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2008年10月2日のブックマーク (5件)

  • SFC 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス - 『取らなかった道』総合政策学部長 阿川尚之(2008/10/2)

    さる9月9日、三田の西校舎講堂で9月卒業式が行われた。SFCからは133名の学生が卒業し、慶應を巣立った。教職員代表として祝辞を読みあげたので、以下再録する。 ================================ みなさん、卒業おめでとう。教職員代表として一言お祝いを申し上げます。 昨年の2月、総合政策学部長の仕事を仰せつかってから、義塾の卒業式へ出席するのはこれで4回目です。私は、9月の卒業式が好きです。3月の卒業式は人数が多すぎます。卒業生全員で卒業式を行うには、慶應義塾が学校として少し大き過ぎることを、いつも感じます。 それに比べて9月の卒業式は、程よい人数です。一人一人の顔が見え、みんなで一緒に「若き血」と「塾歌」を歌うことができます。そして卒業生を義塾から広い世界へ送りだす。諸君もまた、さまざまな感慨を胸に、この丘を巣立っていく。みなさんは9月生でよかった。

    yam1226
    yam1226 2008/10/02
    泣いた。。。
  • ハーバード大学医学部留学・独立日記 第二部 三重大学医学部編 ... デザインの力:日記をつけることでひとは成長する

    ボストンで13年働いた研究者が、アカデミック・キャリアパスで切磋琢磨する方法を発信することをめざします。 2024/02 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031» 2024/04 グラフィックデザイナーであるステファン・サグマイスター(Stefan Sagmeister)は、人生で学んだいくつかの重要なレッスンを、デザインの力で発信しています(プロジェクト”Things I have learned in my life so far”)。”Things I have learned in my life so far”の初期の作品のひとつが: Keeping a Diary Supports Personal Develpment. もっと多くのレッスンはこちらを

  • 始めたらやめるな

    を代表するシリアル・アントレプレナーが、イー・アクセス会長の千倖生氏。日発売された、「挑戦する経営 - 千倖生の起業哲学」は、起業したいと思っている人だけでなく、企業勤めをしながらも刺激あふれる生き方を模索している方々にもお薦めの一冊。 NTTのエリート社員だった千氏は、40代前半のときにDDIを京セラの稲盛氏と共に創業。数千億円企業に育て上げたのちに、ADSLのイー・アクセスと、携帯のイー・モバイルを創業し、60代になっても壮大な挑戦を続けられている。 最新の挑戦であるイー・モバイルの起業に際しては、ビジネスプランだけで3000億円を超える資金のコミットメントを得た!ということだから、スケールの大きさが違う。 書の中で印象に残ったのは、二つ。ひとつは、稲盛氏に言われた言葉のなかで強烈に印象に残っているという、「始めたらやめるな」の一言。 『稲盛氏はこう言った。 「千よ、苦

    yam1226
    yam1226 2008/10/02
    やめた時が失敗だ - 他社がもうだめだたと考えた時に、あと一分我慢しろ。他社が撤退を考えても、あと一歩努力して踏みとどまれ。この教えは、私の人生を貫く指針となった/一番大切な目的はこの考え方でいい。
  • 「何を言っても大丈夫」な相手など存在しない - 諏訪耕平の研究メモ

    テレビを見ていたら,たまたま爆笑問題の日教養(だったと思う)という番組をやっていた。爆笑問題の2人が大学教授の研究室を訪れて話をするという番組。昨日は政治学者の姜尚中さん。途中から見たので内容に言及することはできないが,太田さんが喋っていた内容が妙に心に残ったので紹介したい。 「親友だと思って言いたいことを言ってきたやつがいる。そいつはいつも気にしないそぶりで聞いていたけど,いつの間にか俺の側から離れていった。」 高校の頃,親友ってなんだろう?という話になると,「言いたいことを言えるやつ」という意見を持ち出す人間が少なからずいた。そしてその意見に周囲も首肯していたように思う。その後,僕はこの定義はおかしいと思うような出来事に自分自身が遭遇した。親友だと思っていたある人物から放たれた言葉は,僕の30年近い人生のうちで,不愉快な出来事ベスト3に入っている。 まあそのぐらい切り込んできてこそ

    「何を言っても大丈夫」な相手など存在しない - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2008/10/02
    「こいつには何を言っても大丈夫」そんな風に考え始めたら,それは亀裂への第一歩なのだろうと思う。
  • 視界「雑音」 - reponの忘備録

    騒音や悪臭がなぜつらいのかと言えば、それらの音や臭いによって脳が意図した以上に活性化させられるからだ。 それは、感覚としては不快として現れるし、客観的には脳の疲れとして現れる。 「騒音」に「慣れる」 騒音に慣れている人もいる。 そう言う人たちは、 刺激が脳に行っても「なかったもの」として無視する 脳で刺激を感じても、それを感覚として感じない という二つの「麻痺」によって慣れる。 ずっと騒音の中にいると、だんだん慣れていくのは、「耳がきかなくなる」のと、「騒音と感じなくなる」からだ。 1)の段階でシャットアウトできると、脳は疲れないが、2)の段階は、「脳が疲れているという感覚に鈍くなる」ということだから、「なぜだかわからないけど疲れている」という感覚に繋がる。 いつの間にか疲れている 大きな音だとはっきりわかるけど、たとえばパソコンのファンの風切り音などは、意外と神経に障るがそこまで気が回ら

    視界「雑音」 - reponの忘備録