拡大 エンディングノートを書いて「人に支えられているな」と実感でき、より感謝するようになったという田村恵美子さん 明日が来るのは当たり前ではない-。突然、多くの命を奪った東日本大震災の影響で「死」を身近に感じる人が増えたといわれる。その一つの現れだろうか。葬儀の希望や最期の迎え方、自分史をまとめる「エンディングノート」が若い世代にも広がりつつある。実際に「死」を見据えて書き込んだ30代の2人に思いを聞いた。 「人生でうれしかったことは?」というエンディングノートの問いに、頭を悩ませた。しばらく思いを巡らせて浮かんできたのは、6年ほど前に亡くなった祖母の温かい手だった。 北九州市に住む社会福祉士の渡部文華さん(31)は幼いころ、祖母が試験の好成績を喜び、頭をなでてくれたエピソードを書いた。「何げない日常の一コマだけど、いつも応援してくれた祖母らしい思い出なんです」。愛情に包まれた体験として心
写真 もっと医療面あなたのたん、色や粘り気は? 気道の異常知る「鏡」(2019/7/10) ねばねばしてのどに絡みつくたんは、口から肺への空気の通り道「気道」の異常を知らせるサインだ。4月には、世界初となるたんの診療指針ができた…[続きを読む] 唾液腺に石ができる「唾石症」 切除のリスクは?[どうしました](2019/7/10) 食に「罪の意識」オリンピック選手が語る6年間の無月経[ニュース・フォーカス](2019/7/8) ハンセン病家族訴訟、控訴せず 首相、人権侵害を考慮[ニュース・フォーカス](2019/7/9) 調理実習でジャガイモ食べた児童8人が入院 兵庫・宝塚[ニュース・フォーカス](2019/7/10) 夜勤眠れず、「限界の中で……」 人手不足の介護現場[ニュース・フォーカス](2019/7/10) ベッド転落で負傷、事故を隠した特養を松江市が処分[ニュース・フォーカス
自分らしい最期を迎えるために、元気なうちに老い支度を始めたい-。その一歩となるのが、望む介護や延命治療、葬儀のあり方などをまとめる「エンディングノート」。意思を書き残すことは、見送る家族の悲しみを和らげる一助にもなるという。 「葬儀でまず困るのは誰を呼ぶか。呼んでほしい人の連絡先を書いておきましょう」「既に戒名がある人はいませんか。家族が知らずに別の戒名を付けて、後悔した例もありますよ」。講師の話に出席者は大きくうなずいてメモを取った。 福岡市のNPO法人「ふるさと安心サポート九州」が2カ月に1回、市内で開くエンディングノート作りセミナー。3年前にスタートし、高齢者を中心に10人前後が参加する。東日本大震災後は50代も増えた。 事務局長の中橋優さん(38)は「震災で多くの人が自分もいつどうなるか分からないと感じました。今や死を語ることはタブーではありません」と話す。高齢化が進んで老後につい
中日新聞メディカルサイト「つなごう医療」は 2018年3月末をもって終了いたしました。 長らくご愛顧いただき、 ありがとうございました。 今後、中日新聞の医療関係記事は 中日Webの「医療」コーナー(http://www.chunichi.co.jp/article/feature/iryou/) でご覧ください。 中日新聞社
死後の葬儀や家財処分を頼める人がいない…。独居高齢者の不安を和らげようと、福岡市社会福祉協議会が親族に代わって生前の見守りから死後の多様な手続きまでを請け負う「ずーっとあんしん安らか事業」が注目を集めている。無縁社会や人生の最期に向けて準備する「終活」ブームを反映してか、事業の登録者は年々増加。協力企業も広がっている。 「博多座の歌舞伎、どうでした?」「市川中車さんがよかったわ」-。8月の午後、福岡市城南区の団地に住む田川とみ子さん(86)と、市社協職員の城谷史子さん(54)のおしゃべりに花が咲いた。城谷さんは1人暮らしの田川さん宅を3カ月に1回訪問。2時間近く会話しながら、生活ぶりや健康状態に変化がないかを見守る。 独身の田川さんは1年前、安らか事業に登録した。福岡県三潴町(現久留米市)出身で、10人きょうだいの末っ子。きょうだいは全員亡くなった。故郷に親戚は多いが「めいたちに迷惑を掛け
1956年群馬県生まれ。放送記者を経て、1992年にフリージャーナリストに。地方自治体の取材で全国を歩き回る。97年から『週刊ダイヤモンド』記者となり、99年からテレビの報道番組『サンデープロジェクト』の特集担当レポーター。主な著書に『長野オリンピック騒動記』など。 相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記 国政の混乱が極まるなか、事態打開の切り札として期待される「地方分権」。だが、肝心の地方自治の最前線は、ボイコット市長や勘違い知事の暴走、貴族化する議員など、お寒いエピソードのオンパレードだ。これでは地方発日本再生も夢のまた夢。ベテラン・ジャーナリストが警鐘を鳴らす! バックナンバー一覧 福岡空港の混雑で到着が遅れ、焦りながらタクシーに乗り込んだ。約束した時間は午後1時。車内で先方に連絡を入れるべきか迷っていると、いつの間にかタクシーは町の区域内を走っていた。 空港に近いとは聞いていたが、これ
〈確かな歌唱力に定評があり、浮き沈みの激しい芸能界で安定した人気を保ち続ける。コンサートは常に満員。実力派シンガーの原点は、博多で過ごした日々にあるという〉 生まれたのは広島ですが、父親がジャズのサックス奏者で、博多のベースキャンプで仕事をしていたのですぐに移り住みました。父の影響で、14歳から音楽の勉強を始めました。父は私がジャズシンガーになることを望んでいました。それで父のバンドにいたピアノ奏者を先生として歌の練習を始めました。まず発声をきちんと習いましたが、とても厳しい先生で、ただただ一生懸命やるだけ。楽譜が読めずに間違えたりすると大声で怒鳴られました。おかげで音程がきちんと取れるようになり、声も出るようになりました。 父はいろいろなアドバイスをしてくれました。アドリブで歌ったりせず、ドリス・デイやペギー・リーのように、きれいな発音で普通に歌うスタンダードジャズを目指すよう言われまし
冠婚葬祭業の(株)ラック(本社:福岡市博多区、柴山文夫社長)が、新しい家族葬のあり方を提案する斎場、「西日本典礼 都府楼 清浄庵」(福岡県太宰府市)を、4月1日、オープンした。家族葬の斎場としては、福岡市南区にある「平和 清浄庵」に続く2番目の施設だ。 「清浄庵」は、同社が、葬儀とは何のために、そして誰のために行なうものなのか、原点に返って見つめなおした結果、生まれた。コンセプトは「感謝を形にした葬儀式の提案」「1日1組限定の貸切型邸宅タイプ」「送る人、送られる人との時間を共有できる空間」という3つ。 現代の日本における葬儀は、ライフスタイルの多様化にともない様々な形をとるようになった。なかには仮通夜、通夜、葬儀、初七日などの儀式的な要素を取り除き、事務手続き的に行なわれるものもある。思い起こせば、昭和には、ごく当たり前のように亡くなられた方の枕元に集まり、別れを惜しんでいた時代があった。
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2012年12月15日 (土)もう1つの"わが家"で最期を 「余命があと1、2か月となった時、あなたはどこで最期を過ごしたいですか」。みなさんなら、この質問にどう答えますか。去年(平成23年)、市民1000人を対象に行われた意識調査では、81%の人が「自宅で過ごしたい」と答えています。しかし、実際には、去年1年間に日本人が亡くなった場所の統計をみると、自宅で看取(みと)られた人は12%にとどまります。介護できる家族がいないなどの事情から、84%は医療機関か介護施設で亡くなっているのが現状です(このうち76%が医療機関)。 こうした中、今注目され始めているのが、終末期のお年寄りが暮らす「ホームホスピス」と呼ばれる民間のケア付き共同住宅です。NPOなどが空き家を活用して運営し、自宅に近い雰囲気の中で、きめ細かい介護と医療的なケアを提供してい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く