ベルリン工科大学観光歴史アーカイブに所蔵されているKdFの旅行パンフレット。「休日の旅を 1938」とある=玉川透撮影 ■世界最大の旅行代理店 ナチスが1933年に発足させたこの組織は、「KdF」という略称で呼ばれ、イタリアのファシスト党が組織した「ドーボ・ラボーロ」(労働の後)をモデルとしていた。 「ナチスは、それまで富裕層のシンボルだった『余暇』を、労働者にも手の届くものにしようとしたのです」。ベルリン工科大学観光歴史アーカイブのハッソ・シュポーデ教授(67)は、こう指摘する。 シュポーデ氏によれば、ナチスが政権をとる以前から、ドイツは他国と比べても「休み」を重視するお国柄だったが、それでも多くの企業で有給休暇は年3、4日しか認められていなかった。たとえ休みがとれたとしても、旅行は何カ月分もの給料に相当する費用がかかり、当時の労働者たちには高嶺(たかね)の花だった。 「ナチスの幹部たち