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遺跡に関するvopinkpunkのブックマーク (5)

  • 古代都市テオティワカン(Pyramid of the Moon) | メキシコの世界遺産

    2016年9月7日 雨期のメキシコで俺たちは、ずっと晴れの日が来るのを待っていた。メキシコに到着して約一週間が過ぎ、ようやく天気予報でもこの日なら大丈夫だろうと言う日がやってきた。 そう、俺たちはメキシコシティで一番楽しみにしていた遺跡、古代都市テオティワカンに向かったのだ!俺たちはどうしてもこの遺跡だけは青空をバックに撮影したかったのだ。気合いの入り方が違う。 そして、予定通りにこの日はスカっと壮快に晴れてくれた。 テオティワカンへの行き方 メキシコシティからテオティワカンへの行き方は、地下鉄5番線、メトロ・アウトブセス・デル・ノルテ(Autobuses del Norte)駅から徒歩すぐのバスターミナルへ行って8番カウンターでテオティワカン行きのチケットを購入。帰りのチケットを買う場所が良くわからないので往復で買っておいた方が良い。料金は往復で92ペソ(約500円)と激安。テオティワカ

    古代都市テオティワカン(Pyramid of the Moon) | メキシコの世界遺産
    vopinkpunk
    vopinkpunk 2017/07/12
    「月(死)のピラミッド」Pyramid of the Moon
  • 世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

    電話番号:092-643-3162 ファックス:092-643-3163 お問い合わせは下記E-mailアドレスにお願いします。 □を@に修正してください。 sekaiisan□pref.fukuoka.lg.jp

    世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
  • 「日本遺産(Japan Heritage)」について | 文化庁

    お知らせ 令和5年度「日遺産審査・評価委員会の審議結果」(日遺産認定地域の今後の審査等について)(令和6年1月12日) 日遺産認定地域の今後の審査について(186KB) 日遺産の認定取消しが生じた場合の対応について(検討の方向性)(110KB) 令和5年度「日遺産審査・評価委員会」の審議結果について(令和5年12月1日) 令和5年度における「日遺産審査・評価委員会」の審議結果について 令和5年度日遺産審査・評価委員会審議結果(条件付き認定地域及び候補地域における評価の進め方について)(令和5年10月31日) 令和5年度日遺産審査・評価委員会審議結果(条件付き認定地域及び候補地域における評価の進め方について) 日遺産認定地域における情報発信モデル事業採択結果(令和5年9月29日) 日遺産認定地域における情報発信モデル事業採択結果の採択結果について 日遺産認定地域における

  • Secrets of the Maya Otherworld:セノーテ マヤの聖なる泉 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

    メキシコ・ユカタン半島のマヤ遺跡を調査。セノーテと呼ばれる聖なる泉と、ピラミッド「エル・カスティージョ」の謎に迫る。 文=アルマ・ギエルモプリエト/写真=ポール・ニックレン、ショール・シュウォーツ 中米で栄えたマヤ文明。石のピラミッドを築き、精緻な暦を作ったマヤの人々は、セノーテと呼ばれる聖なる泉と洞窟に、雨の神チャクが宿っていると信じていた。 今でもメキシコのユカタン半島では、農民たちが供物を捧げて神に祈り、雨乞いの儀式を行う。 考古学者たちはここ20年ほどの間に、これらの洞窟やセノーテ、そして太陽の天頂通過といった現象に注目するようになった。 マヤの人々の信仰や世界観に、セノーテはどのような役割を果たしていたのだろう。洞窟とセノーテが、雨の神チャクが住む異界への入り口だと考えられていたことはわかっている。だがその事実と、マヤ文明を代表する都市遺跡、チチェンイツァの建造物や都市計画との関

    Secrets of the Maya Otherworld:セノーテ マヤの聖なる泉 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
  • マヤの水の神殿を発見 “激動の時代”の爪跡か

    ベリーズの静かな森にたたずむ深い泉に、古代マヤの人々に“干ばつカルト”が広がっていたことを示す遺跡が眠っていた。マヤの人々は、文明国家が滅びないようにと雨の神に供物と祈りを捧げたようだ。 今回、考古学者のグループがベリーズのカラ・ブランカで発見したのは、水の神殿の遺跡だ。小さな広場があり、朽ちた小屋と小さな2つの建造物の名残がみられる。中心となる建造物は、人々がマヤの雨の神や地下界の悪魔に供物を捧げたとみられる深い泉の淵にひっそりと建っている。 ベリーズのカラ・ブランカにある泉を探索した結果、干ばつ期に神への供物が増えていたことがわかった(Photograph by Tony Rath Photography) 遺跡からは、古代マヤ文明の崩壊期に干ばつに見舞われた人々の信仰が見てとれる。ピラミッドを築いたマヤ文明は、長きにわたり中央アメリカの広範囲で繁栄したが、西暦800年以降、ほとんどの

    マヤの水の神殿を発見 “激動の時代”の爪跡か
    vopinkpunk
    vopinkpunk 2015/02/03
    マヤ文明[歴史][海外]
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