世界遺産の日光山輪王寺(栃木県日光市)の大猷院境内の「二天門」にある四天王像の一つ「増長天」が少なくとも約240年間、「広目天」と誤った名称で呼ばれていたことが、輪王寺への取材で分かった。輪王寺は既に看板を修正した。 輪王寺によると、四天王は広目天、多聞天、増長天、持国天からなり、二天門では向かって右側に広目天、左側に持国天の像が立っているとされてきた。 平成26~30年、半世紀ぶりに二天門を修理した際、2体についても調査。本殿で筆を手にした本物の広目天とみられる像が発見され、広目天とされてきた二天門の像は刀を手にしていることから、増長天と結論付けた。 広目天と呼ばれてきた像の内側に、寛政9(1797)年に書かれたとみられる「廣目」との書き込みが見つかっており、二天門に広目天と持国天があるとの安永7(1778)年の記録もある。このため、少なくとも約240年前から誤って認識されていたという。