ブックマーク / blog.tinect.jp (57)

  • もし人生が「野球」なら。

    試合の終わりと人生の終わり この間、ある映画を観ていたら、こんなシーンがあった。 ある村で、因習によって、村人はある年齢を迎えると、次の魂に生まれ変わるため、自死しなくてはならないというものであった。 おれはなかなかにショッキングなそのシーンを見て、同時にまったく関係なさそうなことを思い浮かべた。 「これ、今年の日プロ野球みてえだな」と。 今年の日プロ野球は、試合のイニング数が決まっている。 9回までで終わりなのだ。 9回で同点なら同点で終わり。延長戦はなし、だ。 まあ、延長があるにしても12回までという決まりはあるんだけれど。 そしておれは、その9回打ち切り制度に、一野球ファンとして「延長戦無いほうが面白いんじゃ」と思ったりしているのだが、まあその話はまたべつの話。 ともかく、寿命が定められた人生というものに、終わりが定められた野球。なにか似ているな、と思ったわけだ。 野球は人生の比

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    yauaa 2021/04/28
  • 偽史や陰謀論のような「オカルト」が、魅力的過ぎる。どうすりゃいいんだ。

    オカルトの時代 「オカルト」と呼ばれるものがある。 超能力、超常現象、偽史、陰謀論、宇宙人……挙げていけばきりがない。 いま四十代のおれが思い出すに、小学校にだれかが心霊写真のを持ってきては、皆でもりあがったものだ。 まだデジカメもインターネットもなかった時代、テレビでもそんな番組はたくさんあった。 転機になったのはオウム真理教が引き起こしたテロであろう。 それ以後、テレビから心霊番組や超常現象ものが減ったように思える。 今ではほとんどなくなったような気がする。 「思える」、「気がする」というのは、べつに昔と今のテレビ欄をきちんと調査・比較したわけじゃないからだ。 だが、まあ同世代の人なら納得できるんじゃないかな、と思う。 とはいえ、この社会からオカルトが消えたのか? ぜんぜん消えていない。いや、雑誌『ムー』や東スポがある、と言いたいわけじゃない。 インターネットという媒体によって、昔の

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    yauaa 2021/04/16
  • インターネットは明るくなってしまった

    ライフログ これを「ラフロイグ」と誤読したやつはおれと友達だ。 友達じゃないかもしれないが、同じくスコッチ好きではあるだろう。 しかし、おれは今ここで、スコッチの話をしたいわけじゃない。ライフの話をしたい。 「ライフ」ってなんだ。「Life」だ。で、「Life」ってなんだ。 人生であり、生活だ。 おれは英語をよく知らないので正しいことを言っているつもりはない。 ともかく、英語の「Life」は人生、生活、それに生命を全部含んだ単語だろう? おれはいまだに、おれの大好きなデヴィッド・ボウイの「Life on Mars?」が「火星の生活」か「火星の生命」かわかっていない。 訳せるものではなく、そのどちらであるかもしれない。 セーラームーンはダンスホールでファイトしますか? で、おれが言いたいのは、このごろネット上の読み物として、自らのライフを語っているやつが少なくなったんじゃないか、ということだ

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    yauaa 2021/03/13
  • おれは短距離型ダメ人間だが、結局、生きるってのは長距離走なんだ

    距離適性とはなにか タイトルに「短距離型」と書いた。距離適性についての話である。 距離適性、というのは一般的な言葉だろうか。おれにはよくわからない。 よくわからないので検索エンジンにかけてみるが、おれがいつも競馬のことばかり調べているせいか、競馬のページばかりひっかかる。 というわけで、距離適性は主に競馬について使われる言葉だ、ということにしよう。 その意味はというと、見ての通り、距離の、適性だ。 競馬を知らない人に少し競馬について教えよう。 馬はいつも同じ距離を走っているわけではない。 ざっくり今の日の中央競馬の平地競走についていえば、最短の距離は1,000mであり、最長の距離は3,600mだ。 平地競走? コース上に障害の置いていないレースのことだ。 今の? 中央? まあ、そのあたりは気にしなくてよろしい。 一応は競馬ファンとして正確性を期したいだけの自己満足だ。 まあともかく、馬は

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    yauaa 2021/02/26
  • たった5分の診療であれ「なんでも話せる」人を得ることは大きい

    おれの宿痾 おれは精神の病を患っている。 精神障害者として手帳も持っている。 べつに隠す必要もないし、隠してきたわけでもない。 行政的な病名は「双極性感情障害」ということになる。わかりやすくいえば「躁病」だ。 躁とを繰り返す。これには二種類あって、おれは躁との落差がそれほど激しくないほうのII型である。 いきなり全財産使ってしまうようなI型とは違い、あまり躁状態(軽躁状態)を感じることもなく、だいたい毎日々と生きている。 と、おれがこのような自身の病気を認識するには、ちゃんとした医師にかからなければならない。 自己診断では話にならない。 以下、いくらか病気や医療の話題をするが、診療を受けている人も、そうでない人も、なによりまず医師の診断、判断を尊重するようにお願いしたい。 おれの初診 では、おれが最初に精神科にかかったときはどうだったのか。 思い出してみる。 そのころおれは、ダイエ

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    yauaa 2021/02/12
  • カネのない人間が考えたかなり虚しいゲームについて

    おれのおれによるおれのためのゲーム 土曜日だったか日曜日だったか忘れた。おれは図書館に行くことにした。 図書館は無料でを借りることができる。 もちろん借りたは返さなければいけない。それが契約というものであり、仁義というものだ。 あなたは図書館を知っているか? 仁義を知っているか? さて、おれは図書館に向いて歩きはじめた。自転車でも行ける。 しかし、おれはあえて歩く。医者にもウォーキングを勧められている。 歩くことは健康につながる。健康は悪くない。そういうことになっている。 安アパートの門を閉めてあるきはじめたおれは、ふと思った。 「おれが図書館に歩いて行き、を返し、を借りて、歩いてアパートに帰る間に、いったい何台の外車を目にするのだろう?」。 おれは考えた。 10台? 10台では少ないような気がする。 20台? いや、どうだろうか。 30台、そうだ、30台くらいだ。 そのくらいがぎ

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    yauaa 2021/02/06
  • 人間が生まれたら、最低限、死ぬまで衣食住が保証されなきゃ、おかしいんじゃないか。

    ミュージカル女優を夢見るあなた 新型コロナウイルスが日で感染者を出し始めてから一年と少し経過した。 いままでの生活が揺らいだ人もいるだろうし、仕事を失ったり、事業をたたまなくてはならなくなった人もいるだろう。 一方で、これからの機会を失う人も少なからずいるはずだ。たとえば先日、こんな記事を読んだ。 コロナ禍における若者の機会損失について むろん、匿名のダイアリーに書かれたものなので、真偽はわかりようがない。 しかし、この「コロナ禍にミュージカル女優を目指して上京したばかりの20代前半女性」のような人も少なくないはずだ。 そのような人がチャンスを失う可能性は十分に考えられる。 おれはこれを読んで、「人間とはつくづく時代から自由になれないものだな」と思った。 もちろん、ミュージカル女優を目指してミュージカル女優になれる人は一握りかもしれない。 しかし、そこへのチャレンジする機会まで失われてし

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    yauaa 2021/01/27
  • 敗北者は虚空に向かって叫べ。強くキーを打て。そして公開ボタンを押せ。

    あるベテランのラジオのパーソナリティーが、新人パーソナリティーの番組にゲスト出演した。 そこで語られたのは、虚空に向かってひとりでしゃべる才能、ないしは病についてであった。 ひとりで二時間あまりしゃべることができるのは、一種の才能である。一種の病である。 ラジオ好きのおれはそれをおもしろく聞いた。 しかし、よくよく考えてみると、自分自身のことじゃないかと思った。 おれは虚空に向かってしゃべる才能がある。病がある。 しゃべるといっても、声を出して話すわけじゃない。 だれが読んでいるかもわからない、だれも読んでいないかもしれないブログに、自分の言葉をひたすらに書き続けてきた。そのことだ。 民放ラジオなんかに比べたら、無に近いほどはるかに規模が小さく、それこそ当の虚空を相手にして。 それでもおれは書き続けてきた。 おれには才能がない。金になるような才能がない。 それでも、おれは虚空に向かって書

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    yauaa 2020/12/25
  • 日本三大ドヤ街の一つに住む俺が「居場所のない人間はどうしたらいいのか」について考えた。

    社会というものはいくらか前よりずっと健康的で清潔になった。 道徳的で秩序ある社会になったといっていい。 でも、そこについていけない人がいるんじゃないのか。 かつてのある意味ゆるい世界ではいるべき場所があった人間の居場所がなくなってしまっているんじゃないのか。 この社会はこのままでいいのか? このは、そういうことが言いたいのだ。 ……って、簡単にまとめてしまっていいのだろうか。 ある意味で、いいのだとおれは勝手に思っている。 なにせタイトルがタイトルだ。そういう意図あってのことと思う。 著者はおいしいワインを片手に、インターネットで若い人の自意識の発現を貪りいながら(そうだったっけ?)これを書いたのだと思う。 一読者、おれの居場所 さて、おれはこのをどう読んだのか。 それは、おれの人生の今の位置を顧みなくてはならない。 そうだおれが暮らしているのは、ちょっと不健康で不潔で、非道徳的

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    yauaa 2020/12/02
  • 反出生主義者が、「死」に思いを馳せてみる。

    一週間から十日後の死 父が心筋梗塞になり、救急車で運ばれた。 ICUで鎮静剤を注入され、数日間意識を失っていた。 検査によって腎臓にも問題があることがわかった。 父には持病があるが、あらゆる病院に行き、あらゆる病院とトラブルを起こすような人間であった。 医師というものを嫌悪し、見下し、薬というものを嫌った。 いわゆる迷惑老人というものだろう。 やがて行くことのできる病院がなくなった。 そんな人間だけに、常日頃「延命措置などしない」と言っていた。 が、意識が戻り、「人工透析をしなければ一週間から十日で死ぬ」ということを医師から伝えられると、「それでは仕方ない。お願いします」と言ったということだ。 それを伝え聞いたおれは、「やっぱり人間というものは弱いものだな」と思った。 あるていど健康に生きているときに、「延命措置なんて不要だ」、「ぽっくり死んでやる」と思っていても、具体的に一週間から十日で

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    yauaa 2020/11/19
  • 優秀な人は年をとっても優秀で、若いからといってとくに能のない人間よりすごく強い。

    高齢者とIT 高齢者とIT。 前提として語られるのは、その不一致だ。 今どきはあまり使われてない言葉かもしれないが、「デジタル・ディバイド」だのなんだの、ということになりがちだ。 曰く、高齢者にITは使いこなせない。 IT化をすすめることによって高齢者の切り捨てになる。 権力を持つ高齢者がITを理解しないことで国の発展が妨げられている……。 もちろん、そういう面は否定できない。 黒電話から、いきなりスマートフォンを渡された高齢者が、それを使いこなせるだろうか。 できないイメージは、強い。 国を動かしていると思われる政治家たちがITに強いとも見えない。 まどろっこしさすら感じることもある。 が、しかし、段階を踏んできた高齢者はどうだろうか? 手書きがワープロになり、ワープロがパソコンになった。 電話がメールになり、LINESlackになった。 この段階を順に踏んできた高齢者は? それに対応

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    yauaa 2020/11/11
  • ホワイトなブラック企業で働く、「意識の低い会社員」の話。

    とある零細企業の歴史 おれが勤めているのは零細企業だ。具体的に言えば、社員数10人以下の会社だ。 全員が正社員だ。人手は足りていない。派遣労働者やアルバイトを雇う余裕すら無い。もちろん、新卒であれ、中途であれ、新しい社員を入れる余裕もない。 たまに就活生などから問い合わせの電話もあるが、受け入れる余裕はない。この分野の人にはおもしろそうな仕事をしていると見えるようではある。 かつてはもう少し人がいた。バブルのころだ。積極的に人を採用していたらしい。 ところが、バブル崩壊。銀行の貸し剥がしで、会社に金がなくなった。去る人は去ったし、雇いつづけることがむずかしく、解雇された人もいた。今は、最低限回せる人数だ。 というわけで、おれの勤める会社は存続ギリギリでやっている。おれはそんな会社になぜか転がり込んだ。 現状では、代表や社員の高齢化によって、もう数年でなくなってしまうのは確定している。 営業

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    yauaa 2020/10/27
  • 「ポケット・ティッシュを配る人がいたら、かならず受け取るようにしよう」と心に決めている。

    ポケット・ティッシュを受け取る 雨降る帰り道、おれはずったらずったら傘をさして歩いている。 石川町駅南口のあたり、ダンボールから一つのポケットティッシュを持ち出した男、おれの前に立ちはだかる。 ほとんど道を遮るように、正面からおれにポケット・ティッシュを差し出す。 おれはポケット・ティッシュを一つ受け取る。 街なかでポケット・ティッシュを配られることは、いつ以来だったかな? と思う。 新型コロナウイルスの流行がはじまってから、何ヶ月も受け取っていなかったんじゃないかと思う。 人々が街を歩かなくなる。ポケット・ティッシュを配ろうにも配れない。 おれもあまり街を歩かない。ポケット・ティッシュを配られない。 たぶんポケット・ティッシュの広告主も、「人が歩いてないんだから、配ろうにも配れないよな」とか思っていたことだろう。 ああ、実に、久しぶりじゃあないか。 ……と、いっても、ポケット・ティッシュ

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    yauaa 2020/10/20
  • 人間関係をギロチンのように断ってきた人間の末路

    おれの今までの人生における人間関係について書く。 おれがだれだろうとあなたには関係ないだろうし、まったく興味がないかもしれない。 ある人には全く理解できないかもしれないが、共感を覚える人もいくらかいるかもしれない。 もし子供や人の親であれば、反面教師として役に立つかもしれない。役に立たないかもしれない。 はじめての他者 はじめて他者、家族以外の他者を意識したときのことを覚えているだろうか。 おれは覚えている。 祖母に連れられて近くの公園に遊びに行ったときのことだ。幼稚園に入る前だと思う。 そこに二人の子供がいた。双子だった。 二人とも自分より一つ下だった。……いや、そりゃ、二人ともだろう。 しかし、双子はおれよりも背が高かった。 かけっこをしても追いつけなかった。 鬼ごっこをしてもすぐにおれがつかまった。 しまいには、手加減してくれるようになった。 おれは早生まれだった。 そして、今、結果

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    yauaa 2020/10/13
  • 「判断できないことを、判断しない」のなにが悪いのか。気にすることはない。

    インターネットには膨大な量の情報が溢れている。 日々、新しい情報が押し寄せてくる。 そして、インターネットより前の時代とは違い、われわれはそれらに対するレスポンスを表明できる。 情報の海に溺れている。 われわれは常に、あるニュースに対するレスポンスを求められているといっていい。 ああいう意見、こういう意見、あんたはどっちに賛成なのか? どっちを攻撃するの? どっちを庇うの? 是非を問う。挙手を願う。 常に選択に迫られている。 だがちょっと待ってほしい、そこで即断即決して旗幟鮮明にする必要があるのか? 当に選択する必要があるのか? だれの言葉だか忘れたが(当に忘れた)、「問いに対する即断を迫るものは、そもそもその問いが妥当か疑え」というような意見を見たことがある。 おれはそれでいいと思う。問いそのものを疑え。 即断しないことによって、あるいはそのことについて言及しないことによって、「おま

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    yauaa 2020/10/02
  • 学校の授業で「当てられる」のが本当に嫌で嫌で仕方なかった人間の末路

    いきつけの薬局、処方薬が用意されるまで、おれは室内に貼られたポスターをポケーっと見ていた。 一つのポスターに「うっ」となった。 そのポスターには、面接やプレゼン、人が緊張するイラストが今風の絵柄で描かれていた。 なかでも私が目を引かれたのは、「教室で先生に当てられて困惑する子供」だった。 おれは薬局に行くたびそのポスターを見ては、「うっ」と思う。べつに見なけりゃいいんだが。 シーンは学校の授業、先生が生徒を指名して、進行中の授業の答えを求める。ありきたりな風景だ。 とくに、漫画やアニメ、ドラマなんかで、主人公が授業をサボって別のことをしているときに、当てられる。 その主人公なり誰だかは、学校の授業以外に興味を持てなかったのだな、と視聴者にわからせる。 逆に、スラスラと答えさせて、「勉強ができる子なのだな」という演出にもなる。 周りの友人が助けるとか笑うとか、人間関係の演出にもなる。 ともか

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    yauaa 2020/09/07
  • 中途採用面接の志望動機が「給料アップ」でも採用された人の話

    私が面接官を手伝っていた時、印象に残った出来事がある。 その日は午前中に中途採用の面接があった。面接を受けにきた応募者は31歳、年収450万のエンジニアである。彼は過去に2回、転職をしており、もし我々が採用を行えば4社目、ということになる。 彼のスキルは特に低くもなく、高くもなくといったところで、年齢相応のスキルと言った感じだ。 音を言えば、私が面接を手伝っていた会社は30前後のエンジニアが欲しかったので、彼の応募は有り難いものであった。 面接が始まり、役員の一人が質問をする。 「なぜ、転職を考えたのですか?」 通常であれば、ここで返ってくる回答は、「上流工程をやりたかったので…」であったり、「お客さんと直接話せる仕事がしたかった…」など、当り障りのない回答がほとんどだ。 しかし、彼は違った。開口一番、 「はい。もっと給料が欲しかったからです」 と言ったのだ。 通常であれば面接の際に志望

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    yauaa 2014/11/19