2020年9月27日のブックマーク (3件)

  • 「察してちゃん」はなりたくてなったわけではない

    「察してちゃん」がまるで悪のように扱われるのは当にしんどい。 察してちゃんになりたくてなっているなんていない。 自分の場合は父親が原因だったけど、父親が母親に何でもかんでも命令して、命令を聞かないと暴力を振るう人だった。 それで母はいつも泣いていて、子供ながらに自分勝手は人を泣かせるのだと思った。 その上母は、私が何かをしたいといえば鬼のような形相で「わがままを言うな!」と叱りつけてきた。 これだけで自分の要望を人に押し付けることは罪なのだと思うに十分だった。 父親は自分勝手を押し付けてきた挙げ句に暴力を振るうろくでもない存在だと刷り込まれ、同級生が自分のしたいことを皆の前で発表する度に、あの子は愚かな子供だと、ヒヤヒヤしながら見ていた記憶がある。 わたしの知る限りでは、おとなになっても自分の意見や要望をたやすく口に出すことが許される世界なんてない。 その中で唯一、自分の意見が許される瞬

    「察してちゃん」はなりたくてなったわけではない
    yamazakisato
    yamazakisato 2020/09/27
    性欲の方向性が社会と合わない人たちもなりたくてなったわけじゃないけど非難されるし、なりたくてなったかどうかっていうのはあんまり関係ない気がするな
  • 「人は見かけによらない」と「内面は人相に現れる」って言葉が矛盾している事が気になる。

    もしどちらか片方の意見が真実ならもう片方は真っ赤な嘘という事になる もし時と場合によってどちらが正しいかが変わるのなら結局どっちも当てにならない事になる こんな相反する二つの考え方が淘汰されずに現代まで残っている事がおかしくて仕方がない どちらかが正しいならもう片方の言葉は要らない、もし両方とも正しいなら矛盾しているので対消滅すべきだと思う

    「人は見かけによらない」と「内面は人相に現れる」って言葉が矛盾している事が気になる。
    yamazakisato
    yamazakisato 2020/09/27
    内面を批判したいか擁護したいか、人相が優れているか優れていないかの組み合わせによってどちらを使うか決めてるだけだよ
  • 高3の時に起きた【隣のクラスのT君の顔写真が到る所に貼られる】という事件

    のりお @hoshimaru01 2 T君の写真はT君が学校に来るルートを避けるように、電信柱や自動販売機の側面に貼り付けてありました。 それを僕のクラスの人が剥がして教室に持ってきていたみたいで、一つの机を囲むように人集りができていました。 T君の写真は背景が青く証明写真のようで、引きつった笑顔がシュールでした。 のりお @hoshimaru01 3 そもそもT君がどんな人かというと、隣のクラスでいつも一人で、誰かと話している場面を見たことありませんでした。 あとクラス合同の授業で、彼が発言をする場面があったのですが吃音症?なのか殆どマトモに話せず笑われていた事も少し覚えています。

    高3の時に起きた【隣のクラスのT君の顔写真が到る所に貼られる】という事件
    yamazakisato
    yamazakisato 2020/09/27
    最初から創作としてみるとありきたりでくだらない三流の話なので事実であるという前提は物語にとって強い影響力があるな