本当は理解できていないのに、自分をだまして分かったふりをする事。そのまま読み進め最後までたどり着き、自分はこの本を読んだと勘違いしてしまう事。 分からないなら分かるまであきらめずに何度も読む。もしくは「分からなかった」と心の中に留めておく事が大事だと思う。 そのままにしておくと、読んだ時間が無駄になる。本を読んで勉強したのに手応えもないし成長した気がしない。という状態になってしまう。 最近ようやくこのことに気付いた。
最近、本は別に読まなくてもいいものといった風潮があります。 しかし、この風潮に完全に反対しているのが、齋藤孝さんです。齋藤さんによると、本は絶対に読まなければならないもので、読書は習慣化すべき「技」だと考えています。 僕も、斎藤さんの考え方に賛成です。社会人になって読書習慣がないなんてあり得ないと思っています。 娯楽の読書は読書ではない 読書習慣があるとはどういうことでしょうか? 齋藤さんの著書「読書力」の中の言葉を借りれば、「多少とも精神の緊張を伴う読書」を継続的に行っているということになります。つまり、単なる娯楽のためだけに本を読むのではなく、ちょっときついけれども楽しいという感覚がある読書を習慣化することを読書習慣といいます。 なので、この場合、娯楽目的で読む推理小説は、読書とは言いません。漫画や雑誌も基本的に読書とはなりません。斎藤さんの線引きでいうと、ヘッセや夏目漱石のような名作
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く