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2020年8月25日のブックマーク (9件)

  • テレワーク、終了。 - orangeitems’s diary

    もうね、テレワークは終わりです。 というのは自分の話。昨日を持ちまして、緊急避難的な日を除いてはテレワークを終わりにします。 テレワークでも仕事まわる、ということを確認する日々はまだ新鮮だったのですが、日常になってきて思ったこと。仕事環境としては快適でもなく普通でもなく、むしろ不快。こんな日々を続けたら、モチベーションがどんどん下がっていく。 経験としてテレワーク期間があったのはとても有意義でした。閉ざされた環境下で人の心や体調がどのように変化していくか。普通の日々なら絶対に経験できないことを経験できました。いいことばかり吹聴されるけれど、悪いことがいっぱいあります。それなのにいいことばかりを強調する記事がたくさん。 オフィスに通勤し、その中で経験できることの貴重さを思い知りました。通勤すら価値があることがわかりました。車窓の景色、ですれ違う人々の表情すら情報でした。そしてそのために筋肉を

    テレワーク、終了。 - orangeitems’s diary
    yuyol
    yuyol 2020/08/25
  • 「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。

    「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。 それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」 大山えいさく。「日では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。 極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。 普段はフツーの精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。 大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、 重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる “荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。 そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。 #001「自尊心より恋心で選択した、精神科医という道」 そもそも私は精神科医だ。いまは紐育(ニューヨーク)の州立

    「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。
    yuyol
    yuyol 2020/08/25
  • 5日後。3月18日に初配信したベルリンのデジタルクラブ〈United We Stream〉脅威からシーンを守る迅速な動き、当事者の考えと思いは? | HEAPS

    5日後。3月18日に初配信したベルリンのデジタルクラブ〈United We Stream〉脅威からシーンを守る迅速な動き、当事者の考えと思いは? たった5日間。今年3月、パンデミックによってクラブが一斉閉鎖を余儀なくされてから、ベルリンのあるクラブ団体が世界最大の〈デジタルクラブ〉を作るまでに要した時間だ。 クラブカルチャーに支えられてきた街で、常日頃の強固なシーンの連帯ゆえに実現した数日間の裏を当事者に話を聞きながら振り返る。 世界トップレベルのクラブシーンを発信しつづけた、デジタルクラブ コロナウイルスのパンデミックによる打撃を直にらったシーンの一つが、世界のクラブシーンだ。無数の人が1つのフロアに近距離で接するクラブは感染拡大の温床とみなされ、今年3月にはことごとく閉鎖。その状況下ではシーンを守るための動きが次々と起こった。たとえば、エレクトロニックミュージックを扱う音楽メディア「

    5日後。3月18日に初配信したベルリンのデジタルクラブ〈United We Stream〉脅威からシーンを守る迅速な動き、当事者の考えと思いは? | HEAPS
    yuyol
    yuyol 2020/08/25
  • 知られない、あるいは間違って映され続けた中東を"映画のアーカイブ"で伝え直す。わたしたちのMENAが描かれた300本〈ハビビ・コレクティブ〉 | HEAPS

    中東で暮らす、あるいはそこにルーツを持つ人たちの知る“中東の姿”は、「スクリーンに映されていないんです」。 その一方で、間違って映されている中東もある。西洋映画で登場する中東は、発展途上で危険地帯といった固まったイメージをもって流され続けている。「アメリカ同時多発テロ事件以降は特に、です」。 中東の女性監督たちによって撮られてきた低予算ゆえの短いエッセイ映画、実験映画には、いち個人のこと・生活が映され、だからこそそこに確かな手触りをもった中東がある。SFというジャンルでは、むき出しには言えない中東のタブーが込められている。 そうやって確かに息づく中東の姿が、見られていない。ならば、とはじまったのがフィルムアーカイブ・キュレーションの「ハビビ・コレクティブ(HABIBI COLLECTIVE)」だ。インスタグラムをプラットフォームに、新旧問わず厳選した中東・北アフリカ映画を紹介する。オンラ

    知られない、あるいは間違って映され続けた中東を"映画のアーカイブ"で伝え直す。わたしたちのMENAが描かれた300本〈ハビビ・コレクティブ〉 | HEAPS
    yuyol
    yuyol 2020/08/25
  • ドラッグはいらない、現代“ネオヒッピー”。60年代からヒッピーを撮り続けた大御所写真家が語る、新旧ヒッピー論HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。

    大御所写真家、息子に連れられ新世界発見 「そこではみな、喜びに満ち溢れていた。楽しみを分かち合うことに 全力を傾けていたんだ」 世界中を旅する“とてもスピリチュアルな”ネオヒッピーの息子を持つスティーブ。彼に連れられ写真家は、ネオヒッピーの姿をカメラで捉えようと、2012年から14年までの3年間、現代版ヒッピーたちが集うアメリカ各地のフェスティバルを巡礼した。 80歳にさしかかっていた彼が目にしたのは、喜びを踊りで表現しようと一心不乱にダンスするヒッピー。自分で育てた物を他の人に分け合うヒッピー、ヨガで瞑想に耽るヒッピー。写真集のタイトルにもある「Bliss(至福)」をただただ追求する彼ら。 彼が60年代に見た、ロックンロールとドラッグに溺れる退廃的なヒッピーたちとは少し違っていた。 コミューン化するフェスティバル ネオヒッピーたちがひと夏を過ごすのは、俗にtransformationa

    ドラッグはいらない、現代“ネオヒッピー”。60年代からヒッピーを撮り続けた大御所写真家が語る、新旧ヒッピー論HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。
    yuyol
    yuyol 2020/08/25
  • まだあった「日本の大麻村」目撃情報の数々――ライダーやキャンパーを装った愛好者らが大挙 | 日刊SPA!

    「某所に“大麻村”がある」「大麻を栽培しているヒッピー集落が存在する」――こうした都市伝説が語られることはあっても、実際にその実態を知る者は少ない。しかし、日にもまだこうした集落が存在していたのだ。驚きの証言をお届けしよう。 元住人のHさん(37歳)は’12年まで7年間、東海某県にある大麻村に身を置いていたという。 「当時、僕は民族音楽のアーティストで、その繋がりで集落の存在を知り、移り住んだ。大麻が目当てというわけではなく、子供が生まれ、自然豊かな環境で育てたいと思ったから。もともと農家の水車小屋だった古い家屋を家賃1万円ほどで借り、生活を始めました」 Hさんによると、密集して住んでいたわけではなく、半径3kmくらいの範囲に10世帯ほどが居住していたという。「先生」と呼ばれた長老的存在の男性(当時40代)を中心に、週末に集まるようなゆるい付き合いだった。 「当時私は、東京のライブやイベ

    まだあった「日本の大麻村」目撃情報の数々――ライダーやキャンパーを装った愛好者らが大挙 | 日刊SPA!
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    yuyol 2020/08/25
  • ヒッピー発祥の地 ヘイト&アシュベリー サンフランシスコ | アメリカ大自然 ラスベガス出張撮影 ラスベガス写真家 ラスベガス動画 ラスベガスウエディング ラスベガスフォトグラファー ラスベガス挙式

    サンフランシスコはIT産業やワインなどで近年は盛り上がり60年代後半にはヒッピームーブメントの中心地、70年代はゲイカルチャーの中心地として盛り上がっていた時期がある。 ヒッピーとは? 「1960年代の米国で、既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者達の運動の事。 アメリカにおけるベトナム戦争の泥沼化や度重なる公民権運動、女性解放運動といった時代背景の中「フラワーチルドレン」と呼ばれていた。 彼らは安い家賃にひかれてこのエリアへ移り住み「反戦・平和・自由」をスローガンに掲げ、独自の文化を作り上げた。 ヒッピーの語源 定説はないが、音楽とくにジャズやブルースに熱狂して忘我状態に陥ることを黒人の俗語でhip, hepと言い、ここから派生した。 あるいは、長髪やで髭をはやしはずれたも者たちと見なし住民が「ヒップ(尻)のように汚い奴ら」という意味を込め呼び始めた・・・ ヘイト&アシ

    ヒッピー発祥の地 ヘイト&アシュベリー サンフランシスコ | アメリカ大自然 ラスベガス出張撮影 ラスベガス写真家 ラスベガス動画 ラスベガスウエディング ラスベガスフォトグラファー ラスベガス挙式
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    yuyol 2020/08/25
  • カナダの“サマー・オブ・ラヴ”、その聖地はトロントのヨークヴィル

    サマー・オブ・ラヴに関する話のほとんどは、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーに向かうヒッピーの集団のことだった。1967年6月16日から18日まで行われたモンタレー・ポップ・フェスティバルを宣伝したスコット・マッケンジーのヒット曲「San Fransisco (Be sure to Wear Flowers in Your Hair)(邦題:花のサンフランシスコ)を聴いてもそれはわかる。1967年5月にはニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジにヒッピーが溢れ、ロンドンのロングヘアの人たちは、ハイド・パークやロンドン中のクラブに集まりだした。 ではお隣カナダではというと、トロントのヨークヴィルがお決まりの場所になった。どっしりとした古いヴィクトリア調の建物の数々がコーヒー・ショップに改修され(一時期40以上ものショップがあり、毎日ライヴが行われていた)、DIYアート・ギャラリーやブティック

    カナダの“サマー・オブ・ラヴ”、その聖地はトロントのヨークヴィル
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    yuyol 2020/08/25
  • アンダーグラウンドから誕生:ニューヨークのサマー・オブ・ラヴ

    ニューヨーク市では毎年音楽の様々な動きを目の当たりにすることができるが、”サマー・オブ・ラヴ”真っ最中に起こった世界的な変化は興味深い結果をもたらし、地元のジャズ、R&B、そして初期のロックン・ロール界から集まった様々なアーティストたちがその中心となった。 ジャズ界では、ブルーノート・レコードがラストスパートを迎えていた。レーベルの創設者であるアルフレッド・ライオンがその年に定年退職し、それによりレーベルの第一章が幕を閉じようとしていたのだ。ジャズ界全体が新たな時代に突入し、マイルス・デイヴィス・クインテットは二番目のメンバー編成としてピアノにハービー・ハンコック、ベースにロン・カーター、ドラムにトニー・ウィリアムス、そしてテナー・サックスにウェイン・ショーターを迎えた。フュージョンが登場する前にブルーノートは、スタンリー・タレンタイン、ルー・ドナルドソン、そしてマッコイ・タイナーのグルー

    アンダーグラウンドから誕生:ニューヨークのサマー・オブ・ラヴ
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    yuyol 2020/08/25