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将棋と芹沢博文に関するy_koutarouのブックマーク (2)

  • 現役のまま亡くなった大山、芹沢、板谷、村山らの棋士の生き様と「絶局」: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    今回のテーマは前回に続き、現役のまま亡くなった棋士の最後の対局である「絶局」です。 芹沢博文九段(1987年に51歳で死去)は後半生で、将棋番組の解説、観戦記・随筆の執筆、雑誌で著名人との対談、テレビでタレント活動など、盤外で活発に活動しました。田中角栄元首相の後押しによる政界進出も取り沙汰されました。大の酒豪だった芹沢は、長年にわたって深酒を続けました。その影響で晩年は体を壊し、医者から断酒をきつく言い渡されました。しかし、それでも飲みました。絶局は7日前の鈴木輝彦八段戦(竜王戦)で、芹沢は中盤で投了しました。芹沢は自分の思うままに生きた人でした。芹沢の深酒について、「長い年月をかけた、ゆるやかな自殺だった」という見方もありました。 板谷進九段(1988年に47歳で死去)は「熱血漢」という言葉がふさわしい人でした。「将棋は体力だ」が信条で、対局では体を張って全力で戦いました。地元の名古屋

    y_koutarou
    y_koutarou 2010/12/15
    『98年版『将棋年鑑』のアンケート欄で、「好きな言葉」への村山の回答は「土に還る」でした。』
  • 全盛時代の大山康晴十五世名人はタイトル戦の対局が麻雀旅行: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    大山康晴十五世名人は1950年代後期からおよそ10年間、タイトルをほぼ独占して全盛時代を築いた。大山の勝利よりも敗戦が話題になり、自身も「勝つことに慣れるのが怖い」と語った。あまりの強さから「大山は盤外戦術を使ったり、相手に催眠術をかける」という噂が流れたほどだ。実際、大山が敗色濃厚な終盤戦で、相手が泥沼に引き込まれるように悪手を指し、大逆転が起きることがよくあった。 大山が対局中に前記のような怪しいことを、もちろんするわけがない。大山は抜群に強かったし、一流の勝負術に相手がはまっただけだ。ただタイトル戦の対局場では、ある仕切りによって自分のペースに持ち込んでいた。 大山は全盛時代、タイトル戦の対局で全国を転戦していたが、まるで麻雀旅行みたいな有り様だった。対局場に着くと麻雀卓をすぐ用意させ、立会人や記者などの関係者と麻雀を打った。それは対局前夜、1日目の夜、2日目の終局後と、3日間に及ん

    y_koutarou
    y_koutarou 2009/12/20
    『ベテラン棋士Aと若手棋士Bの対局で、Aは「夕方からテレビ番組の収録なんだ。さっさと負けて早く行かないと…」と言って、時計を気にしながら猛烈な早指し。気のいいBはそれに合わせて早く指すと、』
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