例えばそれがいじめやブラック企業や差別や性犯罪やハラスメントに関する話題であったのなら怒りにわななき握りしめた拳を振り上げることにも一定の意義があるのかもしれない。 その被害者と同じような境遇に今もいる人に「あなたがそんな非道い目にあっていい理由なんてない。私は怒っている。あなたがそんな目にあっていることは当たり前なんかじゃないと怒っている人は、社会に、ここに、いるんだ。だから当たり前だなんて思って諦めないで。SOSの声を発して欲しい」とメッセージを発することには一定の意義があるのかもしれない。 が、虐待に限って言えば、本当にただ怒りに任せて拳を振り上げるだけではまったく何の意味もないんだよ。 自分の親が世界のすべてである子供にあなたのメッセージは永遠に届かない。死ぬまで死んでなお届かない。死ぬ前から死んでなお、彼らは私たちの声など届かない小さな小さな世界にいるしかできなかったのだ。そして