条約改正が実現し、内地雑居が近く行われる。しかしわが国の商業者の知識は昔と変わらない。このままで進むと対等条約と内地雑居の実施の結果、わが国の商業界は外国人に独占されることになろう。自分が外国に支店を設けて有為の青年を派遣してきたのは外国人に対抗するためである。そこで、自分の還暦と結婚満25年を記念して、商業学校を設けて多数の商業者を育成し、世のために尽くしたい。 大倉 喜八郎 創立委員として大倉の友人である石黒忠悳(大倉商業学校と大倉高商で理事・督長を歴任)・渡邊洪基(大倉商業学校の督長を歴任)・渋沢栄一が参画し、1919年には旧制専門学校の大倉高等商業学校(大倉高商)を開校。1946年には大倉経済専門学校(大倉経専)として現在の国分寺キャンパスに移転、その3年後に大学に昇格[2]。 創立時の所在地は、大倉喜八郎の邸宅(現在はホテルオークラ、大倉集古館が建つ)の隣接地であった東京市赤坂区