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歴史に関するze-kiのブックマーク (4)

  • 平安京跡で日本最古級の平仮名入り墨書土器見つかる 9世紀後半に確立か(1/2ページ) - MSN産経west

    平安時代の貴族の邸宅跡(京都市中京区)から出土した9世紀後半(平安時代前期)の土器片約20点に、平仮名が墨書されているのが見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が28日、発表した。10世紀に成立したとされていた平仮名が、9世紀後半に確立していたことを示す史料で、専門家は「今後の日語研究の基準となる希有(けう)な発見」としている。 墨書土器が見つかったのは、右大臣、藤原良相(よしみ)(813~867年)の邸宅跡。同時期の平仮名は、富山県や宮城県などでも断片的に見つかっているが、今回は出土量も多く、平安京跡でまとまって見つかったのは初めて。 仮名は9世紀以降、1音に1字を当てる万葉仮名、万葉仮名の草書体を用いた草仮名、そして平仮名の順に移行するとされる。今回の発見で、10世紀といわれていた平仮名の確立が約50年さかのぼることになる。

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    ze-ki 2012/11/29
  • 明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。◇ 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明ら

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    ze-ki 2012/07/17
  • 『山海経』について

    『山海経』は中国最古の空想的地理書と目されるが、その内容は山川の地理、動植物や鉱物、山岳祭祀、辺遠の国々と異形の民、伝説上の帝王の系譜など多岐にわたる。その中には奇怪な姿の動植物や神々が多く記されるため、後世には専ら怪物事典として娯楽の用に供されるようになり、現在でも「山海経」でサイトを検索すると、怪物マニアの作った興味位なサイトが多数引っ掛かる。しかし「魑魅魍魎の跋扈する世界」はあくまで『山海経』の一部にすぎない。 では誰がいつ、何のためにこの書を作ったのか。私自身はこの書の主要な部分は戦国末期までに成立し、成立場所は従来言われている戦国の楚国だけではなく、斉国の稷下学士も関与していると考えているが、この根的な問題についてさえ、今もって定説はない。ただ諸説が一致するのは、「一人の人が一度に書いたものではない」ということだけである。全十八巻のこの書は五蔵山経(巻一~巻五)・海外四経(巻

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    ze-ki 2011/11/07
  • 世界史講義録

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