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教育と日本に関するytnのブックマーク (13)

  • 日本の大学と大学生に望むこと

    娘がコロンビア大学を卒業するので、その式典でニューヨークに行ってきた。(Columbia Universityには多くの提携カレッジが含まれるが、アイビーリーグの『コロンビア大学』はColumbia Collegeのこと)。 嬉しいことに、Phi Beta Kappa(ΦΒΚ)という、最優秀学生だけが入会できる全米で最古の友愛会にも招待されたという。Columbia Collegeの卒業式(Class Day)直後に開催されたΦΒΚ入会式では、自らも会員であるコロンビア大学の学長が壇上で新会員を迎えた。 親として何よりも娘を誇りに思うのは、大学が与えるものを彼女が最大限に利用したことだ。 Neuroscience(脳神経科学)専攻で、Pre-med(医学大学院Medical Schoolへの進学に必要な科目をこなすコース)だった娘は、生物学、化学、物理、数学といったいわゆる理数系だけでなく

    日本の大学と大学生に望むこと
    ytn
    ytn 2015/05/25
    経済的理由でバイトせざるを得ず、また教養部解体が進んでリベラルアーツ教育をやる余裕は教員にも学生にもないのに、コロンビアに留学させられる金持ちが上から物申す地獄感。
  • 貧乏人に教育は必要か? - デマこい!

    貧乏人はネズミのように子供を作り、低教育・低賃金な労働力の供給源となればいい──。 世の中には、そう考える人がいるようだ。 しかし、この発想にもとづいた政策がうまく機能するとは思えない。賛同する親がいないからだ。世の親たちの大半は「教育の力」を信じており、より高度な学識を子供に与えようとする。 では、なぜ親たちは高度な教育を望むのだろう? ※1908年サウス・カロライナの児童労働者の写真、らしい。この時代に戻ったほうがいいと考える人もいるようだ。画像はpixabayより転載。 まず認識しておきたいのは、グローバル化の進む社会では労働運動が力を失うという点だ。 労働者たちがストライキをすれば、経営者たちはより安くで働く移民の受け入れを拡大せよと政府に迫るだけだ。もしくは生産拠点を海外に移す。国内の雇用が失われることになるが、そもそも企業の存在理由は利益を追求して資家に分配することであり、失

    貧乏人に教育は必要か? - デマこい!
  • 日本の博士取得者の大問題についての意見 | 生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

    5月31日のブログに日でのポスドク問題を論じました。 そこで書いた意見に変化はないのですが、日の現状はたいへんたいへんに二度繰り返したくなるくらい深刻だと思っています。 twitterで書いていても、若手らしい人たちのレスポンスにしても今のボス先生達にしても、関心は非常にあるみたいです。でもあまり問題の質を理解していない(失礼!)かたがたが多いのではないか、と感じざるを得ません。 どうしたらいいのか、誰もが納得する答えは持っていませんが、一つあるので、それを下に書きます。 この問題、すべての研究者がそれぞれの立場で胸に手をあててよく考える必要があると思うのです。現今の日人研究者(生命科学はすくなくとも)の最大の課題かもしれません。 学位取得者を沢山輩出することは、世界的観点からは当は大いに貢献している(はずな)のだと思います。ただし、日の博士取得者が世界に出て行って引っ張りだこ

    日本の博士取得者の大問題についての意見 | 生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ
    ytn
    ytn 2014/08/13
    これが博士号もちの文章です。
  • イタリアの識字率の低さと日本の識字率無戸籍

    稲葉渉 @inabawataru 「イタリアの識字率の悪さ」って話が前から引っかかってて、ブログなんかだと完全非識字率が11%、新聞読めないレベルの識字率が66%なんて数字を見ることがあるんだけど、イタリア政府が公式に発表してる数字は99%。あらこの差は何なのかしら。 2014-07-17 18:57:37 稲葉渉 @inabawataru んでちょっと調べてみると、「各国で発表される数値には違いがある。ユネスコの発表と、取りまとめる各国の教育省の間で、識字率の認識の違いがあるから」だそう。簡単にいえばイタリアが発表してる数字には高下駄がはかされていると。 2014-07-17 19:02:02

    イタリアの識字率の低さと日本の識字率無戸籍
  • 法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く

    前回記事で、教育勅語が説教する「徳目」(ただし最後の1個は除く)について、「時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳」だと書いた。 これは、当時の人々はそれらを「当たり前の道徳」と感じたであろう、ということであって、その内容が普遍的に通用するという意味ではない。また、人々が自発的に何らかの「徳目」を尊重することと、国家に命令されてそれを守らされることとは、やっていることは同じように見えても、意味はまったく違う。 それが分からない、法と道徳の区別がつかない人々がこの国には多すぎる。これは、この社会の未熟さの表われの一つであり、またこの国を蝕む宿痾の一つとも言えるだろう。以下、渡辺洋三『法とは何か』(岩波新書 1979年)から引用する。 わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、しばしば、法的正義と道徳的正義とが同一の「正義」の言葉で呼ばれ、混同して使われてきた。このた

    法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く
  • 小学校時代には天才的に成績がいいけれど、そのためにかえって中学二年くらいからつらくなるパターン

    結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki (現代の学校教育では、授業についていけなくて落ちこぼれる方と、授業が死ぬほどつまらなくて機会を逸する方の両方が存在するはず) 2014-05-05 20:02:11 渡辺由佳里 YukariWatanabe @YukariWatanabe 教育長先導でそれをなくす改革をした米国の公立学校を、日から訪問された皆さんにご案内してきたばかりでした!RT @hyuki: (現代の学校教育では、授業についていけなくて落ちこぼれる方と、授業が死ぬほどつまらなくて機会を逸する方の両方が存在するはず) 2014-05-05 20:06:40

    小学校時代には天才的に成績がいいけれど、そのためにかえって中学二年くらいからつらくなるパターン
    ytn
    ytn 2014/05/06
    主旨は了解、「天才的」なんて言い方は大げさ。ホントに天才的ならつまづきゃしないよ。中二でつまづくってなぁある意味その程度ってことだし。もちろんそういうちょっとデキル子の救済の必要性は同意する。
  • 社会人大学生の国際比較 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    において、就職したあと、大学で学び直すというのは、それほど一般的ではないような気がする。諸外国はどうなんだろうか? 下記の資料などをみてみると、OECD教育データベース(2005年)の調査では、25歳以上の大学生の比率は、日は2%で最低、OECD平均は20.6%、最高はアイスランド40.1%となっている。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/028/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/03/05/1287479_01.pdf また、社会人学生の比率も、通信制(放送大学を含む)を含めても平成13年に18,340人をピークに現象減少している。入学者に占める社会人割合は2%を切る。 日はまれにみる社会人が勉強しない社会なのか? enPiTなどのプログラムを作っても、顧客となる社会人に刺さらなけ

    社会人大学生の国際比較 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 舞田敏彦 on Twitter: "貧困と学力の相関(都内23区)。こんなに強く相関している。 http://t.co/eiJQtHqI6v"

    貧困と学力の相関(都内23区)。こんなに強く相関している。 http://t.co/eiJQtHqI6v

    舞田敏彦 on Twitter: "貧困と学力の相関(都内23区)。こんなに強く相関している。 http://t.co/eiJQtHqI6v"
    ytn
    ytn 2014/03/01
    すごいなー、相関係数マイナス0.8かぁ
  • 長文日記

    ytn
    ytn 2014/02/22
    日本企業論をやるなら日本の大企業を引き合いに出さないと。でもって大企業の企業戦士たちは本職の兵隊さん顔負けのwell trained / disciplined soldiersだよ。
  • なぜ電車で「中ほど」まで進まないのか ~気の利かない人が増えた理由~:日経ビジネスオンライン

    組織のスリム化や成果主義の導入による労働強化などに伴い、高まり続ける会社員のストレス。職場環境の悪化と共に、改善の兆しが見えない世界最悪レベルの通勤ラッシュも、働く人の大きな心理的負担となっている。ピーク時には300%を超えるとも言われる日の通勤環境。携帯電話の利用やヘッドホンの音漏れもさることながら、「乗車時に、電車の『中ほど』まで進まない人々」にストレスを感じている人も少なくないのではないだろうか。 すぐ降りるわけでもないのにドア付近に立ち止まれば、混雑に拍車をかける上、後から乗車する人の邪魔になる。中ほどまで進めば自分自身も楽なのに、奥へ行く素振りすら見せない人も多い。ただ単に気が利かないだけなのか、あるいは周りが見えていないのか。それとも、何らかの意図やトラウマがあっての行動なのか。心理学のスペシャリストと共に、「電車で中ほどまで進まない人」の心理を分析する。 (聞き手は鈴木 信

    なぜ電車で「中ほど」まで進まないのか ~気の利かない人が増えた理由~:日経ビジネスオンライン
  • 日本社会=体育会体質/爲末大学 - スポーツニュース : nikkansports.com

    大阪市立桜宮高バスケットボール部主将が体罰を受けた後に自殺した事件に始まり、女子柔道選手への暴力やパワーハラスメントも発覚し、日のスポーツ界が揺れている。自ら取材、執筆を手がける責任編集の為末大(34)が「スポーツと教育」をテーマに、その問題点に切り込んだ。<1>人間に限界はない 勝負どころはもっと頑張れという根性論がスポーツにはいまだに根強くある。戦略というのはすべてに限界があり、それをどう分配すれば最も効果が高まるかというのを考えるところから生まれる。時間にも限界があり、モチベーションにも限界がある。 今回、女子柔道が五輪前のすべての試合に選手を出していたというのも、この「モチベーションに限界はない」とする考えに基づくのだと思う。五輪が第1目標なら、そのために勝たなくてもいい試合を作ったり、欠場するべき試合もあるはずだ。何でも気持ちで解決しようとするチームで育った選手は「頑張ります、

    日本社会=体育会体質/爲末大学 - スポーツニュース : nikkansports.com
  • RED NOTE 日本の大学は多すぎるのか?

    提言型政策仕分けで「大学改革の方向性」が仕分け対象となりました。僕の専門分野は基礎教育で、高等教育はそれほど明るくないのですが、あまりにも分析が稚拙な点が見られたので少しその点を分析してみようと思います。 僕が気になった議論は、「大学数や入学定員が過剰ではないか?」「定員割れによる学力低下」の2点です。驚くべき事に評議員の10人中10人が大学の数は過剰であるとしていて、誰一人として大学の数は過剰ではないに賛成していません。ちなみに、池田信夫氏のアゴラやChikirinの日記でも大学の数が多すぎるのではないか?という問題提起がなされています。これは正しいのでしょうか?先に僕の考えを書いておくと、日の大学数や入学定員は決して過剰ではない、です。 大学生が多すぎるのではないかという議論は日だけでなく、アメリカでも行われています。今年に入ってからでも、NY TimesでDo we spend

  • RED NOTE 大学生は多すぎるのか?、の教育経済学者の議論の仕方

    前回の日の大学は多すぎるのか?への反響が結構あってビックリしました。日の大学は米国の大学と違ってシグナリング理論に過ぎず人的資を生み出していないのではないか?という意見はその可能性が十分あるのでもう少し勉強しようと思います。 今回は提案型政策仕分けを始めとして日で行われている「大学生は多すぎるのか?」の稚拙な議論のされ方と対比させるべく、アイビーリーグの大学院で教育経済学を教えている先生方がアメリカでの似たような問題に対してどのように議論しているかをご紹介しようと思います。 まずは、US Newsで扱われた「大学に行く価値はあるのか?」というテーマで掲載された、プリンストン大学で教育経済学を教えている先生の議論を要点だけご紹介します。 First, when considering the direct costs, tuition and student debt have no

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