昨日の私(安岡孝一)の日記に対して、川村二郎の『孤高―国語学者大野晋の生涯』(東京書籍、平成21年9月)の以下の記述をお教えいただいた(pp.178-179)。 昭和二十六(一九五一)年、人名用の漢字として九十二文字が追加して発表された。大野は新聞に載った、追加された漢字の中に自分の名前の「晋」や「麿」の字があるのを見て、奇異な感じを受けた。どちらも、そうそうある名前ではないからである。 長く疑問に思っていたが、答えがわかったのは昭和三十四(一九五九)年、毎日新聞の企画で国語審議会で主導的な立場にあったRomajikai会長、土岐善麿とカナモジカイ理事長、 松坂忠則の三人で座談会をしたときである。 その席で松坂は人名漢字について、本当は百字追加するつもりで字を探したのだが、適当な字がない。それで九十二字になった、という話をした。大野がすかさず、 「だから、うるさい大野晋の『晋』の字とか、味