MRJで戦後が終わる 素材の分野でも、部品に関しても高い技術力を誇りながら、航空機産業分野で日本は世界の下請けの地位に甘んじてきた。戦前は数々の戦闘機を開発し航空王国といわれたが、敗戦によって航空機の生産、研究が7年も禁止されていたからだ。その禁止期間が明け、戦後の旅客機開発第1号となった「YS−11」も販売数が伸びず生産中止に追い込まれた。 半世紀近い雌伏の時を経て、三菱重工業は今年3月28日、官民の悲願ともいえる国産初の小型ジェット旅客機、MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)の事業化を決めた。日本の技術力をもってすれば、ジェット機の製造自体はそう困難ではない。ただし、事業化となると話は別だ。 小型ジェット旅客機市場には、カナダのボンバルディア、ブラジルのエンブラエルなどライバルがひしめき合っている。高成長が見込まれるとはいえ、他機より秀でた性能を明確に示さなければならない。それが