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昨年末、よみうさのくどーさんに「人工無脳作家たるもの、エンジンは自分で作るべきだ」というお言葉と「サロタソは1Qで自分のエンジンを作りなさい」という課題を賜りました。 そこで、年末年始と自作の無脳エンジンについて考察・設計をあーでもないこーでもないと考えたりコードを書いては消してをしたりしていました。 そんなある日。 「ししゃもが使いやすくて好きなら、ししゃもを継承した新しいエンジンを作るのがいいんじゃないか?」というアドバイスをもらった。 実は、以前にもそんなことを考えたことがあった。*1 しかし、sixamoのコードを読んでみると、どこで何をどう処理しているのか 何がなんだかさっぱりわけわかめだった。 そして、挫折した。 くどーさんの言う、「自分のエンジンをつくる」という観点から外れてしまうし やっぱり、自分のエンジンと呼べるものが作りたいという思いはある。 だけど、sixamo独特の
夕暮れ時のある会社の会議室。先ほどから、専務が独演会のように大声で話し続けています。「話、長えなぁ」「そうすね。意味あるんすか、これ」。会議室の隅では、営業2課の川口主任と佐野君がひそひそと小声で話しているようです。 この、よくありそうな会議のひとコマ。唐突ですが、会議室に部外者の「大阪のおばちゃん」がいたらどうなるでしょうか。 「専務! あんた、さっきからしゃべり過ぎとちゃうか、みんなにも話す機会を分けてあげなあかんで」 「そこの川口と佐野、何をひそひそやってんの、言いたいことがあんのやったらちゃんと言いなさい」 もちろん、実際はこんなことはあり得ません。でも、もしその場にいたら、こんなことを言いそうです。思いやりや愛嬌という武器を頼りに、人間関係の距離を詰めてくる大阪のおばちゃん。「騙されたと思ってこれ食べてみ、あんたが好きそうな味やから」とか、「まあ、一度この娘と会うてみ、あんたの気
人工無脳で Twitter に自動投稿 最近はなんだか、Twitter が流行っているようです。少し今さら感もなきにしもあらずですが、始めてみました。 取り合えず、Greasemonkey で自動で文章を生成して投稿するようなのを書いてみました。ブラウザが人工無脳となって、Twitter に投稿するという、そんな感じです。 ブラウザで見たページの文章を学習して、文章を自動生成して適当な確率で投稿しています。意味のない言葉や、広告の文句なども拾ってしまっているので、微妙ですが。 しかも、自分がどんなものを読んでいるかわかってしまうような気も…。でも、もっと学習していけばバラバラになってそれほどわからなくなるのではないかとも思いますが。 いろいろ問題があると思いますがよろしくお願いします。 Twitter / munologue 追記(2007-05-22): スクリプト公開してみます この
どうも俺は設計と実装をごっちゃにして考え過ぎる。実装に気が取られると、設計は二の次三の次。人工無脳作りを通してつくづく感じた。よろしくない。というわけで、しばらく時間空いて忘れた部分もあるしもう一度人工無脳の設計から考えなおす。 「発言=最短経路問題」と考える。「ノード=単語」で、「経路長=単語のつながりの「ありそうさ」具合」、「出発点=文頭」、「到達点=文末」ととする。一回一回の人工無脳の発言をそういう最短経路問題と考えて、人工無脳の出力する文章を「ありそう」なものにする。簡単化したのが下図。ノードを辿って、例えば「ああ、なんか疲れた。」みたいな文章を出力する、と。 まあDP(ダイナミックプログラミング=動的計画法)ダイクストラ法(たぶん?)とかさえ把握しておけば、一番短い道を見つけるのはそんなに難しくもないですね。きっと。知らんけど。実際には遅過ぎたりするかもしれないけど、とりあえずい
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去年他界した経営学者P.F.ドラッガー氏の著書「すでに起こった未来」を読んでいたら興味深いネタを発見。 1918年あたりまでオーストリア帝国陸軍は、士官、下士官、兵士に共通言語が存在しない多言語軍で、どうにもならんというので意思疎通のためアルメー・ドイチュ(軍用ドイツ語)なる特殊言語が使用されていたそうです。 アルメー・ドイチュは「撃て」「休め」など1つの意味しか持たない200の単語からなる言語で、「どんなに頭の悪い新兵でも2週間で学ぶことの出来る」ものだったらしい。 で、妄想。 MMORPG等で多国籍間のプレイヤーがコミュニケーションを行う際にアルメー・ドイチュのような言語を作ることができないだろうか? ある1つの行動を1つのアイコンで表現して、プレイヤー間のコミュニケーションをアイコンで行うわけです。 「学ばなきゃ使えない」ではなく「使うと便利」であれば理想です。 アルメー・ドイチュが
▼ メモ(標準文体の確立過程に関係する文書) 文章読本(中村 真一郎 著、新潮文庫)より 由来、日本人は言葉に伝統的な連想を荷わせることで、文章を美しくすることを好んできました。たとえば「露」という単語は、王朝時代以来、何度も繰り返して、物語や歌や俳句のなかで「はかないもの」の象徴として使われて来ました。だから、文章のなかで露という単語が出てくると、読者は直ちに「露のいのち」というような言葉を、反射的に思い出して、そこにはかない心象を、感じることになります。 そうした連想の遊戯による文章の極端な例は、江戸時代に発達した「俳文」というジャンルで、今日ではそうした文章は、原文に数倍の分量の註釈を参考にしないと、意味が読みとれません。 文章読本について 「失言小町」より: 森鴎外や夏目漱石や二葉亭四迷など、名前くらいしか聞いたことないような文豪たちが(笑)、どう日本語を
http://phonondrive.com/sixamo/ 「ユリイカ」にも取り上げられました。以前「ふーん」とスルーした記憶がありますが、また最近見はじめました。今かなり賢くなっている感じがします。sixamoさんは、人を煽っておいて梯子を外す能力に秀でてるようです。 これ、おもしろい(興味深い)のは、ツッコんでいる人間が人工無脳化していく所なんじゃないでしょうか。望ましいsixamoのリアクションを自分が書いて教育してやる*1、ということが、場の空気をつくることにつながっています。そういう意味では無内容ブログへの皮肉というよりも、空気を重視する掲示板への皮肉にも見えます。 *1:人工無脳、というのは、Aという言葉の意味を理解するのではなく、Aという言葉を聞いたら人はだいたいどういう返し方をするか、というのを学習する。と理解してます
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