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極東ブログに関するyhira0202のブックマーク (14)

  • [書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク): 極東ブログ

    「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」(参照)が文庫になっていた。少し、へぇという感じがして書棚を発掘して単行(参照)を取り出し、さらりと読み直してみた。 2000年に出たで欧米ではけっこう話題になったのだが、今読み返してみるともう古いなあという印象と、はたしてこのはどんなふうに日人、特にネットで読まれるのだろうかという軽い疑問が浮かんだ。 ごくありきたりに言えば、書は昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング系のだ。なので表題はあまり適切とは言えないのではないか。オリジナルはVoodoo Science(呪術的科学)であり、そのまま偽科学と意訳してもいい。サブタイトル、The Road from foolishness to Fraudは「おバカからペテンに至る道」ということ。 内容はといえば、単行の帯を見るのが一応わかりやすいといえばわかりやす

  • 福島第一原発、海水注入を巡るドタバタ: 極東ブログ

    一昨日の衆院東日大震災復興特別委員会で、3月12日の原子炉への海水注入作業が55分ほど中断されたという話を自民党が持ち出し、21日発行の日刊現代(参照)のネタのように、それが菅首相による「中止せよ」との判断・命令であったのかと糾弾していた。 糾弾としては、海水注入が途絶えたことで原子炉を危機に陥れたと、日刊現代ばりに自民党が理解しているのかもしれないようにも見えた。が、自民党としてはむしろ政府の主導性に疑問を投げかけるのが主旨ではあったのだろう。実際、この糸口をきっかけに政府の対応はズタボロの様相を呈した。関連して、内閣府原子力安全委員会・班目春樹委員長の「再臨界」発言の矛盾なども出て来た。 とりあえず政府としては、海水注入は東京電力の自主判断だと説明したようだが、首相官邸の意向を東電が忖度した印象も残った。真相は未だにわからない。 この話題だが、暗黙に危機が仮定されているわりに、実際に

  • 極東ブログ: 中国人のわかりづらさという雑談

    中国人といっても実際はかなり多様なので「中国人の考えかたはこうだ」というのは単につまらない偏見だったりする。それでも日人側から見ていると、誤解というか理解至らずの齟齬が繰り返され、「ああ、またか」と思うことはある。たいした話ではないので、これも雑談的に書くだけにしたい。 まず例の中国毒入り餃子事件だが、李小牧が書いた、ニューズウィーク日版3・26のコラム「日中ギョーザ紛争は歌舞伎潮流で解決せよ」が面白かった。日人の中国人誤解の一つのパターンだと彼は見ている。日の警察が言うように袋の外側から殺虫剤が染みこむことはないだろうとして、こう続ける。 たとえそうだとしても、それを日側が最初から大きな声で言ってしまっては、中国の立場がなくなるではないか。 今回の事件には、解決できるチャンスがあった。発覚直後の2月始め、中国の調査団が来日した。わざわざ調査団を日に送ったということは、中国当局

  • 中国製毒入り餃子、雑感その2: 極東ブログ

    中国製毒入り餃子事件だが、なんとなくこれは迷宮入りでしょと思っていた。が、昨日、流れが変わる報道があった。意外といえば意外なので少し雑感を書いておきたい。というのも、この問題の質は毒入り餃子自体ではないだろうから。 餃子に毒を入れたのは中国か日かということで言えば、「極東ブログ: 中国人のわかりづらさという雑談」(参照)で李小牧が指摘している通りなので、ようするに後は外交的な問題だった。 そこが曖昧になるだろうなと私が思っていたのは、中国がけっこうな強気で小日をパスしてやっていけるとまでそっくり返ったのだろうなと見えたからだ。が今回、逆に、毒を入れたのは中国かもシグナルを出してきたということは、中国様だいぶ日にご配慮しているなという感じがする。このご配慮の意味はなんだろうか。 西欧の先進国が人権問題で騒いでいるのにぐっと堪えて偉いぞ、東洋鬼。ちがった、小日。ちがった、蛮族。ちがっ

  • [書評]江戸時代(大石慎三郎): 極東ブログ

    先日のエントリ「極東ブログ: [書評]江戸の経済システム 米と貨幣の覇権争い(鈴木浩三)」(参照)を書いた後、江戸時代の経済史をもう少し概説的に考えてみたいなと思い、同書に参照されている「江戸時代(大石慎三郎)」(参照)を読んでみた。 1977年初版でかなり古いが、逆に自分が高校生だったころの時代なので自分なんかには馴染みやすい歴史観の部分も多いかというのと、このはある意味ですでに古典となっているふうでもあるので、読んでおくべきだろうなと思った。 面白かったかというと面白かった。率直なところ当初予想していた、江戸時代の経済史の大枠のような部分は自分ではそれほどよくわからなかった。銀の流出もそれが生糸のためであり、女性の華美な着物にあてられたという説明も間違いではないのだろうが、関連する考察はやや皮相というか全体像が見えづらい。総じて各種のエピソードは面白く、そのエピソードが暗示する部分に

  • [書評]書籍「マイクロトレンド」の序文について: 極東ブログ

    先日のエントリ「極東ブログ: [書評]マイクロトレンド 世の中を動かす1%の人びと(マーク・J・ペン)」(参照)だが、私の書き方が悪く、誤解されたむきもあるかもしれないが、翻訳として悪いわけではない。誤訳が多いということではなく、むしろ良質な翻訳だろう。 訳書の問題点は、私の考えだが、4つあって、1つは一番重要な概論である序文が大幅に編集されていて、冒頭から読み進めると「マイクロトレンド」ということがなにかが翻訳書では理解しづらい。2つめは、三浦展による各項目の補足はそれはそれとして彼の概括はオリジナルの主張と反対になっている。3つめはオリジナルでは75項目あるのに訳書では41項目なので約半分の抄訳である。4つめは抄訳で割愛された部分について、選挙など政治関連の世論調査家としてマーク・ペンが一番主力を置いているはずの政治・人種・宗教といった部分がほとんどタブーであるかのように削除されている

  • イスラエル建国60年周年記念、欧州からの論点: 極東ブログ

    先日沖縄土復帰記念日の前日、イスラエル建国60年周年記念があった。欧米紙ではいろいろ取り上げられていた。国内大手紙でも、私の見落としがなければ、朝日新聞”パレスチナ60年―難民の苦境に終止符を”(参照)、読売新聞”イスラエル60歳 現状維持では未来はない”(参照)、毎日新聞”中東紛争60年 国連にもっと大きな役割を”(参照)があった。大手紙ではないがNHKは”時論公論 「イスラエル建国60年、遠のく和平」”(参照)で触れていた。 率直なところ、平和のためには話し合いが大切、米国や国連はもっと頑張れといった感じで、どれもピンと来なかった。しいて言えば、毎日新聞が重要な問題部分に少し踏み込んでいたかもしれない。 第二次大戦後の47年、国連総会はパレスチナ地域を二つに分割する決議を採択した。これを後押ししたのは米国だが、ナチスによるホロコースト(大量虐殺)で何百万人もの同胞を失ったユダヤ人に国

  • 極東ブログ: [書評]マイクロトレンド 世の中を動かす1%の人びと(マーク・J・ペン)

    「マイクロトレンド 世の中を動かす1%の人びと(マーク・J・ペン)」(参照)が翻訳されているのを知らなかったので、えっと思って中身も見ずに買ってしまった。 これって弾小飼さんの書評にあったっけ。というのもなんだが、出版社さんはまず弾さんに寄贈というところからブログの世界で新刊書の通知という時代なのかな。 原書のほう「Microtrends: The Small Forces Behind Tomorrow's Big Changes(Mark J. Penn, E. Kinney Zalesne)」(参照)はすでに昨年に買ってちらほらと読んでいたし、これはきっと翻訳が出るだろうし出たら買うかという心づもりでいたのも、訳の中身も見ずに買った理由。 で、びっくりした。というか、ちょっとこの厚みであの内容が入っているわけない感はあったのだけど、この訳はだいたい中身は半分といったところ。抄訳だ

  • 学習すると早死にするらしい: 極東ブログ

    また3日穴が開いてしまった。しまったな。ちょっと気を抜いていたというか、日々ブログを書いていた時間をTwitterにシフトすると、なるほどそれなりにブログを書く気力みたいのも抜けるものなのかな。ブログが書けないわけでもない。いろいろ思うことはあるし、いくつか書評めいたことも書きたいもある。だけどネットに向き合う時間がなんとなく減りつつある。ジョン・マエダではないけど、背をもたれてを読むほうが心地よいし、ジャーナルもマシンの前を離れてコーヒーを飲みながら読むほうを好みつつある。年齢ってやつか。でも考えてみたら、こんなにネットにプラグする以前の行動パターンだったか。 そういえば「極東ブログ」という鉄人28号ばりのふざけた名前をブログ名にしたのは、できるだけ世界の端っこから世界を見つめていたいという思いもあった。以前なら目下のグルジア情勢やレバノン情勢についてもエントリを書いたものだった。そ

  • [書評]シンプリシティの法則(ジョン・マエダ): 極東ブログ

    「シンプリシティの法則(ジョン・マエダ)」(参照)は、表題からその意図がわかるだろうが、煩雑な物事にシンプリシティ(簡素さ)を求めるにはどうしたらよいのかという課題に対して、基となる10の指針を法則として与えている。翻訳の文体に多少硬い印象があるが、これはかなりの美文で書かれているのでしかたがないだろう。 書籍体は意図的にきっちり100ページに抑えてあり(訳もまた)、二時間もあれば読み通せる。要点もまたすっきりと書かれているので、わかりやすいという印象を持つ人もいるだろう。つまり、この自体がそのシンプリシティの法則が適用されているがゆえにシンプルである、と。間違ってはいない。薄く軽いタッチの書籍のわりに1500円は高いなと思う人もいるかもしれない。 私にしてみると、このはきつい読書の部類に入った。再読を終えて、実はまだ書評を書くべきではないのではないかと逡巡している面がある。シン

  • 有毒ガス自殺メモ: 極東ブログ

    この話題は触れないでおこうかとも思ったけど、世相のログとしてごく簡単に。 書こうかと思ったのは、昨今の有毒ガス発生による自殺の連鎖を海外がどう見ているか、あるいは海外ではこうした事件はないのかと見ていて、どうやら極めて日的と見られている印象があったからだ。 ざっと見たところ海外報道では「detergent suicides」として扱われていることが多いようだ。類似の事件海外にはなかったのだろうかとざっと調べたところはなかったようだ。また各国が目下の日の自殺エピデミックスの影響に恐怖しているかどうかもざっと見たが、概ね他人事感がある。「detergent」が身近であっても、特異なBath Saltのほうが存在しないからではないだろうか。記事によってはBath Saltをliquidと表現している記事もあった。してみると、この事件の背景要素は極めて日的とも言えるのかもしれないし、高島俊

  • 英国における教育の英語の状況: 極東ブログ

    世間は連休のせいかネットもやや閑散とした印象があるし、特に世相の話題もない。胡錦濤さんもパンダをお土産につつがなく来日・帰国して過ぎ去ればええんでないかというくらいなもので、特にブログを書く気もないな、とかしていると3日穴が開く。それでもいいけど、なんかネタはなかったかなと思い出すと、先日のテレグラフの記事”English not first language for 800,000 children ”(参照)を思い出した。表題をべたに訳すと「80万人の子どもにとって英語が第一言語ではない」ということ。そりゃそうでしょというのは日であって、英国で英語が母語ではない子どもが80万人というのはどうなんでしょうかね。 英国の人口は6000万人。なので人口的には日の半分の規模。日だとその場合、だから、日に160万人日語が母語ではない子どもがいると想像してみると身近な実感がつかめるか。う

  • [書評]私塾のすすめ(齋藤孝・梅田望夫): 極東ブログ

    私などはブログの世界にいるせいか「私塾のすすめ ここから創造が生まれる」(参照)を梅田望夫対談シリーズ第三弾として読んでしまいがちになるが、二、三度読み返して、書は基的には斎藤孝ワールドを広げる形で読まれるというのが現在の日読書界あるいは出版界の妥当な位置づけではないかと思えた。たぶんその意図は達成されるだろうし、広く好意的に受容される対談になっていると評価する。 うまく配慮が盛り込めないので失礼な言い方になるかもしれないが、対談の当初から斎藤孝はそういう構え(齋藤ワールドのまた一冊を作ること)でいたのだろう。多作の斎藤にしてみれば編集者から期待された著作群の拡張の一つだ。梅田もそこにビジネス的によく配慮し、齋藤の著作をよく学んでから対談に臨んでいる。 だから齋藤ワールド的な滑らかな対談の流れが想定されるはずなのだが、実際の対談は梅田の情熱の側に歪むというか引きつけられトーヌスが発

  • 日本経済の壮大な歴史実験から他国が学べること: 極東ブログ

    米国での関心としては民主党候補の熾烈な争いという文脈なのだが、ヒラリー・クリントンがぶちあげた経済政策について、ビル・エモット(Bill Emmott)元英エコノミスト誌編集長が28日付ワシントン・ポストに”Lessons From Japan's Malaise(日沈滞からの教訓)”(参照)という興味深い反論の寄稿をしていた。クリントンは、日の大手紙の社説の英訳でも読んだのか、「米経済は日型停滞に陥るから財政出動あるべし」みたいなことを言ってしまったらしい。 エモットは、「極東ブログ: [書評]日の選択」(参照)ではどちらかというと控えめなのだが、この件については、それは違うよということ声高に言っている。 で、その反論を読んでいると、当の日人としては、ちょっと花見酒にはよさげなやけくそな気分になってきてしまった。というわけで、ちょっとご紹介。試訳も付けたけどご参考程度に。 話は

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