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寺院に関するvladimir-kyotoのブックマーク (15)

  • 命を落とす危険も? 参拝するのが日本一危険なお寺に行ってみた | 日刊SPA!

    国内には約7万7000の寺院があるといわれるが、なかでも“日一危険”と評されるお寺がある。鳥取県のほぼ中央、三朝町にある『三佛寺投入堂』だ。 この投入堂は三佛寺の奥院で、建っている場所は切り立った崖の窪み。706年、修験道の開祖として知られる役小角(えんのおづぬ)が法力の力で仏堂を投げ入れた伝えられている。 近年の科学的調査により平安後期の建築物とされているが、「なぜこんな場所に?」と思わず首を傾げたくなる。現在と違って重機のない時代にどうやって建てたのか、その工法については今も謎のままだ。 しかも、参拝するには高低差160メートル、距離にして700メートルも山道を登らなければ拝むことすらできない。この登山道が曲者で、道とは名ばかりの険しさで過去には滑落による死亡事故も起きている。 調べたところ、2003年以降に投入堂へ向かう途中で亡くなった人は少なくとも5人。参拝途中で命を落とすほどの

    命を落とす危険も? 参拝するのが日本一危険なお寺に行ってみた | 日刊SPA!
  • 聖徳太子ゆかりの寺に「ギャグマンガ日和」のダンボール迷路が爆誕 四天王寺にコラボの経緯を聞いてみた

    四天王寺といえば、聖徳太子の戦勝祈願をきっかけに建立されたと伝えられる歴史ある寺院です。この由緒によって聖徳太子信仰の中心として栄えてきた古刹(こさつ)が、なんと今、増田こうすけ『ギャグ漫画日和』(現在の題は『ギャグ漫画日和GB』、以下『ギャグ漫画日和』/集英社)とのコラボイベントを開催しています。期間は6月5日~9日までです。 四天王寺×ギャグマンガ日和コラボのポスター(四天王寺活動報告ブログより引用) 告知ポスターには『ギャグ漫画日和』の聖徳太子が、ジャージではなく家の聖徳太子の装いで登場。まさか「家」の聖徳太子と「飛鳥文化アタック」をする方の聖徳太子がこのような形でコラボするとは、誰も予想できなかったのではないでしょうか。 一体なぜこの企画が実現したのか? ねとらぼ編集部では、四天王寺に取材を行い、今回のコラボの経緯を聞きました。 四天王寺×ギャグマンガ日和コラボのポスター裏面(

    聖徳太子ゆかりの寺に「ギャグマンガ日和」のダンボール迷路が爆誕 四天王寺にコラボの経緯を聞いてみた
  • 乗らずに歩いて…「鉄道事業者」鞍馬寺の願い

    鞍馬寺は牛若丸こと源義経が修行をした地で、650万年前に護法魔王尊(鞍馬天狗)が金星から降臨した伝説がある。京都の水神をまつる貴船神社と共に、パワースポットとして人気を集めている。 鞍馬寺は、山上にある堂への移動手段として、ケーブルカー「鞍馬山鋼索鉄道」を運行している。全長6mの車両が行き来するミニ鉄道だが、JRや私鉄と同様、国土交通省から鉄道事業許可を受けている。宗教法人が運営している国内唯一の事例で、路線延長207mと日最短の鉄道でもある。 筆者は以前、旅行雑誌の取材で訪れたとき、信楽香仁(しがらきこうにん)貫主(かんす)から「できれば、ケーブルカーに乗らないで、山を散策しながらお越しいただきたいですね」と説明を受けた。 利用者が減ると、当然、採算は苦しくなる。鉄道事業者としては異質の方向性を示している考え方を知りたくて、鞍馬寺へ向かった。 全長6mのミニ車両 5月10日、京阪電鉄

    乗らずに歩いて…「鉄道事業者」鞍馬寺の願い
  • 1300年記念の大法要 「西国三十三所」草創 - 日本経済新聞

    岐阜県と近畿2府4県にまたがる日最古の巡礼路「西国三十三所」の草創1300年を記念する大法要が15日、奈良県桜井市の長谷寺で33寺の住職ら約300人が参加して営まれた。ボタンやシャクナゲが咲く境内の登廊を堂まで練り、尊(十一面観世音菩薩立像)に1300年を奉告。記念事業実行委員長で宝厳寺(滋賀県長浜市)の峰覚雄管主は、法要参加者らに「観音様の心である相手の心を感じ取る心、思いやりの心を1

    1300年記念の大法要 「西国三十三所」草創 - 日本経済新聞
  • 大阿闍梨、京都御所に土足参内 戦後14人目 : 京都新聞

  • 増上寺・将軍家の廟所 | 須賀谷温泉のブログ

    増上寺・将軍家の廟所 三縁山増上寺は、明徳4年(1393)に浄土宗第八祖西誉聖聰上人により武蔵国豊島郷貝塚(現在の東京千代田区平河町から麹町あたり)に開山された寺である。 開山当初から東国における浄土宗の重要な拠点として位置づけられてきた寺であったが、戦国時代の終わりに関東の地を賜った徳川家康によって、徳川家の菩提寺としての地位を不動のものとした。 家康が時の住職であった源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依していたためと言われている。 その後、慶長3年(1598)に今の芝の地に移転し、三(さん)解脱門(げだつもん)、経蔵、大殿などの諸堂が相次いで建立されて山内は徳川家の菩提寺としての威容を整えていった。 増上寺・三解脱門 こうして増上寺の歴史を見てくると、増上寺は徳川幕府の樹立前から徳川氏との間に深い関係が構築されていたことがわかる。 元和2年(1616)、家康は増上寺にて葬儀を行うこ

  • 徒然ごった日記 徳川家墓所転売始末

  • 4階建てビル相当の掛け軸、奈良で公開 » Lmaga.jp

    2018年に1300周年を迎える日最古の巡礼道「西国三十三所」。その開祖・徳道上人ゆかりの「長谷寺」(奈良県桜井市)で来春、4階建てのビルに相当する日最大の掛軸が公開される。 普段は非公開の大講堂で公開されるのは、高さ約16メートル、横幅約6メートル、重量125.5キログラムにも及ぶ「尊御影大画軸」。室町時代の明応四年(1495)に、御尊の十一面観世音菩薩立像が罹災したため、その復興の設計図として南都絵師・法眼清堅が画いたもので、ほぼ原寸大で御尊が画かれている。そのあまりの大きさから掛ける事はできず、斜めに寝かせて展示されるという。 徳道上人が、師の道明上人とともに長谷寺を創建し、高さ約10メートルの巨大な御尊・十一面観世音菩薩立像を造立。霊木で造られた御尊は霊験あらたかで信仰を集め、長谷寺は観音信仰発祥の地として信仰の一大拠点であった。それ故に「西国三十三所」でも重要な意味

    4階建てビル相当の掛け軸、奈良で公開 » Lmaga.jp
  • 大福寺「崖観音」(千葉県館山市) - 日本経済新聞

    「崖に境内がある!?」。千葉県館山市、JR内房線の那古船形駅から歩いて約15分のところに、その寺はある。船形山大福寺といい、境内が朱塗りの観音堂は山の中腹に浮かぶように建ち「崖観音」と呼ばれている。不思議な光景が観光客の注目を集める。寺の正面の階段を上ると堂があり、観音堂に行くには左手にある階段をさらに上る。勾配は比較的ゆるやかで、子供やお年寄りでも上れる。観音堂の尊は「十一面観世音菩薩(

    大福寺「崖観音」(千葉県館山市) - 日本経済新聞
  • 千手観音、腕1000本無い説

    観光や修学旅行の定番の行き先である、京都。長い歴史をもつ古都には、多くの寺社仏閣が目白押しです。中でも、1000体の千手観音像が並ぶ三十三間堂は特に有名ですね。その神々しさに圧巻されたあと、ふと思います。 「……当に1000体もいたんだろうか?」 これはおおよそ当です。三十三間堂には1001体の千手観音像があるとされています。ただし実際には、何体かは東京国立博物館などの博物館に寄託されているとのこと。正確には1000体ちょうどには足りないようです。 では、同時に湧くこの疑問はどうでしょう? 「……当に1000も腕があるんだろうか?」 この疑問を解消するのは簡単です。少し立ち止まって数えてみれば良いのです。すると、たった(?)42しかないことがすぐ分かります。 実は「千手観音像」と呼ばれる像は、42の腕を持つのが一般的です。これは、合掌している2以外の40で、それぞれ天国から

    千手観音、腕1000本無い説
  • 七観音院,Shichikannon-in Temple "Kyotofukoh"

    住宅地に東面して七観音院(しちかんのん-いん)が建つ。正式には如意輪山浄仏寺という。 明算真言宗、尊は如意輪観世音菩薩。 なお、2022年時点で境内は駐車場になっていた。 ◆歴史年表 鎌倉時代、1194年、第80代・高倉天皇妃・七条院殖子(しょくし)が、天皇持仏の如意輪観世音菩薩を、当初、烏丸通六角(中京区七観音町)の地に遷して創建したという。護持院と呼ばれた。開基は澄憲ともいう。(『京都府地誌』) その後、持仏の六観音も遷され安置したことにより七観音院と呼ばれた。 室町時代、浄土宗に改める。 応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。 文明年間(1469-1487)、再建される。 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉の命により京極中御霊(上京区)に移される。 江戸時代、1663年、現在地に再移転した。 1685年、洛陽三十三所観音の8番札所とされた。(『京

  • 善能寺〔泉涌寺〕,Zenno-ji Temple "Kyotofukoh"

    「日最初稲荷神石社」の碑 祥空殿 祥空殿 日最初稲荷神石社 稲荷大神 弁財天 「南無観世音 藤はようらく(揺落)空に散る」、俳人・荻原井泉水の句碑。 庭園「遊仙苑」 航空機にも見える立石の石橋。 サザンカ ムラサキシキブ 雲紋築山、雲とも飛行機の形を象ったともいわれている。かつては白砂敷きに苔地の築山になっていたという。 善能寺(ぜんのう-じ)は、泉涌寺塔頭の一つに数えられる。古くは、「二階堂」とも称された。 真言宗泉涌寺派、尊は阿弥陀如来像を安置する。 堂の聖観世音菩薩は、洛陽三十三観音巡礼第18番札所になる。御朱印は泉涌寺で授けられる。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 平安時代、823年/806年、4月、弘法大師空海の開創ともいう。稲荷大明神を祀り善能寺と号した。もとは、西八条北猪熊(八条油小路、下京区二階堂町)にあったという。東寺の東であり、稲荷神の地仏・聖観音を祀る

  • 京の霊場 洛陽三十三所観音(比較)

    洛陽三十三所観音は平安時代末期に定められたとされ、室町時代の永享3年(1431)頃は行願寺に始まり北野天満宮に終わる順路が一般的でした。 応仁・文明の乱(1467-1478)で荒廃した後、中興された寛文5年(1665)以降に六角堂に始まり清和院に終わる順路が定着したようです。 文化11年(1814)刊の観音霊験記は、貞享4年(1687)刊の版木を流用した再版であることが知られています。

  • 近畿三十六不動尊霊場 | 巡礼自由帳

    近畿三十六不動尊霊場は大阪府・兵庫県・京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県にまたがる巡礼コースです。古寺顕彰会を中心に札所寺院の選定が行われ、昭和54年(1979)に発足しました。なお、札所の数三十六は、不動明王の眷属(けんぞく)の数に由来するとされています。 36ヶ所の札所の地点を、Googleマップで表示します。 札所一覧 近畿三十六不動尊霊場の一覧です。全ての札所尊は不動明王です。 ※札所や御朱印の授与について変更している場合もありますので、最新情報をご確認ください。 第1番 四天王寺 所在地:大阪大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 第2番 清水寺 所在地:大阪大阪市天王寺区伶人町5-8 第3番 法楽寺 所在地:大阪大阪市東住吉区山坂1-18-30 第4番 京善寺 所在地:大阪大阪市東住吉区桑津3丁目21-9 第5番 報恩院 所在地:大阪大阪市中央区高津1丁目2-28 第6

    近畿三十六不動尊霊場 | 巡礼自由帳
  • 護浄院(清荒神)/京都フォトクリップ

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