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日本思想と宗教に関するushiwatatのブックマーク (5)

  • 文筆家・大竹昭子の書評ブログ�:�『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節(講談社現代新書)

    →紀伊國屋書店で購入 「人の身体と生命を介して記憶する「みえない歴史」」 ずいぶん前にキツネについて調べていたことがある。といっても生きているキツネではない。お稲荷さんのキツネである。社の前に座っているキツネの石像に惹かれて写真に撮るうちに、それにしてもどうしてキツネなのだろう、と興味をもったのだ。取材するにつれて、東京都心でもキツネに化かされたり、キツネを神聖視する話がごく最近まであったのを知り、驚いた。 というわけでタイトルにそそられてこのを手にとったのだが、前書きを読んでキツネがテーマではないらしいとわかった。1965年を境に日全国から人がキツネにだまされる話が一斉に聞かれなくなった。それはどうしてか、1965年に日の社会の何が変わったのか、その謎を解いていきたいとある。 日社会の変化を象徴するものとしてキツネが挙げられているのであり、テーマは日人の自然観の変化なのである。

    文筆家・大竹昭子の書評ブログ�:�『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節(講談社現代新書)
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/19
    内山節氏の著書。タイトルはややミスリーディングで、発達史観(MarxよりHegel?)と循環史観(身体的な記憶も込み)との対比という本らしい。エントリはそこに評者の関心事であった稲荷信仰の事象を絡めたもの。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/09
    |かつてのジェンダー研究は、この不食病化・ヒステリー化の過程を取り出してその女性差別性を批判したわけだが、その際に、病気化・医療化そのものに対する批判はそれほど鮮明ではなかった|
  • 『ヒストリエ』 岩明均

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    |西洋近代思想においては「政教分離」が謳われ、信仰は内面化・私生活化されます。そのような近代の申し子として生まれながら、聖俗一致的イスラームを敢えて選択する、という逆説がイスラーム主義にはあります。|
  • 日本仏教に哲学なし - umeten's blog

    の仏教者はダライ・ラマの教説を否定するだろうか。そしてその否定のしかたは、「それは仏教ではない」という否定になるのだろうか。もしそうなら、では、ダライ・ラマの仏教を否定する日人の仏教とは何に依拠しているのだろうか。 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/04/post_5368.html仏教に核があるとしたら、それは「生活主義」と「血族主義」の二つだ。 ところが、明治時代に入って様相は一変することとなった。明治五(一八七二)年四月二十五日、太政官布告第一三三号が出された。それは「自今僧侶肉帯蓄髪等可為勝手事 但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事」(今より僧侶の肉帯蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず)という内容である。この太政官

    日本仏教に哲学なし - umeten's blog
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/07/28
    |言い換えれば、日本仏教とは創価学会やオウム真理教がなければその足場を持たない| 仏教哲学と日常の問題云々は微妙。仏教が日常と同化している可能性がある。開祖の思考をどう評価するか?
  • ララビアータ:寺の経営(教会と信仰) - livedoor Blog(ブログ)

    久しぶりに小学校のクラス会に出たら、寺を継いだ友人や、墓の設計を手がけている建築家の友達と話し込むことになった。今日、寺を維持する経営は、御多聞にもれず、なかなか厳しいらしい。もともと十分な不動産があって、半ば不動産業を兼業できるような寺は別だが、現代人の生活が葬式以外では寺から遠ざかるようになると、十分にお布施を集めるのも難しいわけだ。戒名の文字ひとつについて、なぜあれほどのお金がかかるのか合理的に説明できる人はいないから、このようなところでも遠からず「価格破壊」が起こらざるを得ない。 友人の一人は、仏教界でも宗教改革が必要なのではないかと言う。 だがいかにして? 橋爪大三郎氏によれば、排除された人々は仏舎利を納めた仏塔(ストゥーパ)の周りに集まり始める。彼らは、己の悟りより、悟りを開く前の釈迦(菩薩という)に自己同一化し、菩薩道を目指す事になる。それというのも、彼らには、戒律を通じた正

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/07/28
    |したがって市場で評価されないものは直ちに無でしかなくなるという事態の方が、歴史的に見れば異常であり例外的||近代政治哲学はその根本においてプロテスタント的、または無教会主義的であるということになる。|
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