yosetumugi_bookのブックマーク (39)

  • 師匠六代目笑福亭松鶴とわたし~④初高座~笑福亭鶴光

    笑福亭鶴光師匠の初高座は、新世界新花月。労働者の街ですから、客席も荒っぽい。なかなか自分の落語を聞いてもらえない若き日の鶴光師匠の悔し涙と、見守る六代目笑福亭松鶴師匠の提言。道しるべとなる師匠からの言葉を胸に、再び高座に臨みます。 常にニュートラルで温かな人柄の鶴光師匠の原点は、ここにありました。現在、迷いのある演芸人・舞台人の大きな参考になること間違いなし。今回も必見です。 松鶴師匠は自分の奥さんの事をいつも「あ~ちゃん」と呼んでました。かぁちゃんの【あ】を取った所謂甘え言葉。弟子もいつの間にか「あ~ちゃん」と呼ぶように。 始め師匠は「わしの嫁はんを心安くあ~ちゃんと呼ぶな」と怒ってましたが、その内あきらめてクレームをつけなくなりました。弟子が初めて師匠に勝った。 因みに米朝師匠の事を弟子は「ちゃぁちゃん」と呼んでます。酔っぱらった後輩が6代目松鶴師匠を「ロクちゃん」と呼んでひっぱたかれ

  • 露の眞のアイドル愛~どん底で出逢った『365日の紙飛行機』~露の眞

    アイドルに魅せられた落語家・露の眞さんが寄席つむぎ初登場です。アイドルに魅了された露の眞さん、その魅力をつづっていただきました。 若手落語家ならでは苦悩、落ち込んでいた修業時代に出会ったアイドル達は眞さんに何を教えてくれたのでしょうか?お楽しみください! どん底の時でした、その時。 見た目が図太く見えるので意外と思わはるかもしれませんが、結構ナイーブなワタクシ。自己肯定感ゼロでした。 その日も高座でスベり散らかして帰りに寄った居酒屋にて。 「落語は男が演じるように作られてるから女はウンタラカンタラ~」 「昔の落語界は良かったけど今の落語家はナンタラカンタラ~」 と文献に書いてある情報をただただ得意気に語る過去厨。【ザ・自称落語通】オジサンに絡まれておりました。 ちなみにそのオジサン曰く「二代目露の五郎兵衛(私の大師匠)は桂米朝師匠の弟子」らしいです。んなアホな。 とにかくメンドクサかったの

  • 優々の音楽A to Z~SE~桂優々

    東京と大阪で活躍中の桂優々さんが寄席つむぎ初登場です!多趣味な桂優々さん、その中でも音楽に関しては深い知識とたくさんの思い出があるとのこと。寄席つむぎでは、邦楽ロックについてつづっていただきます。 今回は優々さんの自己紹介を。この機会に優々さんと優々さんの感じる世界に触れてみませんか?お楽しみください! 初めましての方は初めまして。 そうでない方はお久しぶりです。 桂優々と申します。 連載するにあたり、私の事を知ってもらう為に自己紹介、どの様にして落語と出会ったか、そしてどのような事を書いていくかお話します。 よろしくお願い致します。 まずは自己紹介から。 桂米朝一門の落語家で師匠は桂雀々、滋賀県出身で芸歴は11年。 桂雀三郎師匠や林家染二師匠、後輩だと寄席つむぎで連載を持っている月亭天使、桂よね一、東京では雷門音助と同じ、仏教界の東大と言われている龍谷大学出身です。 趣味は、高校まで野球

  • 師匠五代目桂文枝と歩んだ道~③弟子~桂枝女太 | 寄席つむぎ

    3弟子 入門は決まったもののまだ正式に弟子になったわけではない。 高校2年生、1年半以上の高校生活が残っている。それからは土曜の午後や日曜は師匠の出る落語会に顔を出したり、たまには玉出のご自宅へ行ったり。また高校生落語の組織である上方落語寄合会の仕事もこなしたりと充実した生活が続いた。 もちろん学校へは行ったが勉強をする時間は学校の授業だけ。当たり前の話しだが成績は下がる一方、ほとんど授業について行けなくなっていた。 それでも担任には弟子入りの件を話しておいたので、成績についてはなにも言われなかった。2年生半ばですでに就職が決まったのだからそれはそれでいいかという感じだったと思う。理解のある担任で助かった。ちなみにその先生とはいまだに交流があり、独演会などにも必ず来てくださる。 そうこうしているうちに兄弟子さんたちにも顔を覚えてもらって、落語会の楽屋への出入りも許されたりと、気分だけは小文

  • 師匠三代目桂春団治と見た風景~③春団治志ん朝二人会~桂春若

    3春団治志ん朝二人会 毎年神戸文化ホールで「東西落語名人選」が開催されています。 当時、大阪は四天王(松鶴、米朝、文枝、春団治)が中心。東京からは、【昭和の名人】六代目三遊亭円生師匠、【人間国宝】五代目柳家小さん師匠も来神されていました。 そして江戸のレギュラーは、古今亭志ん朝師匠です。この会では志ん朝師匠と春団治はよく出番が続いていました。 ある時、志ん朝師匠の高座を袖でスタンバイして聴いていた春団治が私に「志ん朝君のアトに出んのは怖いナァー。わしが怖いのは、志ん朝君のアトに出るときだけや」…と 平成6年『名人選』が終わって志ん朝師匠が来ていた若手に「電車まで一寸時間があるの付き合ってくれない?」喜んでついていきました。 その席で志ん朝師匠が私に「米朝師匠も文枝師匠も二人会は演ってくれるんですが、三代目師匠とは演ってないんです。演りたいんですが……」 春団治宅へ行きました。 「師匠、志ん

  • ③続・師匠桂米朝~師匠米朝と過ごした日々:桂米左

    桂米左師匠による、ご自身の師匠・三代目桂米朝師匠との思い出コラム第3弾。生前、米朝師匠が弟子たちによく言っていた言葉とは?その言葉が実感できたのは、米朝師匠が極楽座に旅立たれてからだそうです。 米朝師匠が旅立たれて5年経った今、米左師匠は何を感じているのか。米左師匠の筆がキラリと光る思い出コラム、今回も必読です! 続・師匠 桂 米朝 入院のまま終戦を迎え会社勤めの傍ら、姫路で落語会を主催したり落語とのかかわりを続けていきました。 遂に昭和22年、四代目桂米団治に入門を致します。米団治師匠に入門した理由の一つに「落語を理論的に説明できる人で当時としては珍しかった」と言ってはりました。 「米朝」と名づけられましたが「米朝」と言う名前は中堅どころの名前で、前座に付けるものではなく「いづれ君に米朝をやる」と師匠に言われたのを早合点して、正岡先生に「米朝という名前を頂きました」と報告し、そのまま「米

  • 師匠六代目笑福亭松鶴とわたし~⑤人情~笑福亭鶴光 | 寄席つむぎ

    私が入門した時の大スターは三人姉妹のかしまし娘さん。 他にも漫才や音楽ショーが綺羅星のごとく。ダイマルラケット、いとしこいし、ラッパ日佐丸。 女性ではお浜小浜、音楽ショーでは宮川左近ショー、タイヘイトリオ。 フラワーショー他諸々その中でもかしまし娘さんは別格。正月、ゴールデンウイーク、お盆興行しか出ない。 松鶴は正月の一日から十日の初席の常連やったんですが、暮れに11PMと言う夜のお色気番組でかしまし娘さんの長女の事を面白おかしくいじったんですな。これに逆上したお姉さんの怒りにふれ、初席は春団治師匠に替えられた。 しかも松竹芸能からペナルティーとして、その年の初席は新世界新花月十日間公演に格下げ。 元旦と言うのは我々が師匠の所へ御年始に行って、お年玉をもらいお雑煮を食べてお酒を御馳走になる。もう朝から弟子全員が泥酔状態。 松鶴もへべれけで高座に上がった。マクラで羽子板娘と言うバレ噺(※艶笑

  • マグナム小林の二死満塁!~2005年の千葉ロッテマリーンズ~マグナム小林

    私の野球観戦歴(テレビ)は1975の阪急対広島の日本シリーズから。山口高志さんの豪速球に山本浩二さんや衣笠さんが手も足も出なかったのを覚えてます。ちなみに高校野球は東邦のバンビ坂本から。 だから、かれこれ45年。 その間、広島、巨人、近鉄、ヤクルトとファン歴を重ね、1992年の千葉移転と共にマリーンズファンになりました。だって千葉に住む野球ファンにとって千葉に球団が来るなんて夢のまた夢だったですから。子供の頃に来たらいいなあとは思っていたけど、本当に来るとは思いませんでしたから。 マリンスタジアムが出来て、最初はヤクルトという噂がありました。飯田さん、土橋さんなど千葉県出身も多く、一年に一度はマリンで公式戦をやっていたので、真実味はありました。 ところが、そこへロッテが名乗りを挙げました。ヤクルトに比べれば人気はなかったですが、それでも千葉に来てくれるんだからありがたいと多くの千葉の野球フ

  • 鉄道写真~麦秋の中をゆくクルーズトレインななつ星in九州 ~桂小梅 | 寄席つむぎ

    蒸し蒸しとした梅雨の季節を忘れさせる爽やかな写真が、桂小梅さんから届きました。周遊型豪華寝台列車「ななつ星in九州」が風を切って駆け抜ける様子をご堪能ください。 このクルーズトレインななつ星in九州は、日本で初めての本格豪華寝台列車です。和洋折衷の内装は、九州の工芸家の手によるものも。いつか乗ってみたい列車ですね。 画像はクリックすると大きくなります。ぜひ大画面でご覧ください!

  • 伝わる文章5つのポイント!自分でもコラムを書いてみよう | 寄席つむぎ

    誰に読んでもらいたい文章なのかを決める エッセイコラムを書く時、最初にしていただきたいのが読者の設定です。 例えば、寄席つむぎでご執筆いただいている芸人さんには、「ご自身のお客さんに向けて」や「○○が好きな人に向けて」と依頼しています。運営部が本業の広告作成をする際も、必ず読んでもらいたい人を最初に設定しています。 これを設定しているだけで伝わり方が全然違います。反応を予想しながら書きますので、省略してもいい説明や逆に説明すべきことも分かるのです。 無駄にダラダラと文章を並べないためにも、これは必ず行っておきたいですね。

  • 師匠五代目桂文枝と歩んだ道~④弟子生活~桂枝女太

    昭和52年元旦に五代目桂文枝師匠(当時、小文枝)から芸名をいただいた桂枝女太師匠。本格的な弟子修行が始まったのは、高校を卒業してからでした。一般社会とは全く違う世界、戸惑いの連続だったそう。 客席やテレビの前からではうかがい知ることのできない五代目桂文枝師匠の意外な素顔もあったそう。今だからこそ語られる、桂枝女太師匠の修業時代。じっくりとお読みください! 4弟子生活 1977年の春から本格的な弟子修行が始まった。 毎朝玉出の師匠のお宅へ行く。仕事があるときもないときも。仕事のときは師匠のカバンを持って仕事先へ付いて行き、ないときはお宅でなんらかの用事。 こう書けばとくに難しいことはないようだが、なんせ昨日までは高校生。なにをどうしていいのやらさっぱりわからない。 私は一般社会で働いたことがないので就職というものがどういうものか知らないが、どんな職場でも研修期間みたいなものはあると思う。 朝

  • 師匠三代目桂春団治と見た景色~④島之内寄席、その1~桂春若

    去年の暮れ、桂吉弥さんの演ってる『桂吉弥のお仕事です。special in島之内教会2019』に出演さしていただきました。毎年年末に一週間演られているようです。 帰り際に教会の方から「春若さん、昔よりシャベリやすくなかったですか?」と聞かれました。 「ハイ、とても響きが良く楽に喋れました」 昔というのは、ご存知の方はご存知やろうし、ご存知やない方はご存知ないと思いますが、この教会は昭和47年2月上方落語協会初の定席「島之内寄席」の始まった場所、大阪の噺家の聖地です。 当時、上方落語協会会長・六代目笑福亭松鶴師匠が「大阪の噺家が50人に成ったら定席を作る」と仰ってました。入場料440円、落語10席、色物1組の合計11本の番組で5日間。夜6時開演です。 昭和47年2月21日が初日でした。 その前日、松鶴師匠のお知り合いの「立田舞台」の棟梁がボランティアで造ってくれはった書割を道頓堀中座から島之

  • ④入門まで~師匠桂米朝と過ごした日々:桂米左

    桂米左師匠による自身の師匠・三代目桂米朝師匠との思い出コラム第4弾です。いよいよ米左師匠が米朝師匠に入門志願をします。高校3年生の時のことでした。 同級生が就職に頭を悩ます中、紅顔の美少年(?)だった米左師匠は入門について思い悩みます。悩んだ末、選んだ方法とは? 甘酸っぱい青春を米左師匠と共に振り返る、ちょっぴり切ないコラムをお楽しみください。 ・・・と言いましても師匠米朝ではございません。私、桂米左の入門までです。 「そんなお前の話なんか聞きとうないぞっ!!」(ぼやき漫才の人生幸朗師匠風)てな事は仰らずお付き合いください。 小学生のころからテレビやラジオの演芸番組を見たり聞いたり、また高校生になると落語好きの友達とあちこちの落語会に行ったりしておりました。 当時は今程落語会の数はなく、受付をしている噺家さんに「また来よったコイツ!」と思われていたことでしょう・・・多分・・・いや絶対に!な

  • 師匠六代目笑福亭松鶴とわたし~⑥長屋~笑福亭鶴光

    この『酔いどれ五枚笹』の冒頭部分ですが、私が入門したての頃うちの師匠は、住吉区粉浜の二階建ての長屋に住んでました。 長屋と言えば古今亭志ん生師匠のなめくじ長屋が有名ですが、志ん生師匠は長屋話が得意でした。あれは経験上から生まれた芸ですな。 うちの師匠もらくだのようなスラム街の住人の描写が実に上手かった。 豪邸や高級マンションに住んでる噺家には出来ない身体からにじみ出る芸。 私が入門する前から貧乏やった。 先輩が自転車にみかんを二箱積んでお歳暮として持っていき、適当におしゃべりして帰る途中でライター忘れたので取りに戻った。そしたら何と松鶴自ら玄関に茣蓙(ござ)敷いてそのミカン売ってた。あの売り方はプロやなと感心したそうです。 定期の使いまわしもしてました。 10日間興行ですから後の20日間が無駄になる。それを芸人同士で安く売り買いする。 松鶴が50歳の時に買ったのが、30歳漫才師の定期。昔の

  • 反則を楽しむ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

    上方落語界でプロレスマニアといえば、笑福亭仁嬌師匠です。小学6年生のころにお母さんから贈ってもらった誕生日プレゼントは秋田書店『プロレス入門』。今も大切に笑福亭仁嬌師匠が持っておられるこの本には、実は続刊が出ていたそう。 今回は『続・プロレス入門』にまつわる思い出についてつづっていただきました。昭和40年代の中学校の風景を思い浮かべながらお読みください。ノスタルジックで心躍る世界です。 人並み外れた大きな男が肉体を鍛え上げ力を得て体をぶつけ合い技を競う。相手の技から逃げないのがプロレスである。 相手の攻撃を受けて受けて耐えて耐えてやるだけやらせて反撃して勝つというところに魅力を感じたのか、子供だった仁嬌はプロレスファンになった。 小学校の同級生もほとんどがテレビでプロレス観戦していた。プロレス中継があった次の日は新しい技の掛け合いになっていた。 ザ・デストロイヤーが「四の字固め」で吉村道明

  • 猫と銭湯と私~朝風呂と蓮~月亭天使 | 寄席つむぎ

    前回から、「銭湯と猫と私」というコラムを書かせていただいております月亭天使です。 先日、母親に「銭湯についてコラムを書くことになった」と話をしたら、「え?洗脳について?」と聞かれたので、「うん、そうやで」と返事をしておきました。 きっと、今頃、「教団を立ち上げた」と思っているかもしれません。 さて、銭湯についてですが、先にお断りしておくと、めちゃくちゃ各地の銭湯を知っているわけではありません。ただただ、ふらっと入った銭湯で、人々の生活を感じる、それを楽しみにしております。 今では、少なくなりましたが、仕事で東京へ行く際、夜行バスを利用します。なぜかというと、やはり経費を浮かせるためですが、夜行バスで眠れずに体力を消耗してしまうことを考えると、費用対効果の観点からかなり損している気がします。 しかし、幾度の夜行バスを経験した結果、私は夜行バスでの効率的な座り方寝方を習得することに成功しました

  • 優々の音楽AtoZ~イントロ~桂優々

    桂優々さんの第2回目のコラムです。 優々さんのコラムは、音楽のようにSE(サウンドエフェクト)から序章のイントロが入ります。優々さんが書くのはまさに音楽!どんな音が飛び出すのでしょうか? 存分にお楽しみください。 龍谷大学に入り落語研究会に入部して、落語をすぐ初めたわけではありません。 前回書いたように最初は漫才がしたくて落研の門を叩きました。 しかし、落語、漫談志望の同期はいても漫才志望がいなかった。 そこで先輩が、 「漫才は、さらに入部したやつとできるかもしれんから、とりあえず落語したら?」 と言う提案に頷き落語をする事になりました。 前回書きましたが、落語は学校落語を見た程度。 古くさい、漫才に比べたら面白くないものと言う固定概念を持ったまま嫌々落語をはじめました。 しかも龍大落研の最初のネタは「東の旅〜発端〜」と決まっています。 今でこそ面白みを感じますが、当時は苦痛で仕方なかった

  • 露の眞のアイドル愛~「牛ほめ」が好きなアイドル~露の眞 | 寄席つむぎ

    NMB48は大阪・難波を拠点とするアイドルグループで、2010年に秋元康さんプロデュースにより結成。今年で10周年なんです、めでたい! 山本彩さんは1期生で2018年11月まで在籍されてました。前回の記事でお分かりの通り、私はまだまだ新規ファンで知らない歴史も多いです。ちょっぴり悔しい。 実は噺家にもアイドルヲタ【通称ドルヲタ】は多いです。チェキ会や握手会に通う人、振付けをコピーして踊る人…と様々。 中には黒紋付き(噺家の正装)で握手会に行った女性噺家もおります。極妻と勘違いされて大変やったそうですが…。 私は現場には行かない「在宅組」でした。 生まれ育った町が中々の田舎で… 当時はネットも今ほど手軽なものじゃなかったので「アイドルの応援=テレビを見ること」と思ってたんです。 地元が大好きで遠くに出掛ける事もなくて、ほぼ海で遊んでました。18才で初めて一人で電車に乗ったし、人にとって普通な

  • 麗しのタカラヅカ~うぶごえ~桂春雨

    繊細華麗な高座で多くの人を魅了した三代目桂春団治師匠。その志を受け継ぐ桂春雨師匠もまた、繊細華麗な高座の落語家です。春雨師匠の繊細華麗の源の一つが、宝塚歌劇だそう。 今回は春雨師匠に宝塚歌劇団の誕生について解説していただきました。まさかそんな経緯で……。煌びやかな舞台のうぶごえを一緒に耳にしましょう。桂春雨師匠のコラム第2回の開幕です。 みなさん、ようこそ『麗しのタカラヅカ』へ。ご案内役の桂春雨です。 前回は、ほとんどが私に自己紹介になってしまったので、今回から少しずつ宝塚歌劇やその周辺の話を書かせていただきます。 このコラムをご覧になっている方は、落語や演芸に興味を持っている方が多数を占めておられることでしょうから、そもそも『宝塚歌劇とは何ぞや』というところから紹介したいと思います。 ウィキペディアで『宝塚歌劇』の歴史を調べると、まず初めに『阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道創始者の小林一

  • 上方落語家、東京で修業する~堅気に戻る機会~笑福亭里光

    こんにちは。笑福亭里光です。 僕は入門をお願いするのに手紙を書きました。 落語家になるには弟子入りしなければなりません。 色んな人がいます。師匠のお宅にいきなり訪ねて行く者、劇場の楽屋口で出待ちをする者等々。 そんな中から僕は「手紙を書く」という手段を選んだのです。 言っておきますが、師匠のように往復はがきではありません。 常識人でしたから(笑)。 今みたいにネットで簡単に何でも検索できるような時代ではなかった。 ですので、本屋さんに行って「手紙の書き方」なる本を片っ端から立ち読みしました。 突然のお手紙を詫びる挨拶から始まって相手を気遣う挨拶、自分自身の説明、そしていよいよ本題へ。 学生気分の抜け切れていない僕にとっては、何だか別世界の出来事を目にしてるよう。 でもこれは現実です。これらを全て自分で書かなければいけない。 それらを頭の中に叩き込んだ僕は、急いで帰って記憶の薄れないうちに一