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*コミュニケーションとWebに関するwebmarksjpのブックマーク (4)

  • 「罵倒に耐える」という感情システムは、観測範囲が生活圏周辺しかなかった時代の盲腸なのではないだろうか? - otsune風呂

    罵倒コメントを貰いたくないのならブログなど書くな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 そして、私は罵倒コメントを否定はしない。したければすればいいという考えだ。どの様なコメントを貰ったとしても、私は耐えるよ。どちらがどうであるかという判定はそれを見ている者が決めればいい事だ。私は読んだ物に対しての素直な感想をただ綴るだけだからな。だから、私の書いたもので「酷い」と思ったのなら、それを素直に書いて貰っても良い。極端な話、そういう態度が全てのブロガーには必要なのではないかとまでも思っている。 2chスレでもコメント欄でも、ごく数人のアンチが工夫をする事によって何十人もの反対派が居るかのように工作する事は難しい事ではない。それに人間は判断を視覚に頼りすぎている面が有る。ブラウザを使っている時に0クリックもしくは1クリックで見えてしまう場所に罵倒文が見えると、古い時代の感覚によって感情が揺さぶられるというア

    「罵倒に耐える」という感情システムは、観測範囲が生活圏周辺しかなかった時代の盲腸なのではないだろうか? - otsune風呂
  • ★ 電脳ポトラッチ: 暴言を言う自由はあっても正論を言う自由はないとはこれいかに

    暴言を言う自由はあっても正論を言う自由はないとはこれいかに ・「どうしてくれるんだ」 40代男性患者の病室で怒声が響いた。病室に入った女性看護師が、理由も告げられないまま、1人ずつほおを平手打ちされた。関東にある大学病院でのことだ。 泣きながらスタッフルームに戻ってくる若い看護師の様子を不審に思った看護師長が患者に問いただすと「腎臓病の治療がうまくいかず、透析になったことが受け止められなかった。腹がたって誰かにぶつけたかった」と打ち明けた。 医療従事者が患者やその家族から暴力や暴言を受けるケースが増えているという。 患者がこうした怒りを医療従事者にぶつける背景には、医療への過剰な期待がある。かつては「仕方がない」とあきらめるしかなかったことも、医療の進歩で、「どんな病気でも病院に行けば治る」「治らないのは医師の治療方針が間違っていたせいだ」と考えてしまう患者が多くなったという。 教

  • 『私は、私自身の原因である』 - kom’s log

    殺害予告を私は受けたらしい。 2007 年10月07日 hashigotan 殺, やられた分の反撃「なんじゃこりゃ」とはなんやねんオドレは調子に乗るなよ若造が!お前は不妊治療中の女と子供の居ない女を敵に回したも同然の反応を示したのだお前のような糞ガキに人の痛みが解るわけなかろうがチンコ切り落とすぞ 殺す、といわれたのは実に久しぶりなので経緯などを含めてメモしておく。一ヶ月前にたらたらとネット・トラバースしつついろいろな記事を読んでいて、「なんじゃこりゃ」という短いコメントを付してとある記事をブックマークした。、『世の中の非常識な子連れ主婦に対して注意したい事(俺が納得するまで続く)』という文章である。5つの節にわかれており、社会道徳を説いている。そしてこの社会道徳はどうやらこの筆者自身が感じている不快さによって根拠付けられる道徳らしい。これに私は少々困った。社会道徳と、筆者の個人的な不快

    『私は、私自身の原因である』 - kom’s log
  • 自分のBlog内で本名を書かれた

    最近、Blogを始めたばかりの初心者です。 いろいろな人の意見が聞きたいのですが… ことの発端はブログをはじめたことです。 何個か記事を書いて…嬉しかったので、さっそく友達数人に教えました。 数人の友達が見てくれたみたいでコメントを残してくれました。 すると、1人の友達がコメント欄に、否定的なコメントと私の名(名字を漢字で)を書かれました。 やっぱり、他の人(実家の家族も)も見てるし、ちょっと珍しい名字で嫌だったので友達にメールで「名前はちょっと…削除していい?書き込んでくれたのにごめん。」って送りました。 そしたら、「削除してもいいけど。名字があるからって削除するっておかしい。」と言われました。 その前にもちょこっとだけイタズラの書き込みもあったので「公序良俗に反する内容は書かないでください。」などの禁止事項みたいなことを書いていました。それを見てその友達が「色々と規制があるみたいで意

    自分のBlog内で本名を書かれた
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