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2016年12月27日のブックマーク (2件)

  • 総じて早熟だった - 凡人の営み

    なにせ精通が小4頭でまだ9歳の時だった。下の毛も小5の頃には生え揃っていた。地頭が良い上に早熟なのだから手に負えない。 中学受験をすることに関しては異存はなかった。話の通じない同級生には退屈していたので、話の通じる人たちが居る世界に行きたかったからだ。 小4から通いだした日能研町田校でも僕は引き続き抜きん出た成績を修めることになる。 毎週末の全国テストでは小4~小5の間は常時全国50位以内で偏差値75以上をキープしており全国トップテンも珍しくなかった。これは日能研町田校だけだとほぼ常時トップを維持できる成績だった。 全国トップテンに入ると表彰状と副賞として鉛筆1ダースをもらえた。表彰者の名前は校舎に貼り出されるのだが、そこには僕の名前ばかり貼り出されていた。家には鉛筆が溢れかえった。 ちなみに全国1位には一度もなれなかった。2位を2回取ったのみである。常時1位争いを繰り広げている化物が二人

    総じて早熟だった - 凡人の営み
    yuya_presto
    yuya_presto 2016/12/27
    http://songmu.hatenablog.com/entry/2012/01/19/023007 の続編。 "ただ、日能研の勉強は楽しかった。学校の授業と違って新しいことを知ることできたからだ。教科書は隅々まで読んだ" 教育は何を与えるべきだったのだろうのか。
  • 僕は神童だった - 凡人の営み

    小さい頃は眼を見張るほどの神童で大きくなると普通の人というのは父の家系は皆そうで、僕自身もその例に漏れていない。逆に母親はそれほど頭が良くなかった。 母親は勉強ができなかったことにコンプレックスがあり、子供の教育に力を入れようとした。コンプレックスと書くと大げさに聞こえるが、子供が学校で困らないようにという、ごく一般的な動機であろうと思う。 その一環で連れられた早期教育の教室の入室知能テストで僕はIQ190を叩き出した。結果の用紙にはIQの棒グラフがプロットしてあったが、波線で途中が省略され、欄からはみ出して書かれていた。その時に「すごく大きな値を示すときはこういうふうに書けば良いのか」と知ったことを覚えている。 その教室には結局行かなかったと思うが、とにかく、小さい頃から好奇心の塊で文字を読むことが好きだった。 中でも、つくば科学万博でもらった子供向けの科学冊子と、小学校入学時に父親の会

    僕は神童だった - 凡人の営み
    yuya_presto
    yuya_presto 2016/12/27
    学校教育はどうにも成績の中間層だけに偏るという話があるが、これは上位者に対する扱いを物語っているっぽい