本サイトをご利用の際,最新版のFirefox,Google Chrome,Internet Explorer,Safariなどを推奨しております. 現在ご利用のブラウザでは,レイアウトなどが崩れる可能性があります.
「貧しい者」はどこにいるのか マザーテレサが来日したとき街の浮浪者に手を差し伸べたという。これは一つのショックである。僕たちはテレビで、マザーテレサは世界中の貧困の地域にでむき、貧しい人びとに手を差し伸べている場面をよく見ている。そして世界にはこんなひどい地域があるんだ。そこに出向き、支援活動をするマザーテレサは聖人だと考える。 だからマザーテレサが日本で街の浮浪者に、貧しい国と同じように手をさしのべるとき、「いやいや、違うんだよ、テレサ。同じように見えるし、あなたの立場ではそうするしかないのかな。でも日本の浮浪者はそんなのとは違うんだよ。」と苦笑する。 しかしそれとともに、なにが違うのだろうという問いが浮上する。僕たちは、テレビで世界の貧しいひとたちを見て、なんてひどい世界があるんだろう、なか支援しないいけないという思いに駆られる。しかしその思いは、日本の街の浮浪者へは向かない。彼らは僕
日本でもEFFのような何かができることには好意的な関心を持っていた。地デジにせよ、著作権期間延長にせよ、技術に明るく消費者目線の団体は日本での論戦に於いて欠けていたピースだし、そういった趣旨の団体ができることには大賛成だ。一方でダウンロード違法化の問題から手を付けたことについては些か失望したし、自分としては参加し難く、応援し難くなった気もする。それは地デジや著作権期間延長の問題と比べて、ダウンロード違法化の問題は立場によって意見が分かれ主張の正統性が微妙だからだ。 然るに政治とは多数派を占めることである。多数派を占めるとは個々の問題設定を自分が多数派となるように再定義し、部分に於ける多数派という入れ子構造を通じて、少数を以て多数を統御することである。そのための公共の政治的言説とは「自分のためにこうしたい」が本音であっても「世の中のためにかくあるべし」とパラフレーズするのだ。 インターネット
「売れそう」と「おもしろそう」(未公認なんですぅ)おもしろそうと思った企画が実際に「おもしろい本」になり、そのうえ「売れる本」にもなるのがいちばんだけど、そうそういつもうまくいくわけではない。 「おもしろい」と「売れる」の両方は難しいけど、どちらか片方ならいけそうなことはある。そのときに、「おもしろいけど、あまり売れなさそうな本」と「おもしろくないけど、売れそうな本」のどちらかを選んでつくれといわれたら、やはり自分は前者を選んでしまうだろう。面白さの質を見抜けないと(編集者をやるのは)難しい (ラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記―)「面白い」ことは「商品価値がある」こととイコールではありません。消費者は無料のコンテンツには寛容ですが、有料だと人が変わったように厳しくなります。どんなに面白がってもらえても、買ってもらえないのでは意味がありません。 作家や編集者が「面白い」と
→紀伊國屋書店で購入 「メディアとしての書物の力」 一五世紀の半ばに印刷書籍が一般に流通するようになったことが、科学の世界にどれほど大きな影響を与えたかを詳しくたどるこの著書は、書物論としても読み応えのあるものだ。それまで手書きで筆写していた場合には、書き写しの間違いがどうしても発生していたが、いまやまったく同一の版が、写本よりもはるかに安価な費用ででまわるようになったのである。それが「一六世紀文化革命」をもたらしたのだと、著者は指摘する。 まず芸術理論の分野では、ルネサンスに発見された遠近法が、言葉による説明ではなく、実際の図版をもちいて示されることで、まったく誤解の余地のない理解が可能になった。デューラーはそれまで抽象的な理論で語られてきた遠近法を、図版で詳しく説明する。それはたんに遠近法という絵画の技術にとどまるものではなく、測定術や、幾何学における作図法にまで広げられる。 「デュー
日曜日の朝、北鎌倉の円覚寺を散歩してきた。そのために行ったわけではなかったのだが、敬愛する作家、開高健の墓所が円覚寺の中にあることを思い出し、初めて訪ねてみた。 日曜朝8時半の円覚寺は、雲一つなくすっきりと晴れ渡っていた。 開高の墓があるのは円覚寺の中にある松嶺院という小さなお寺。円覚寺はショッピングモールのように大きな入れ物になっていて、その中に松嶺院や居士林、桂昌院と個別に名前の付いた施設が点在している。松嶺院には佐田啓二、田中絹代、清水崑などといった著名人も葬られている。最近の方ではサリン事件被害者の坂本弁護士ご一家も。 朝の9時前に門をくぐり、「開高健さんのお墓があると伺いましたが」と尋ねたら、掃き掃除をしていた年配のご婦人は本堂を回り込んで登るようにと丁寧に道順を教えてくれた。細長い参道を登ると墓所に出る。入り口に坂本さん一家を偲ぶ張り紙がある。痛ましい国民の記憶。 墓所内は撮影
内閣府が10月25日発表した「有害情報に関する特別世論調査」によると、実在しない子どもに対する性行為などを描いた漫画・イラストも規制の対象とすべきという回答が約6割に上り、「どちらかといえば規制すべき」との合計は約9割に上った。 現行の児童ポルノ法は漫画・イラストを規制対象にしていない。調査では58.9%が「規制の対象にすべき」とし、「どちらかといえば対象とすべき」との合計は86.5%だった。一方、「どちらかといえば対象とすべきでない」は6.6%、「対象とすべきでないは2.5%」にとどまった。「わからない」は4.5%だった。 児童ポルノの単純所持についても、69.6%が「規制すべき」、21.3%が「どちらかといえば規制すべき」とした。 調査は、「有害情報」を「子どもたち悪影響を与える恐れのある情報」とし、(1)わいせつ画像などの性的な情報、(2)暴力的な描写や残虐な情報、(3)自殺や犯罪を
レッシグ先生の「もし君たちが、自分自身の自由のために戦うこともできないというのなら……君たちはその自由に値しない」という言葉も好きだけれど、私がMIAUに参加するにあたって念頭に置いたのは、かつて英語の先生から教えてもらったゲーテの言葉です。 世界はお粥で出来ているのではない。怠けてぐずぐずするな。堅いものなら、噛め。 二つに一つしかないのだ。世界に負けて、喉が詰まるか、それとも自分の力で消化するか。 あこがれを持って、強く希求し、そしてそのためにどれほど膨大なコツコツが必要であるかに溜息をつきながら、投げ出さないで続けることって、難しいことですが、すごく豊かになれますよ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く