タグ

2008年11月29日のブックマーク (6件)

  • 「天誅、文科省局長ら殺害」と東大卒の男がブログに、逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    文部科学省の局長らを殺害するとインターネットのブログに書き込んだとして、警視庁は29日、東京都文京区駒込、無職前田記宏容疑者(25)を脅迫の疑いで逮捕した。 同庁幹部によると、前田容疑者は東大卒で、「理想を持って勉強してきたが、教科書と違う現実があることを思い知り、文科省にだまされたという感情が高まった」などと供述しているという。 発表によると、前田容疑者は今月20日、自分が開設したブログに、「1週間以内に次の者を、その自宅において刺殺する」などと書き、同省初等中等教育局長ら同局の職員10人の名前を挙げ、同局長らを脅迫した疑い。 ブログには「目的は詐欺教育に対する天誅(てんちゅう)。国民主権を回復し、抵抗権を行使して悪を殺害する」などとも書き込んでいたという。

    yep
    yep 2008/11/29
    (強めの)電波かと思ってたんだが、ただのお子ちゃまだったのか
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらずべられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • about:blank

  • 「世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編)

    『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などのアニメーション映画を手掛けた宮崎駿監督が11月20日、東京・有楽町の日外国特派員協会に登場、最新作の『崖の上のポニョ』や現代社会に対する不安、自らの映画哲学などについて語った。 前編は現在憂いていることや海外のクリエイターとの比較などの話だったが、後編では宮崎監督の作品や好きな映画などについての質疑応答を紹介する。 →悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編) 作品が分かりにくくなった理由 ――『崖の上のポニョ』でデボン紀を題材とされた理由はなぜですか? 宮崎 その前のカンブリア紀に魚はいませんから、魚がいっぱいいるのはデボン紀かなと。甲冑魚というのは私が子どものころ、とてもドキドキした記憶があるんです。だからデボン紀にしたのです。 ――初期の作品に比べて、最近は『崖の上のポニョ』のようにいろいろと解釈で

    「世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編)
    yep
    yep 2008/11/29
    楽園とは「イノセントでいられる間のわずかな時間」ということだろうか/その辺は富野御大などとも共通する気がする/楽園を育てるのも壊すのも大人
  • 悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編)

    悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編):“ポニョ”を作りながら考えていたこと(1/4 ページ) 「悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません」 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などのアニメーション映画を手掛けた宮崎駿監督が11月20日、東京・有楽町の日外国特派員協会に登場し、講演を行った。 『千と千尋の神隠し』が2003年にアカデミー賞長編アニメーション部門作品賞を獲得するなど、宮崎監督は海外でも評価が高い。内外から200人以上の記者が集まり、10分間の講演後には1時間以上も質問が投げかけられた。時には笑いながら、時には真剣な顔で宮崎監督は、最新作の『崖の上のポニョ』や現代社会に対する不安、自らの映画哲学などについて語った。 以下、宮崎監督のメッセージをご紹介しよう。 ポニョと同時に保育園も作った 私たちが作った『(崖の上の

    悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編)
    yep
    yep 2008/11/29
    文中の「生産者」は「第一次産業従事者」的なイメージかな/「工場労働者」とは違う感じ/リアルなモノに触れる機会は、確かに減った。「危険だから」って遠ざけられてね
  • 飯田圭織に関してのご報告(Hello! Project)

    平成19年9月1日のモーニング娘。誕生10年記念隊ライブ終了と同時に産休に入っておりました、弊社所属の飯田圭織(27)の長男(1月22日生)が、平成20年7月27日に慢性腎不全の病により短い生涯をとじました。 長男は、出生当初より腎臓を患い入院加療を行っており、飯田も病院に通い長男を見守る日が続きましたが、4月には退院することも出来、その後は、家庭にて育児に専念し充実した日々を送っており、我々スタッフもほっと胸を撫で下ろしておりました。 今回の件はその矢先の出来事でした。 当初は私達もどのように声をかけ支えてあげればいいのか分からない程憔悴しておりました。 しかし、ご主人やご両親、友人の励ましもあり、少しずつ元気を取り戻し、納骨を終えた9月下旬から、飯田とスタッフとの話合いの機会をもってまいりました。 はじめのうちは、「先の事など考えられない」と言っておりましたが、徐々