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Historyと人に関するwebmarksjpのブックマーク (3)

  • 川内康範先生の想い出(1): たけくまメモ

    ←ダンディな川内康範先生 齢87になって、再びマスコミをにぎわせておられる川内康範先生ですが、愛弟子であったにもかかわらず礼儀を失した森進一を破門したり、押しかけた無礼なテレビクルーに向かってステッキを振り回して一喝するなど、お元気そうでなによりです。ステッキの翌日はマスコミ各社にお菓子をふるまわれるなど、怒っても気配りを忘れないところもさすがといえます。 俺が川内先生に最初にお目にかかったのは1994年8月のことでした。当時仕事をしていた雑誌『クイック・ジャパン』(太田出版)で、俺は「QJ名物老人インタビュー」と呼ばれた連載をしていました。オリバー君を日に呼んだプロモーター康芳夫氏・「怪獣図鑑」の挿絵画家・石原豪人先生に続いて、川内先生は三人目でしたが、なにしろあの『月光仮面』『レインボーマン』の原作者であり、お元気なうちにぜひお話を伺いたいと思っていたのです。 ←川内インタビューが載

  • 川内康範先生の想い出(2): たけくまメモ

    ←インタビュー中、赤田祐一編集長が撮影した川内先生(QJ創刊2号) QJ川内インタビューのある意味での白眉は、戦時中先生が徴兵されて海軍に入ったあたりの話ですが、ここで先生は決定的な体験をします。そこは最近「森進一が怯える川内康範の知られざる履歴書」という記事を載せた「週刊新潮」ですら遠慮して書かなかった部分で、先生の秘書から「私も初めて聞きました」とまで言われた重要な話なのですが、先生が戦後、玉砕した英霊たちの遺骨収集活動に邁進され「憂国の士」となったきっかけとして、非常に納得できる話でした。 ずるいようですが、詳細はこの秋再刊される文庫にゆずります。まあごく簡単に書くなら、先生には「病気除隊」して自分だけが生き残り、多くの戦友が死んだことに対する後ろめたさというか、贖罪意識があるわけです。その話をされたとき、先生は声をつまらせ、ふりしぼるように「俺は卑怯者だ!」と慟哭されたことが昨日

  • 慰安婦問題の再調査が必要だ - 池田信夫 blog

    慰安婦をめぐって、なぜか海外メディアの報道が過熱している。驚くのは、その事実認識の杜撰さだ。特にひどいのはNYタイムズの1面に出た記事で、3人の元慰安婦の証言を引用して「過去の否定は元性奴隷を傷つける」と題しているが、彼らは強制連行とは関係ない。台湾人と韓国人は軍に連行されたとは証言していないし、オランダ人のケースは軍規に違反した捕虜虐待事件で、軍は抗議を受けて慰安所を閉鎖した。 LAタイムズもワシントンポスト(AP)もEconomistも、具体的な根拠をあげずに「性奴隷が存在したことは歴史的事実だ」と断定している。そろって慰安婦の数を「20万人」としているところをみると、出所は吉見義明氏のの英訳(およびその孫引き)だと思われるが、この数字は当時の国内の公娼の総数が17万人だったことから考えてもありえない。秦郁彦氏の推定では、2万人弱である。しかも吉見氏でさえ、軍が強制連行した証拠は見

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