オーストリア・ウィーンの病理学博物館の解剖病理学に関する展示物(2021年10月20日撮影)。(c)JOE KLAMAR / AFP 【1月24日 AFP】肥大化した肝臓、裂傷を負った幼児、変形した少女の頭骨──。オーストリア・ウィーンの自然史博物館(Natural History Museum)の学芸員は、医学的人体標本の展示を再開するに当たり、倫理と品位の面で現代の一線を越えないよう、いかに展示するかという問題に直面した。 人体標本は医学生の研修用に1796年に収集が始まり、現在約5万点が収蔵されている。昨年9月、収蔵品の一部の展示が再開された。中には200年以上前のものもある。 ただ、今日の社会においては、死者の尊厳、権力と搾取、本人がはるか昔に亡くなっているとはいえ公開することへの同意の有無といった倫理的な問題よりも公共の利益が上回るのかという難しい問題が突き付けられる。 学芸員の
パリを拠点に活躍し、世界的なファッションブランド「KENZO」を立ち上げた、デザイナーの高田賢三さんが4日、新型コロナウイルスへの感染により、パリ近郊の病院で亡くなりました。81歳でした。 昭和40年、25歳でパリに渡り、民族衣装をアレンジした斬新なデザインを発表したほか、当時ブティックで行うのが常識だったファッションショーをパブや映画館で開催し、一躍脚光を浴びました。 高田さんが立ち上げた「KENZO」は世界的に有名なファッションブランドとなりました。 高田さんはフランスの芸術文化勲章を受章したほか、平成11年には紫綬褒章を受章しています。 また、平成16年に開催されたアテネオリンピックの日本選手団の公式服装もデザインしました。 高田さんの日本の事務所によりますと、高田さんはことしの9月中旬、新型コロナウイルスに感染し、パリ近郊の病院に入院していましたが、今月に入って体調が悪化し、4日午
毎週、空港に居合わせた外国人に問いかけ、気になる返答をした人に密着取材をし、来日した目的を果たす様子を伝えているテレビ東京系列のバラエティー番組『YOUは何しに日本へ?』。 2月23日の放送では、「YOUの人生最高の日に密着SP」とし、宝塚歌劇団を観るために初来日したというドイツ人女性2人組に密着しました。 来日のために3年間のルームシェア生活で100万円貯金 26歳のキャサリンさん、25歳のジャネットさんは6年前にYouTubeで宝塚を観て以来、全員が女性だけで構成されるという西洋にはない舞台のスタイル、素晴らしい演技や歌声にハマって“ヅカファン”になったそうです。DVDや写真集、ポスターやカレンダーなどグッズも多数自宅にあるほど。 今回は3週間の滞在で、兵庫・宝塚大劇場で現役タカラジェンヌのミュージカルを観るだけでなく、東京・大阪で元タカラジェンヌが出演する舞台も観るというまさに“ヅカ
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト[1](Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日)は、オーストリア出身のアメリカ合衆国の作曲家・指揮者。神童として知られ、ハリウッド史上最も重要な作曲家の一人となった。 音楽評論家・ユリウス・コルンゴルトの次男として、モラヴィア地方のブリュン(現在はチェコのブルノ)に生まれた。幼い頃から作曲の才能を示し、モーツァルトと同じ名前と相まって「モーツァルトの再来」と呼ばれる程の神童ぶりであった。9歳の時に作曲したカンタータを聴いたマーラーは、「天才だ!」と叫び、11歳の時に作曲したバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の御前演奏として初演され、万雷の拍手をもって迎えられた。 その後も快進撃は続き、12歳で書いた『ピアノソナタ第1番 ニ短調
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ブルックナーの版問題" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2013年10月) 作曲家、アントン・ブルックナーの作品、特に交響曲について、同じ曲名でありながら、異なる版・稿を称する複数の楽譜が存在する。これらをブルックナーの版問題あるいは「版問題」と総称することがある。当項ではその詳細を説明する。 背景[編集] 異なる版・稿を称する複数の楽譜が存在する背景として、しばしば以下が指摘される。 作曲者による改訂[編集] 一つめの背景は、作曲者による改訂である。ブルックナーは作品を完成させてからもさまざまな理由から手を入れることが多か
Woher kommt der Ausdruck "Toi-toi-toi"? 「Toi-Toi-Toi という表現はどこから来たの?」 こういう質問をされて答えられる人はまずいませんよね? 映画 Kevin allein zu Haus ( Home Alone) の中で、両親が空港の人間に息子を家に忘れたことを説明しながら、「幸い荷物を忘れたことは一度もない」と言ってテーブルを3回叩くシーンがあります。 ドイツでも「トイ、トイ、トイ」と言いながらテーブルを拳で3回叩く姿はよく見かけます。 しかし、こういう習慣がどこから来たのか知っている人はなかなかいません。 今日はインターネットで偶然見かけたので、忘れないうちにここに書くことにしました。 「トイ、トイ、トイ」はある人の成功や幸せを祈る場合に言います。 この言葉は、中世に芸人の出番や試験などの前に、肩越しに3回つばを吐いた習慣から来てい
2011年05月24日22:26 カテゴリ 死ぬってなんだ? 今日は以前日記を書いて頂いた達也に石井さんが話を聞いた。 東部道路のすぐ近くにあるミニストップで待ち合わせた。 このブログで何回言っただろうか・・・でも言う。 「空が青い!」 青い空の中更地が広がる閖上を少し回ってみた。 「ん?ここどこだかわがんねーな」 「ここあれじゃね」 などと達也と会話を交わしながら。 目印の建物がないと地元でも道に迷いそうだ。 達也の家に到着。 石井さんと達也 その間少しブラブラと写真を撮った。 奥に見えるのがガレキの山。 その向こうは海だ。 バス。 なにがおきたの?って思ってしまうほど、めちゃめちゃだ。 閖上ではこんな車が目立つ。 津波の力はこんなところからも感じ取れる。 その後閖上小学校体育館へ 入るとすぐにあった。 またしてもメールをぶみこさんから頂いていた。 ”ありがとうございます” 私だったらこ
オットー・アドルフ・アイヒマン(ドイツ語: Otto Adolf Eichmann[1]、1906年3月19日 - 1962年6月1日)は、ドイツの親衛隊隊員。最終階級は親衛隊中佐。 ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 (収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘス (=ルドルフ・へース)) へのユダヤ人大量移送に関わった[2]。「ユダヤ人問題の最終的解決」 (ホロコースト) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。 第二次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にモサドによって拘束され、イスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪、死刑判決が下され、翌年6月1日未明に絞首刑に処された。 アドルフ・アイヒマンは1906年3月19日にドイツ帝国西部ライ
著者プロフィール:松田雅央(まつだまさひろ) ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及び欧州の環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」、「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ」 ドイツ人が持つ日本のイメージをひとことで書くならば「不思議の国」――。伝統を重んじ、武道や華道といった哲学に通じる文化を大切にする一方、先端技術を誇るハイテクの国であり、最近はサブカルチャーの発信地としても注目を集めている。日本に限らずどの国も多様な表情を持つも
すべての番組が今回のために制作されたわけではなく10年前の古いルポルタージュも含まれるが、これほどまとまった数の日本関連番組が一挙に放送されたのは初めてではないだろうか。番組を制作したドイツ人の視点と日本人の視点は異なっており、だからこそドイツに住む日本人が見ても新しい発見がある。 水曜日に放送された「会社のための死」は2000年に制作されたルポルタージュだが、通勤時間を節約するためカプセルホテルに寝泊りする会社員の話や、「全国の自殺者が1日100人を超す」など、ドイツ社会とかけ離れた日本の実態が紹介されている。ドイツの労働者もインフレによる賃金の目減りに直面しリストラの不安を抱えているのだが、ストレスの切迫度が違うようだ。日本に存在する多くの社会問題はドイツにも存在するのだが、困窮者を死に追い詰めず救い上げるセーフティーネットはドイツの方が優れている。その差が大きい。 同じく水曜日の「ク
自分のケーキをスイスの店で売ること。高橋裕則さん ( 36歳 ) のそんな夢がスイス人との共同出資という形でかなった。 スイスのホテルの厨房で働きながら、おいしくて奇麗な日本のケーキをここで売りたいと思い続けた心意気が、スイス1号店を開かせる原動力となった。 稼いでなんぼ 出身は新潟県村上市。上杉氏と戦った戦国武将、庄内氏ゆかりの城下町に明治から操業するパン屋が実家。高橋さんで4代目になる。高橋さんは一人っ子でもあり、家業を継ぐのが当然のような環境にあったが「人とは何か違うことをしたい」と常に思ってきたという。 18歳で上京し、誠心調理師専門学校でフランス菓子を学んでいる時にテレビ番組「テレビチャンピオン」シリーズの中の「パン通選手権」に出場するよう、学校から命じられた。パンの欠片を食べて銘柄を言い当てるゲームで準優勝したのがきっかけで、卒業後も教員として学校に残ることになった。「成績も良
[ベルリン 20日 ロイター] ドイツ人は一般的にほかの欧州諸国の人々よりも未来に対して悲観的であることが、ドイツの2つの調査で分かった。 調査によると、今後5年間で暮らし向きが良くなると考えているドイツ人は30%だけで、欧州連合(EU)27カ国の平均を下回った。 社会科学リサーチ・センター・ベルリンとマンハイムのCentre for Survey Research and Methodology(ZUMA)が調査を行った。 ZUMAのシニア・リサーチャー、ハインツ・ヘルベルト・ノル氏は20日、ロイターに「ドイツ文化なのかもしれない。われわれは皆、ドイツ人の『漠然とした不安』を聞いたことがある」と述べた。 イギリスでは、51%が今後5年間について楽観的な見方をしていた。エストニアでは65%と、さらに未来を楽観視する人が多かった。 この調査は、世界的な金融危機が起きる前に数千人の欧州各国の人
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