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認識論に関するushiwatatのブックマーク (33)

  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
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    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • ■ - 作品メモランダム

    月曜日は東京工芸大学で「ゲーム学I」(厚木キャンパス)と「シリアスゲーム論」(中野キャンパス)の講義。鞄に清水真木『感情とは何か――プラトンからアーレントまで』(ちくま新書1076、2014/06、ISBN:4480067817)を放り込んで出かける。電車やらバスに乗るあいだ、むさぼり読むという感じで読み進んだ。乗り物が目的地に着いたとき、「もうちょっとこのまま読み続けるために乗り続けたい(どこへ到着するのでもよいから)」などと感じるのがその指標でもある。 目下、当方が「感情」や「情緒」に関心を懐いているということもあるけれど、それを差し引いても「感情とは何か」という問題を、さらに創造的な問いへと練り上げてゆく手際に教えられるところが多かった。「感情の質は、私と世界の関係をめぐる真理(=真相)の表現である点にある」(同書21ページ)というのが、同書の根底にある見立てであり、この観点から

    ■ - 作品メモランダム
  • マッチョと詐欺師 - reponの忘備録

    「マッチョ」と「ウィンプ(弱虫)」の対比で、はてな的にウィンプ認定されている俺ですが、マッチョと詐欺師はかなり違う。 詐欺師とは。 以下の小話がわかりやすくて面白い。ちょっと長めですが。 当然、「ユダヤ人」「ポーランド人」は、お話の中の人物にすぎず、特定の誰かを揶揄しているわけではない。 これは「小話」です。 今世紀の初め、ポーランド人とユダヤ人が汽車に乗り合わせ、向かい合わせに座っていた。ポーランド人は落ち着きなく体をもぞもぞとさせながら、じっとユダヤ人を見つめていた。何かに苛立っているらしい。とうとうそれ以上我慢できなくなって、こう切り出した。「あんたらユダヤ人は他人から最後の一銭まで引き出し、そうやって財産を貯め込むそうだが、一体どうすればそんなにうまくいくんだね」。ユダヤ人は答えた。「わかった、教えてあげよう。だが無料じゃだめだ。まず五ズオチ払いなさい」。その金額を受け取ると、ユダ

    マッチョと詐欺師 - reponの忘備録
    ushiwatat
    ushiwatat 2013/09/23
    |そこにあるのは、何の解決策でもなく、欲望を前にして逡巡している自分の姿。/ そんなこと、詐欺師は十分承知しています。|
  • チューリングテストと身体性とその先(鈴木啓介氏特別寄稿) - PICSY blog

    チューリング生誕100年と1ヶ月の今日、特別にゲストエントリーを書いてくれるのは、英国サセックス大学研究員の鈴木啓介博士である。鈴木啓介氏は、もうひとりの自分を現実感をもって観るというドッペルゲンガー体験を生み出すことに成功して最近ネットで話題騒然となった、代替現実(SR)システムの発明者(発案者であり開発者)である。代替現実システムについては、こちらやこちらの記事を読むと分かりやすいだろう。 実は、彼は池上高志研究室の後輩で、ヴァレラの”Principles of Biological Autonomy”をエクストリーム・リーディングした、いわば同志である。大学院時代オートポイエーシスの研究をし、ポスドクになってからは意識と身体性の関係について研究を続ける鈴木啓介氏が、今回はチューリング・テストの新しい可能性を最新の研究や様々なSFを通して読み解くという興味深いエントリーを寄稿してくれた

    チューリングテストと身体性とその先(鈴木啓介氏特別寄稿) - PICSY blog
    ushiwatat
    ushiwatat 2012/07/23
    「現実とは何か」をめぐって。
  • 継続的に対話する主観 - アンカテ

    「エジプトで起きたことはfacebook革命だ」「いやあれは単なる軍のクーデターだ」「いや両方の要素が混じっている」という三人がえんえんと果てしない議論をするとしたら、その三人は「どこかに客観的な真実というものがある」という点において合意している。 「客観的」ということには二つの意味があって、ひとつは「誰が見ても同じ結果になる」ということで、もう一つは「それについて言及する際に私は自分について何かを語りたくない」ということだ。 実際には、「誰が見ても」と言う時、その中の「誰でも」には「特定の世界観に合意し、一定の訓練を受けた者なら誰でも」という暗黙の前提がある。そこをはしょって「誰が見ても」と言うなら、「それは自明のことで、誰でも受け入れるべきことである」と、自分の価値観や世界観を主張しているということだ。当は自分について語ることを拒否して何かに言及することはできない。 客観性というもの

    ushiwatat
    ushiwatat 2011/03/11
    |「対話」の中で、全ての主張は、言及されるものと同時に、言及する人について、何事かを明かにしていく。「客観」とは、そのことに怯える人が逃げこむ先でしかない|
  • トーマス・ベアデン――攻殻機動隊における“上部構造”とは

    ホモサピエンスという種のすべての個体の頭脳をリンケージし、単一の「頭脳」へ――攻殻機動隊でクゼ・ヒデオが試みた“革命”は、人類の進化についての大胆な仮説を立てたトーマス・ベアデンの思想が反映されています。 「わたしたち人類の進化は第5段階にあり、より高次の段階へと進化しなくてはならない」――突然こんなことを伝えられれば、多くの人はそこに宗教的なにおいを感じ取ることでしょう。しかし、こうしたことを科学的に考える研究者も少なからず存在します。 そんな研究者の1人に、トーマス・ベアデンも名を連ねています。ベアデンは20年間の軍歴を持つ元米国陸軍大佐で、陸軍に在籍中は、ミサイルを専門としていました。1971年にジョージア工科大学で原子力工学の修士号を取得し、ノースイースト・ルイジアナ大学で数学の学位も得ています。退役後しばらくは航空宇宙関連の企業でミサイル関係の業務についていましたが、その後ニコラ

    トーマス・ベアデン――攻殻機動隊における“上部構造”とは
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/12/30
    |テクノロジーによって現在のような約65億の断片的な個人意識を集合的意識へとリンケージすることで、それが達成される、さもなければ第5段階の種は消滅せざるを得ない| >だいぶ際どい言明、のようだ。
  • 数学的な美 - Wikipedia

    表現の美の一例: マンデルブロ集合の境界付近、中心座標 (0.282, -0.01)、対角線座標 (0.278587, -0.012560) 〜 (0.285413, -0.007440) の領域の拡大。 数学的な美(すうがくてきなび、英語: mathematical beauty)とは、数学に関する審美的・美学的な意識・意義・側面である。数学的な美 (mathematical beauty) と数学の美 (beauty in mathematics) はしばしば同義に扱われるが、後者が数学そのものの審美性の概念であるのに対して前者は数学を含む全ての事象の数学的側面に注目する点で異なる。前者は後者を含む意味で捉えられることもある。文では前者の意味に基づいて論じる。 多くの数学者は自らが考察している対象、あるいは数学そのものから美学的な喜びを覚えている。彼らは数学(あるいは少なくとも数学

    数学的な美 - Wikipedia
  • すべての現象のなかに自己を証かす: DESIGN IT! w/LOVE

    様々な現象のなかで様々なものを感じ取っている自分を現象の只中において知るということなのだろう。 自我によってすべてを認識しようとするのが迷いなのだ、諸々の現象のなかに自我の在りようを認識するのが覚りである。 僕が「直観」と呼んだのは、道元のいう「覚り」に近いものなんだろうと感じます。ただ単に感じたままの感覚を「直観」と呼ぶのではなく、自分も含めてあるがままの現象とその現象を感じとっている過去にも未来にもつながった自分を認識することを僕は「直観」と呼びたい。 自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るもの『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』のなかで深澤直人さんが、自分も昔は自分の身体の外側、自分をさておいたものを環境と考えていたが、後になって自分も他人もすべてを含む入れ子状態のものを環境と定義するようになったと言っていました。 世阿弥の「離見の見」(見所より見るところ

    ushiwatat
    ushiwatat 2009/05/24
    |答えを自己のなかに求めないことだ。すべての現象のなかに自己を証かすのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。|(『正法眼蔵』)
  • 認知科学ウィキ こぐまにあ

    認知科学ウィキ こぐまにあへようこそ このサイトは認知科学のことなら誰でも気軽に集めて、まとめて、編集できる認知科学事典&総合情報サイトを目標に2008年12月06日に開設されました。現在このウィキは 804 ページと 570 の記事が投稿されています。Wikipediaに代表されるWikiというメディア形式を利用して、認知科学に関する用語、人物、文献などを整理していきます。今はまだまだ小さなサイトですので、認知科学の諸分野で研究されている方や、関心のある方皆様のご参加をお待ちしています。 目次   (全記事一覧)

    認知科学ウィキ こぐまにあ
  • 視力を失った男性、障害物を設置した通路をぶつからずに歩く | スラド

    家記事より。NY Timesに、ハーバード大学のBeatrice de Gelder教授をはじめとする国際共同研究チームが行った、盲視の実験に関する記事が掲載されている。 50代に2回の脳卒中の発作を経験した男性は、その後遺症として視力を失ってしまった。目そのものには問題がなく、目で見ているものを脳で像に変換する仕組みが壊れているという状態であった。この男性に障害物を設置した通路を歩いてもらう実験を行ったところ、男性は通路上のゴミ箱や三脚、紙の束や箱などをきれいに避け、ぶつかることなく歩き切った。 網膜で受けた情報は視覚野に送られるだけではなく、皮質下領域にも伝達される。被験者の視覚野は機能していなかったが、皮質下領域にある視覚や聴覚などに関わる上丘が機能しており、視覚野以外の部分で情報を処理していたと研究チームは考えている。 また、下等哺乳類では中脳が知覚の重要な役割を担っており、中脳

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/12/27
    知覚は意識されていないが障害物等はよけて移動できる状態。|被験者の視覚野は機能していなかったが、皮質下領域にある視覚や聴覚などに関わる上丘が機能しており、視覚野以外の部分で情報を処理していた|
  • 広がるAR(拡張現実)の世界。世界のARいろいろ。: DesignWorks Archive

    【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by モンクレールウンアウトレット (12/20) 【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by ルイヴィトンコピー (01/04) 【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by コピーブランド (11/11) 【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by バーバリー 財布 メンズ (08/17) 無料で使える2010年カレンダーのまとめ by 浅見 晴美 (11/29) Designworksでも今まで「現実世界とバーチャル世界を組み合わせたAR(現実拡張)の世界」や「FLARToolKitを使った拡張現実。机の上の打ち上げ花火「Desktop Fireworks」」と何回か取り上げているAR(拡張現実)。Augmented Reality の略で強化現実ともよばれ、現

    広がるAR(拡張現実)の世界。世界のARいろいろ。: DesignWorks Archive
  • 子供と拡張現実的な世界観:アート資本主義 - CNET Japan

    2006年当時の自分のエントリーを読み返していて、今のセカイカメラに繋がる様なことを書いていたので、記憶の整理も兼ねて(多少、修正・編集して)採録。 日ゲームに於ける“狭さの美学”といっても良いセンスはARの今後を考える上で役立つ側面なのかもしれない。つまり実用性よりも、もっと感覚的な驚きとか発見の楽しさの部分にフォーカスする方向性ですね。 __  ■現実はすでにソーシャルブックマーク空間だ。  都市は(いや、田舎でさえ)、膨大なソーシャルブックマークの洪水なのだ。 マンホール、標識、ポスト、電柱、住所表記、コンビニ、消火栓、水道、ガス管、空調、ゴミ収集場所、学校、役所、公園、道路・・・・ たとえば、標識には公安委員会の管理番号が付番してあるし、ポストにしても地域ごとの番号がある。地下溝も公園施設も、それぞれがお互い絡み合いながら、有機的な情報網の一端を担っている。 あらゆる(ふだんは

  • ハーバード大学医学部留学・独立日記 第二部 三重大学医学部編 ... 新しい世界観をカートグラムで身につける

    ボストンで13年働いた研究者が、アカデミック・キャリアパスで切磋琢磨する方法を発信することをめざします。 2024/02 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031» 2024/04 青(オバマ)と赤(マケイン)の二色に塗り分けられた合衆国の地図を見て、赤(マケイン)が若干優勢?とか、3倍面積の大きいモンタナがニューヨークより大統領選に影響力あるかも?とあやまった印象を持つ場合があるかもしれません。 しかし、それぞれの州の大きさを人口で補正すると青(オバマ)優勢や、ニューヨーク>モンタナであることが容易に理解できます (注:追記1)。このように、州や国の領土/領域を様々なパラメーターで補正し描き直したものをカートグラムまたはカルトグラム(Cartogram)と呼びます。参考:Michael T. Gastner and M

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/11/30
    |このように、州や国の領土/領域を様々なパラメーターで補正し描き直したものをカートグラムまたはカルトグラム(Cartogram)と呼びます|
  • 「知っている」とはどういうことか - logical cypher scape2

    この前、twitter上でこんなことを書いた。 sakstyle: 信念というのは、心とか頭のなかで思ったり考えたりしている事柄。日語で信念というと、もっと強い意味が込められているけど、哲学界隈ではその程度の意味で使われている。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/792376724 sakstyle: 知識というのは、確か、真であって、かつ正当化されている信念のこと。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/792377072 sakstyle: 「昨日、つくばは雨だった」という信念を抱いている人がいたとする。でも、その人は昨日つくばにいたわけでもなく、誰かに聞いたわけでもなく、天気の番組をみたわけでもなく、ただ当てずっぽうでそう思っていただけだとしたら、その信念は真ではあるけど、正当化されていないから知識ではない

    「知っている」とはどういうことか - logical cypher scape2
  • 同時性の想像 - Living, Loving, Thinking, Again

    小泉義之さん、blogを中止してしまうのか。その最後のエントリーから、 時間との関連で言えば、おそらく現在主義者・現前主義者とでも分類されるであろうが、現在・今の〈同時性〉が気にかかった。今ここで、パソコンを操作している。と同時に、隣の部屋では家人が何かをしている。と同時に、向こうの道路を車が通り過ぎていく。ここには、情報の速度、感覚の範囲、想像の広がる「速度」が入り込んでいる。と「同時」に、距離が入り込んでいる。そして、と同時に、遠くでは、誰かが生まれ誰かが死んでいく。その知らせは遅れて届くにしても(「後で」というより「遅れて」である。このひと事だけで、〈逆向き因果〉論は物足りないことが明らかである)、きっと何かが遠くで同時に起こっている。しかも、こんな同時性が、ギクシャクと音を立てるでもなく、変わってゆく。あるいは、移ってゆく。それとともに(?)、この私も移ってゆく。ところが、「持続」

    同時性の想像 - Living, Loving, Thinking, Again
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/04/06
    |今同時に見知らぬ誰かが私と関わりのあることを行っているということを想像すること(できること)こそが社会なるものが主観的リアリティとして存立する基礎なのではないか|
  • 広告β:もうひとつの検索

    「(あなたの)好みの人はどんな人?」 合コン序盤戦でもよく聞く、定番の質問。 これに対して「自分が好きになった人」、と、禅問答のような回答も 見かけたりはするのだが、ほとんどの人が何らかの内容を即答してくる。 しかし次の問いはけっこう難しい。 「あなたを好んでいる人はどんな人?」 就職シーズン真っ盛りだ。 思えば、就職活動当時、自分が入りたい会社はなんとなくあっても、 自分を求めている会社がどこなのかはさっぱりわからなかった。 最近なら、高性能なジョブマッチングサービスなどがあったりするのだろうか。 たとえば、新商品のオリエンを受ける。想定ターゲットは20代女性。 まあ、そうなのかもしれない。ただ、当かどうかはわからない。 わかるのは、開発陣はそういうつもりで作った、ということだけだ。 この商品は当は誰に求められうるのだろうか? あるいは、ある技術が、誰に必

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/30
    |「あなたを好んでいる人はどんな人?」|という問いの難しさ。 |「私を好んでいる人はどんな人ですか?」/10年もしないうちに、逆向きの検索は実装されるのだろうか。|
  • 恋することと情報学 : 情報学ブログ

    「恋」っていったい何なのでしょうか。この記事では、「情報学」という立場から「恋」について考えていきます。恋と情報は、実は非常に深い関係があるものなのです。 ○恋は世界でたった一つのできごと 皆さんは、恋をしたことがありますか。恋ってとても素晴らしいことです。恋は、世界でたった一つのできごと。かけがえのないできごとだからです。たとえば、皆さんのクラスに転校生が入ってきて、その子のことをものすごく好きになったとします。その恋は、世界でたった一つしかありえないできごと。それは、とっても、とっても素晴らしいことなんです。 そういうとき、どうして、自分はその子のことを好きになったのか。そう考えたことはあるでしょうか。そう考えると、どうして「恋」が、そんなに素晴らしいことなのか、かけがえのないことなのかが、分かるのではないかと思います。 私たちは「恋」というものを考えるとき、「自分の好みのタイプはこう

  • 「知的」と「莫迦」と相対主義 - ohnosakiko’s blog

    文学とは何か - しあわせのかたち(3/13)※追記:現在このブログは閉鎖されている。 【要約】 テクストの解釈に唯一の答、間違った答というものはない。「正解」は読者の数だけある(ということにポストモダンの「新批評」ではなっている)。多様性が文学を豊かにするもの。すべての読み方は正しいっちゃ正しい。 (追記:文芸批評の推移や文学の歴史的位置づけなどについて書かれたところはすっとばしてます。議論喚起的なところのみ取り出していることをご了承下さい。) 【コメント欄発言要約(敬称略)】 ohnosakiko:でも「面白い読み方」と「つまらない読み方」はあるのでは? それはどうやって決まってるの? sho_ta:「面白い/つまらない」ってより「開いている/閉じている」と言う(「新批評」では)。「開いているテクスト」とは「次に続くテクスト」を生み出すもの。 ohnosakiko:「次に続くテクスト」

    「知的」と「莫迦」と相対主義 - ohnosakiko’s blog
  • 肯定は否定に先立つ? - Living, Loving, Thinking, Again

    自己承認が、最初の他者(多くは親)による承認から生まれてくるのだとすれば、その親は誰に承認されたのか。──そのまた親から、ということになるのかもしれないが、このまま辿っていくならば、無限背進に陥る。最初に1をつくってしまえば、2、3、4を定義するのは簡単だ。しかし、最初に1をつくること。それが問題だ。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20071128/p1 この「無限背進」を肯定すること。つまり、現在私に聞こえる「承認」は源的な〈承認の一撃〉の倍音の倍音の倍音であることを肯定すること。 別様に考えてみる。どのような辛い瞬間においても、その人の肉体は生きてある。いわば、肉体と肉体の置かれた世界の構造、ありとあらゆる自然界の法則は、そこにそのような存在者がいることを承認している。その場において、我思うゆえに我あり、なのだが、そのように我があることは、その場で可能

    肯定は否定に先立つ? - Living, Loving, Thinking, Again
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/17
    他者について|肯定は否定に先立つ|かどうかという話。「無視」「ハブ」の構造はこの話を否定しない? |お前なんか死んでしまえ|という文例は肯定を踏まえたかなり積極的な否定だが……能動性においては同じか。