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旧日本軍に関するyosi0605のブックマーク (3)

  • 大陸戦線での日本軍の暴虐・蛮行─葦津珍彦が見た「皇軍」の実像─|神苑の決意

    葦津珍彦は戦後、鶴見俊輔との対談で「私は戦中は、ハルピン、上海、京城、台北などとうろついていて…」と話している。 実際、葦津は経営していた「社寺工務所」の支社が朝鮮・台湾にあったこともあり、アジア各地を訪れ、それぞれの地で多くの人々と交わり、様々なエピソードが残っている。 上海事変と葦津珍彦 そうしたなか、葦津は昭和12年から翌13年にかけて、第二次上海事変直後の上海を訪れ報告記を記しているが、葦津はそこで日軍の恐るべき暴虐・蛮行を告発している。 以下、全文(途中滅失している)を引用する。 今や中支全戦線は、日軍に依って荒廃に帰して終った。総ての財物は掠奪せられ、総ての婦女子は辱しめられた。かかる悲惨事は、凡らく近世の東洋史の知らざる所であらう。 激戦の後に一つの町が占領せられる。民家に兵が突人して来る。「女はいないか」と血走った眼が銃剣をつきつける。恐れ戦きつつも、愛する者のために、

    大陸戦線での日本軍の暴虐・蛮行─葦津珍彦が見た「皇軍」の実像─|神苑の決意
  • 陛下の前で涙を流した彼らは何者か~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題(北島 純) @gendai_biz

    に見放されてきた慟哭の歴史 1月28日、国交正常化60周年を記念してフィリピンを御訪問中の天皇、皇后両陛下が、フィリピンに在留している邦人と御接見された。その中に、両陛下を前に万感胸に迫る人々がいた。「フィリピン残留日人」と称されている日系人連合会の関係者である。ある者は思わず、両陛下の姿を見て号泣したという。 その涙の背景に、戦後70年間も日に見放されて来た慟哭の歴史があることをご存知だろうか。「フィリピン残留日人」とは、戦前にフィリピンに移民として渡った日人や旧日軍の関係者がフィリピンで現地の女性と結婚してもうけた子供たち(2世)だ。 日人の移民は、アジアだけでなく、ブラジルやペルーといった南米も含めて世界中にいると言っても過言ではないし、旧日軍関係者の残した子供たちは、フィリピンに限らず中国やインドネシア等、アジア各地に存在する。しかし、フィリピンが他の地域と異なる

    陛下の前で涙を流した彼らは何者か~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題(北島 純) @gendai_biz
  • 戦前の日本軍や昭和後期のリンチ私的制裁 (2ページ目)

    若林宣 @t_wak この悪癖は捕虜になっても変わらなくて、たとえば大岡昇平も俘虜記で書いていますが、使役に出る、チョコレートを盗む、米兵に見つかる、すると捕虜の中で偉いのがその場で盗んだ兵を殴るんです。これには米兵の方がびっくりして、「いいからいいから」ととりなしたりするんですが。 若林宣 @t_wak どうもルールに従った罰則というのが理解できなかったようで、これは荒木進という人が書いているのですが、武装解除後のビルマの収容所で、一人の英兵が形ばかりの営倉に入れられた。これが傍目には遊んでいるように見えるもので、日兵は口々に「何が罰なのかわからない」と言ったとか。

    戦前の日本軍や昭和後期のリンチ私的制裁 (2ページ目)
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