反社会カルトとしてのホメオパシー - 地下生活者の手遊びの直接のつづき。 特定病因論 特定病因論というコトバがありますにゃ。このコトバを説明している論文*1から引用いたしますにゃ。 医療思想史的にみれば、特定病因論はここ1世紀あまり前に支配的となった考え方で、19世紀末の細菌学の確立された後、近代医学が科学的装いを増していくために採用した病気原因の説明モデルである。それはどの病気にもその根本原因があるとし、疾患と病因とを一元的な因果関係で結び付けて解釈するものだ。この一元論的病因論を特定病因論(specific etiology;特異的病因説)という。 中略 特定病因論という、患者の一人一人を個性的総合的に見ずにその病気の共通部分だけに着目する分析科学的な方法を採用することで、近代医学は、病因の一元的な説明ができるようになり、この病因の説明モデルに合致した伝染病・感染症やビタミン欠乏症など
タイトルは釣りでも煽りでもにゃーです。読めばわかる。 トップダウン 感染パーティーは対岸の火事ではない - Skepticism is beautifulで紹介されている【感染パーティ】にゃんが、これはホメオパシーをかじった親が中途半端なホメオパシーの知識で行ったことだとか、親がホメオパシーの理論を自己流に解釈して行ったことなんかではにゃーことですにゃ。あとで引用するけれど、ホメオパシー「理論」を「啓蒙」する立場のヒトタチが実際にそういうことを言っているわけにゃんね。ホメオパシーを「啓蒙」するヒトタチは、予防接種を明確に否定していますにゃ。ここで紹介されているお母さん達の言っていることは、ホメオパシー啓蒙者のいっていることそのまんまといっていいでしょうにゃ。 なぜ、ホメオパシー言説がトップダウンなのかというと、ホメオパシーというのが一見すると学問的体裁を整えているように見えるからですにゃ。
とりあえずは荒っぽくメモがわり。 知と信 目の前にコップがひとつあるとしますにゃ。ここで、僕たちは目の前にコップがあることを【知って】いるわけですにゃ。このとき、目の前にコップがあることを【信じて】いるとは言いませんよにゃ。 つまり 知っていることを信じることはできない 信仰というものは、知ることの不可能な対象を信じることだと考えますにゃ。 一方、科学による知の対象というのは、知ることができるものに限られるわけですよにゃー。 というわけで、この基準を持ち出すと、宗教と科学はきれいにわかれてしまうことになりますにゃ。 もちろん、話はそんなに単純ではにゃー。 では 目の前にある部屋に、致死性の病気をもたらす病原菌がうじゃうじゃいる という命題を考えてみますにゃ。 これは基本的には自然科学の命題、すなわち【知る】ことのできる対象ですにゃ。 しかし、病原菌を直接的に知覚することはできにゃーので、生
#追記 #このエントリの続編というか、まとめ(このブログで言いたかったコト)書きました: http://anond.hatelabo.jp/20080724004506 #おまけ: http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 エホバの証人・・・家に時々やってくるアレ。学校で格闘技とかあると見学してる人。クリスマスとか参加しない、年賀状を送ってこない人。略称JW 二世・・・二代目。親が信者で生まれながらにして家庭がエホバの証人だったり、途中からそうなったり。片親二世てのもある。 背教者・・・アンチ。元エホバの証人だったり、親族がそうって人も少なく無い。二世の人もおる。この日記のスポット。 自分はもうすぐ辞めようと思ってる現役なんだけど。二世だし、生まれた時からこの世界だった。 まぁそのあたりは自分史は今回はどうでもよくて、そういや、俺みたいに辞めようって人
図説 金枝篇 作者: サージェームズジョージフレーザー,メアリーダグラス,サビーヌマコーマック,内田昭一郎出版社/メーカー: 東京書籍発売日: 1994/10/31メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 87回この商品を含むブログ (55件) を見る優。 呪術の理論と、その実施例たる(ヨーロッパを中心とした)実際の慣習、祭りや儀式についてまとめられた本。 この本自体が抜粋であるにもかかわらず圧倒的な物量で攻めてくるよ! この本は一見、未開人に大して傲慢に見える。 さらっと読み出すと未開人はこんな野蛮な習慣を持っていて、キリスト教Tueeee!みたいな受け取り方になりかねないんですが、時代背景を考えなきゃいけない。 この本は1890年に最初のバージョンが出て、10年後に書き直され、そこからさらに5年掛けて書き直されてそのたびに量が増えているしろもの。それを短くまとめた本が後世に出て、さら
★「神は妄想である」 リチャード・ドーキンス著 ドーキンスの宗教批判の集大成。科学と宗教の棲み分けとか、共存なんてことは少しも考えていない。徹底的に宗教を攻撃している。 私はこの本の分類によると汎神論者らしいのですが、特に宗教を撲滅せよなどとは思っていません。しかし、このようなブログをやっている関係で、ドーキンスほどじゃないですけど、同じように狂信的な人と話してきた体験がありますので、この本のドーキンスにちょっとばかり共感をおぼえました。まあ、気持ちはわかるってことですね。しかし、ほとんどの日本人にとって、一神教がこれほど強く生活に入り込んで、日常の道徳的判断に深くかかわっているという状態は想像できないでしょう。実際に私も実感できません。カトリックとプロテスタントの違いなんてのもよくわからないです。 たとえば、日本である人がクリスチャンであることを告白しても、ちょっと特殊な趣味を持っている
宗教・政治・思想など、ややこしいことを無理やり1行で表現すると… 「フロイトとユングの違いは?」なんて言われても、心理学でも取ってなければとっさにわかりません。 政治がわからなければ、共産主義と社会主義の説明は難しいし、宗教に疎い日本人にはプロテスタントとカトリックの違いなんてわかる人も少ないわけです。 ましてや、ダーウィンとか相対性理論とか言われたおりには、説明を聞く以前に頭痛がしそうです。 そんなあなたの悩みを解決すべく、無理やり、そして強引にすべてを1行あまりで説明してみました。 長い説明を読む気のしない、浅く知りたい人用ですので、詳しく知りたい人はそれぞれでお調べください。(もしくはリンク先のWikipediaを参照ください) 名付けて… 「風邪を引く」という世界観 宗教・集団編 道教:風邪を引く 儒教:子曰く「風邪を引く」 仏教:それは実は風邪ではない 禅:そもそも風邪を引くとは
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