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ブックマーク / www.sinseihikikomori.com (9)

  • 不倒城のしんざきが書く糞以下のテキストを、僕等はもう二度と目にしなくて済む事を祝う日。

    私達は、自らの体験について語る事に極めて抑制的である。私達というのは、ゲーマーであり、かつテキストを書いている人間のことである。そのような態度に陥らざるを得ない最大の理由は、老人の昔語りは美化された自らの人生歴史に対する言及に他ならず、即ちそれは自虐であろうとなんであろうと自慢である事を避けられず、私達によるゲームに対する言及は、年配者の自分語りによる自慢へと陥る事を避けられない。人は雑談をしているつもりが説教になるだとか、人は親身になってアドバイスをしているつもりがうざいだけの自慢になるといった、我が国に存在している当たり前の事は、当然のようにして私達の身に降りかかる。 こと、ビデオゲームはさらに大変である。 ビデオゲームは全てが接続されている。突然変異的にいきなり生まれたビデオゲームなどは存在しない。何かがあって何かがある。2018年に流行っているゲームのどれか1つを遡って辿れば

    white_rose
    white_rose 2018/05/15
    真引きさん久し振りだー。この人ちゃんとしたライターやればいいのにな。もったいない。
  • 山口県に憧れて。

    山口県で1人の男が何人かを殺して山に逃げたという話を目にした。人口は10人ほどで、皆老人ばかり。山口県というところは、殺したい人を簡単に殺せる、夢のような世界だ。殺人が日常的に横行するメキシコの麻薬カルテルの大ボスですら、こうは行かない。対麻薬戦争を裏で牛耳るバラクオバマを殺したいと思っても、その願いは叶わないし、それどころか自国のフィリペカルデロンすら殺せずに終わった。プーチンも毛沢東もスターリンも、大勢の人を殺したが、殺したい人を殺せたわけではない。スターリンがヒトラーを殺したいと願わなかったとは信じがたい。世に言う殺人鬼はどこかで妥協し、どこかで自分の心を裏切っている。当に殺したい人はどこか他の場所に居たはずだ。しかし物理的に殺せなかった。だから諦めた。小学校で包丁を暴れた人殺しも、秋葉原の路上で暴走した人殺しも、三菱の工場で人を刺した人殺しも、皆妥協の産物として人を殺した。当に

  • インターネットはつまらなくなった。

    「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」 は言い過ぎとしても いやはや結構。 ようするにおまえ、おまえな。おまえ。 おまえがくだらないのおまえ。 こう揶揄した光景を、僅か二日後に実際に目にするとは。 インターネットはつまらなくなった。 なぜならば、インターネットはあほくさくなくなったからだ。 かつてのインターネットはあほくさかった。 何をやっても得られるものはなかった。 コメントもなかった。 web拍手もなかった。 いいねもなかった。 リツイートもなかった。 グーグルもなかった。 アドセンスもアフィリエイトもなくて、 アクセスカウンタすらなかった。 アクセスカウンタがないと、書いても書いても、それが人に読まれているのかどうかがわからない。そんな空間で何かを書き続ける。それはとてもナンセンスで、とてもあほくさい行為だった。それでも人々が何かを書いていたのは、他にやる事がなかったからだ。あ

    white_rose
    white_rose 2013/08/25
    あ、ちゃんとブクマされてた。/確かに老害っぽいw
  • わーい、はてなブックマーク出来たよ-!

    明日の真性引き篭もりhankakueisuuこそが 最高の真性引き篭もりhankakueisuu。 そんな意味不明な思想を満たす為、そしてまた、古いエントリーの方が面白いという現実から逃避する為に、過去ログへのリンクすら決して貼らないブロガーだったのに、何の因果か、どういう風の吹き回しか、10日ほど前の真夜中に、「さくっとスクリプトを書いてはてブ数順の過去ログの一覧でも作ろう」と企て、目標期限を一週間後の18日の午前1時くらいに設定したところまでは良かったものの、主に僕の責任ではなく、なんとなく気が進まないとか、そういった完全に外部的な理由により、目標期限を4日もオーバーしてしまったのだけれど、日付変更線の向こう側はまだ、5月18日の午前1時だという事で、ちゃちゃっとスクリプト作って動かして、ぎりぎりセーフで間に合った。滑り込みセーフ。誰がなんと言おうと、今日は5月18日。はい論破。 ◆

    white_rose
    white_rose 2012/05/24
    いつのまにか昔のエントリが読めるようになってる。感謝!
  • もう僕には何も書けません。

    「誰かをがっかりさせたくない」なんて思ってしまうと、ブログなんて、書けなくなります。そして僕はもう既に随分と前から「誰かをがっかりさせたくない」と思ってしまっています。もう、ブログなんて書けません。随分と前から書けません。そしてもう、二度と書けやしないでしょう。全ては妄想が悪いのです。全ては希望が悪いのです。 そもそも、「誰か」なんてものは存在しません。架空の存在です。がっかりさせたくない誰か、なんてものは、当は居ないのです。誰も居ません。一人も居ません。ただの一人も存在しません。全ては妄想の産物なのです。もはやこのブログには、一人の誰かも存在しません。誰もいないのです。人間は居ないのです。生き物は死に絶えました。心は息絶えました。あるのは石です。石ころです。 「どうですか、この石を見てみなさい。」 仕方が無しに僕は見ます。 「ここが足で、ここが首ですよ、そしてこの辺りが角ですね。わかり

  • 誰がブログを殺すのか。

    幾つかのブログの真性引き篭もりに対する言及を見ていると、頭が痛くなってくる。 かつて、俺たちはインターネットだった かなり名の知れたブロガーでさえ、この程度の事しか書かない。 だから僕はこんな糞エントリーを書かざるをえない事態に追い込まれた。 菊千代は死んだ。 なぜだ。 菊千代は死なない。 なぜか。 「菊千代はなぜ死んだのか。」 その問いに対する回答は、完結にして明瞭である。 映画だからだ。 映画だから菊千代は死んだ。 映画だから菊千代は死んだのだ。 映画であるが故に菊千代は殺されたのである。 誰が菊千代を殺したのか? 愚問である。黒沢明である。 黒沢明に殺されたのである。 即ち、菊千代は死なない。 ここは映画ではない。 即ち、菊千代は死なない。 黒澤明はもういない。 黒澤明は死んでしまったのだ。 それでも僕等は生きている。 生きているから生きねばならない。 ブログを書いて、生きねばならな

    white_rose
    white_rose 2011/11/30
    素晴らしい
  • この夏に僕がした事。

    行かねばならない。 誰かの為ではなく、自分自身のために。 歩こうと思った。 叶うならば走ろうと思った。 歩けばどこかに辿り着く。 走ればより早く着く。 それを信じていた。 歩けばどこかに行ける。それを信じると言うことは、歩かなければ何も起きないと思い込む事だった。ずっと止まったままで居られる。何も変化は起きない。そう信じていた。信じるだけだった。何も考えはしなかった。一度として考えた事も、想像した事も無かった。だから僕は歩かなかった。走るだなんてとんでもなかった。一歩も動かなかった。微動だにしなかった。そうすれば、全てが止まって見えた。何も変わらないはずだった。けれどもカーテンの奥の窓の外側で、世界は止まらず動いていた。誰かは走り、誰かは戦っていた。それに気がついて、僕は困った。焦りを覚えた。そして自分に問いかけた「どうすればいいんだ」と。 どうもこうも無かった。僕には何も無かった。これま

  • 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。

    僕は悲しい。とても悲しい。 インターネットで生じている事実が事実として伝えられない。 岡田有花なる人物の手により、全ての記憶が改変されてゆく。努力とか継続とかいう些細で美しい自己啓発と、インターネットという未来が生んだ魔法のブラックボックスにより、全ての事実は抹殺されてゆく。歴史は書き換えられ、僕達1人1人が真実の心を持って懸命に生きてきたインターネットが汚されてゆく。いや、浄化されて行く。美しいものへと。素晴らしいものへと。小さく儚い、それでいて強い美談へと改変されてゆく。 僕はそういった行為を許すことが出来ない。そういった言葉を許すことが出来ない。インターネットは血で有り、肉であり、尚かつ魂である。インターネットは人間の全てである。痛みを悲しみを欲望を絶望を感動を興奮を全ての感情と汗と涙を飲み込んで降り積もった真っ白で真っ黒な九龍城である。混沌である。魔窟である。昨日もそうだったし、今

    white_rose
    white_rose 2011/11/22
    ちょっとキレが悪くなったような。でも読めて良かった
  • 真性引き篭もり

    凄まじいものを見た。 この世界の片隅にである。 開始3分で「苦手なタイプのアニメだ」と強く思った。 僕はアニメにおける暴力描写が苦手なのである。 作中で兄は妹を殴り、兄は妹を罵倒し、兄は妹の些細な希望を踏みにじり、兄は妹に苦役を課す。挙げ句、この物語の主人公であるすずはすずで、望遠鏡で人の頭を繰り返し殴る。こういうのが、僕は大嫌いなのだ。 私達の生きる世界が暴力に満ち溢れている以上、フィクションに暴力が存在するのは当然である。冴羽りょうが人を拳銃で撃ったり、リナが魔法で人を焼いたりといった暴力は、フィクションに必要な暴力描写である。 僕が嫌いなのはそういう暴力ではない。 人と人との親密さを現す為に用いられる暴力だ。 アニメというカルチャーにおいて、暴力は親密さを現すための記号として用いられる。兄が妹を殴るのは、兄と妹が親密な関係だからだし、冴羽りょうが100tハンマーで殴られるのは槇村香と

    white_rose
    white_rose 2011/10/29
    ふと思い出して検索してみたらあった。具合悪いんだろうか。
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