山一證券の「消滅」から20年 まだ少し時間がありますが、山一證券が「消滅」した1997年11月24日からちょうど20年となります。そこで今もあまり明らかになっていない山一證券「消滅」の裏側について書いておきます。破綻とか倒産ではなく「消滅」としている理由も出てきます。 日経平均は最近の上昇でバブル崩壊後の高値を更新しましたが、その高値とは1996年6月16日の22666円(終値)だったため、その1年半後には山一證券が「消滅」したことになります。そしてその前段が三洋証券と北海道拓殖銀行の破綻でした。 バブル期に巨大なトレーディングルームを江東区塩浜に建設するなど積極経営を続けていた中堅の三洋証券は、バブルが弾けるとたちまち経営不振に陥っていました。とりわけノンバンク子会社の「三洋ファイナンス」への債務保証が大きくのしかかり、1992年3月期から1997年3月期まで6期連続の赤字決算となってい