」とだけ言った。 大学生になればさすがに、これはこの批評が書かれた当時流行していたイデオロギーを「さまざまなる意匠」にすぎないと喝破した、小林秀雄の原点をなした批評だとわかった。高校生時代の恩師の「そうか」という一言がここで効いた。恩師が賢しらに「さまざま」だと訂正しなかったことが、私のその後の理解を深めたように思う。 教育は、こういうものかもしれない。今度、小林秀雄の「対話集」を読みなおして、彼の放言に近い言葉の数々
わたしの先輩にあたる建築家が、ある時、海外出張から帰ってきてこうつぶやいた。「商社さんって、情報はたくさん持ってるけれど、データは持っていないんだね。」 ふつう建築家というのは、顧客からの漠としたニーズをきいたら、すぐ自分の“感性”で建物のデザインに走る人たちだ。でも、この人は少し違っている。デザイン的にも優れた感性の持ち主なのだが、「設計するときには、なぜそういう設計でなければならないのか、説明できる論理が必要」と、日頃から主張されている。つまり、論理に裏付けられた『設計思想』を、まず文章(あるいは絵で)つくる人なのである。 この人が、中国のある都市で計画を立てることになった。産業化を軸とした都市計画だが、広いエリアなので自由度がある。そこで、この地域はどのような産業に発展のポテンシャルがあるかを、まず考えてみたらしい。都市なので第一次産業主体ではないし、第三次産業(サービス系)が主役に
Kさん、久しぶりにメールありがとうございました。お元気とのこと、何よりです。ご活躍中の様子が、行間からあふれていました。生産管理の現業をかかえた上に、新規システム導入プロジェクトのメンバーの一員としてアサインされたとは、たしかに大変だろうとお察ししますが、それだけKさんが周囲から期待され一目置かれていることの証左だと思います。 ところで、Kさんからメールをいただくたびに、難しい宿題を投げられたように感じるのですが、今回は格別です。『設計思想に関して』のご質問とは! なるほど、たしかに新しい基幹業務システムを考える出発点として、“その設計思想はどうあるべきか”を問うのは、とてもオーソドックスかつ当然の発想と思います。自分達が製品を設計開発するときも、成功した製品には明確な設計思想があった。だから、プロジェクトを成功させたければ、当然システムにも設計思想がなくてはならないはずではないか。--設
ふられて安定しない。だから読む本聞く音楽見る映画喰う食べ物飲む酒なんでも、全然起伏がないか、変に過敏に迫ってくるかなので、今はいろんな印象をかなり割り引く必要はあるけど、それにしても岡崎京子は許しがたいと思う。 『リバーズ・エッジ』(宝島社)みたいな代物を描いてしまうやつは許せないと思う。 なんだ、これは。この異様な構成力。さりげない物を介したショットのつなぎ。ゴダールみたいなフレーズの挿入。テーマの深み。なんだ、これは。セイタカアワダチソウの生い茂る、おれの多摩川の河原みたいな川っぷち。そこで棒で殴り殺したネコ。川崎側の対岸下流に見えた、石油化学工場のガス抜き炎と煙。流れ込むどぶ川の淀み。昔住んでた砧の団地。なんだこれは。自分の風景と共鳴するこの感じ。向こうで起こってる話を外から観ている感じじゃない。まるっきしの映画。この、目玉のまわりにページが巻き付く感じ。なんなんだ。 今の精神状態の
「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」という本を読んで、マーケティングとは全然べつのことが気になったので書いておく。 私の目標は、「おもしろいひとがおもしろいというだけで食べていける世の中を作ること」なので、グレイトフル・デッドはひとつのモデルケースになるかな、と思って読んだ。 結論として、グレイトフル・デッドの例は、ビジネスモデルとしてなんの問題もない。ただ、コンテンツビジネスのモデルではない。「ある一部の」コンテンツビジネスのモデルにすぎない。 グレイトフル・デッドは、「批評不在」のコンテンツであり、グレイトフル・デッドのビジネスモデルで成功するのは「批評不在」のコンテンツのみである。 そしてインターネットの時代には、「コンテンツビジネスのモデル」という、あるひとつのモデルは成立しない。あるひとつの大きな混沌の中で、いろんなコンテンツが、同じ値段で同じパッケージで同じ店舗で買え
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年10月時点の調査。
この20年ぐらいだろうか、文学部が現代文化学部のような4文字学部に改組されて文学研究者のポストがなくなってきた、大変だ大変だと嘆くのが文学研究者のクリシェ(お決まりのセリフ)になっている。その流れを押しとどめるために文学研究者が何をしてきたのか。研究を外に開こうともせず、嘆くこと以外はほとんど何もしてこなかったというのが僕の観察だ。 その一方で、文学も力を失ってきた。昭和と言われた時代には、トップスターよりも年収の多い作家は何人もいた。しかし、いまたとえばお笑いコンビのダウンタウンよりも年収の多い作家はほとんどいないだろう。そう言えば、最近の芥川賞作家は勤め人が多い。賞を取っても辞める気配はない。小説を書くことは、ことに純文学を書くことはそのくらい経済的に不安定でリスキーな仕事になってきたのだ。 「新潮」が2つの「対話」を組んだ。大江健三郎と古井由吉「詩を読む、時を眺める」、東浩紀と平野啓
→紀伊國屋書店で購入 読み巧者は幼いころから本の虫、と思っていたら、「児童文学に漂う『お子さんには山葵抜いときました』的な感じが気持ち悪くて」小学生時代は漫画以外の本はほとんど読まなかったという著者が小説に目ざめたのは十三歳のとき、きっかけは筒井康隆だった。 この、ませているのか奥手であるのかわからぬ少年は、いったん読みはじめると「小説には自分が興味を持てない分野がいっぱいあること」と気づく。 ミステリが嫌い、SFが嫌い、時代小説が嫌い、歴史小説が嫌い、伝奇小説はブームがきたせいで食傷、ファンタジーを読むなら映画のほうがいい、ライトノベルより漫画のほうがいい。さらには純文学、私小説・青春小説・恋愛小説もだめ。「本に人生観を開陳されると、『文学臭が強い』と苦手に思って」しまう。「宮澤賢治、太宰治、サリンジャー。詩歌なら石川啄木も中原中也も、もう全部がアレルゲン」という「筋金入りの読まず嫌い」
昔から、そして今も、コンテンツの収益化というのは難しい問題であるとおもう。ちょっと前まではCDとか、新聞紙とかいった物理的制限のあるモノを経由させることでお金をとる仕組みがあったけれど、データだけでやりとりするようになれば、コピーし放題、どうやってお金を取るのかも結構難しくなってきている。 そういったお金の取り方とは別に、コンテンツというものをどうやって評価すればいいのか、という問題もあったりする。コンテンツは消費してみないと評価し得ないうえに、ひとりひとりの時間は限られているので、そうかんたんに市場で評価すればいいというわけにもいかない。このまえ雑誌編集をやっている人と飲んだら、「煽った内容なんて本当はやりたくないが、そうしないと全然売れなくなってしまう」と愚痴をこぼしていた。 テレビには視聴率という評価基準がある。どれだけ多くの人が見たかという数値ということになっている。テレビマン
ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ
→紀伊國屋書店で購入 入門書として有名なオックスフォード大学出版局の Very Short Introductionsが岩波書店から「1冊でわかる」シリーズとして邦訳されている。 フランス産の文庫クセジュは良くも悪くも百科全書の伝統に棹さしており、とっつきにくい面があるが、こちらは英国産だけに読み物として気軽に読める。もちろん、気軽といっても、内容は本格的である。訳文は読みやすいものもあれば読みにくいものもあるが、わたしが読んだ範囲では文庫クセジュの日本版よりは概して読みやすいという印象を受けた。訳者もしくは斯界の第一人者による解説と文献案内がつくが、どれも中味が濃い。 好企画だと思うが、「1冊でわかる」という物欲しげな題名だけはいただけない。原著は Very Short Introduction だから、あくまで基礎づくりであり、その先があるのだ。「1冊でわかる」ではなく、「超短入門」と
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く