A new culture blooms in the home of traditional craftsmanship. 昔ながらのものづくりの街に生まれた、新たなシーン
奇跡の橋といわれる岩国(いわくに)の錦帯橋(きんたいきょう)、海上の世界遺産嚴島神社(いつくしまじんじゃ)、そして断崖に建つ阿伏莵(あぶと)観音堂。広重が『六十余州名所図会』に描いたこの景勝地は、今も江戸時代と変わらない姿で迎えてくれます。では、広重目線で楽しむ瀬戸内の旅へと出かけましょう。 一、 錦帯橋(きんたいきょう) 写真提供岩国徴古館。歌川広重『六十余州名所図会 周防 岩国錦帯橋』大判錦絵 嘉永6(1853)年岩国徴古館蔵 広重お得意の鳥瞰図的構図で描かれた錦帯橋。広重の描いたこの橋は、昭和25(1950)年に流失するまで存在した。 錦川と錦帯橋 歌川広重晩年の傑作『六十余州名所図会』には全国68か所の名所が描かれています。その名作の地を訪ねる旅として和樂が選んだのが、瀬戸内沿岸の岩国、宮島(みやじま)、鞆の浦(とものうら)。ここには広重が描いた名所(広重は実際には足を運んでいない
江戸のにぎわいに想いをはせつつ1日下町散歩 江戸に生まれた広重は故郷を愛し数多(あまた)の名作を手がけたことで知られています。その広重は、現代散歩の聖地、谷中、上野、湯島をどのように描いていたのでしょう。ここでは広重の浮世絵とともに下町散歩のおすすめルートをご紹介します。 広重の名画を巡る下町散歩、まずは江戸の人々にとって虫聞きNo.1スポットであった道灌山(どうかんやま)から始めましょう。道灌山は江戸城を築城した太田道灌の住居があった場所。江戸時代になると庶民にも開放され、秋の虫の音、花見、月見の名所として大変な人気でした。当時はここに集まる観光客目当てに多くの団子屋が店を出したそうです。その眺めはJR西日暮里駅の線路にとって代わられましたが、目をつぶると広重も聴いた虫の音が聞こえてきそうです。 道灌山(東京・日暮里) 歌川広重『東都名所 道灌山虫聞之図』大判錦絵天保10~13(1839
日本全国を浮世絵に描いた風景画の天才、歌川広重(うたがわひろしげ)。東京に生まれた広重は、名勝・景勝地を描いたと同じように、東京の下町に暮らす人々の生活の一部を切りとったような景色を愛し、描きました。湯島天満宮にお参りする人々、その鳥居の脇の茶屋で宴を楽しむ男性たち。満開の桜の上野公園や千駄木の団子坂。そして庶民の憩いの場であった〝虫聞き〟の名所、道灌山(どうかんやま)。 前回の「散りゆく桜の下…上のお花見、下町散歩」でご紹介した湯島から上野公園に続き、本日は上野公園から歩を進め、広重が描いて谷中、根津、千駄木の、通称〝谷根千(やねせん)〟へまいりましょう。 写真/東京では希少価値となった木造3階建て建築の「はん亭」 上野から根津へ… 清水観音堂(きよみずかんのんどう)から弁天堂、不忍の池(しのばすのいけ)の縁を通って根津方向へ。不忍通りでひときわ目を引くのが、木造3階建てのレトロな建物、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く