庶子とはいえ自分は信之の血筋である!真田信利は、信之の長庶子である父・信吉の代から、真田本家の松代藩ではなく、分領である沼田を持っていました。 信吉の次は、信利の兄・熊之助が継承。 この熊之助が幼くして亡くなったため、信利が沼田を引き継いだのです。 しかし、信利も当時三歳だったため、信之の次男かつ嫡子である信政(信利から見ての叔父)がしばらく沼田の政治を執り行いました。 信之が引退すると、信政は本家の領地・松代藩を継ぎ、信利が沼田を継ぎます。 そして、その二年後に信政が亡くなったあたりからややこしいことになりました。 信之がまだ存命中だったので、まず松代藩は信之の判断を仰ぎ、信政の子・幸道に跡を継がせることにします。 幕府へもそのように届け出ています。 しかし! これに不服を申し立てたのが信利でした。 幕府としては遺恨を残したくない信利は、自分が松代藩を継ぐべきだと主張。 この時点で自身は