【読売新聞】 瀬戸内海に面し、製造業や農業が盛んな香川県 三豊 ( みとよ ) 市。環境衛生課課長補佐の岡崎英司さん(51)は昨年11月、役所のパソコン画面を見て、嘆息した。 視線の先には、実証実験中の対話型AI(人工知能)サービス
Re:Ron連載「ことばをほどく」(第7回) 少し前のことになるが、「マルハラ」という言葉を聞いた。SNSなどで話題になり、その後に朝日新聞でも記事になっていた。文末が「。」で終わるメッセージが威圧的に感じられるひとがいる、そうした人々にとって「。」を使うことはある種のハラスメントになりうる、という話だ。その話題をもとに、「そもそもこれはハラスメントになりうるのか」といったことがさまざまに論じられたが、おおよそ一過性のトピックで終わったように思う。 とはいえ、この一連の流れには違和感を抱いていた。私はハラスメントや労働環境の専門家ではなく、言語哲学者だ。だから私の違和感は言語哲学的な観点からのものである。 それはすなわち、「ひとつの文ないし言語表現を取り出して、その使用をハラスメントか否かを語ることに(いずれの立場を採用するにせよ)意味はあるのか」、「そのような語り方をすることで現実の会話
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