東京の下谷根岸に生まれる。父・山本三郎(1879-1928)は、坪内逍遥に傾倒し慶応から早稲田に転学し、詩人・山本露葉として児玉花外、山田枯柳らとともに若手の新体詩人として注目されたが、夏彦は三男で小学6年時に、父は50歳で亡くなった[1]。なお祖父は高利貸しの山本義上(1848-1909)で、父の代は資産家であった。 父・露葉の友人であった武林無想庵に連れられ15歳で渡仏。3年後に帰国し、24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー。戦後まもない1950年に工作社を創立、没時まで編集兼発行人、コラムニストとしても活動した。 没時まで『週刊新潮』に「夏彦の写真コラム」を連載していた。月刊誌『諸君!』(文藝春秋)でも「笑わぬでもなし」を没する寸前まで350回余り執筆連載した。 長男山本伊吾[2]は新潮社で、編集者として写真週刊誌『FOCUS』の編集長などを務めた。義兄(姉