かかる万人人文学者ないし万人批評家的な空間に、大抵の者は徒手空拳で臨むことになる。ところが、どこからかいわば「重課金装備」の連中が現れるので、なんであいつらだけあんな武器を持っているんだ、ズルいぞ、やつらを我々と同じ次元に引きずり… https://t.co/QD35FKu2i5
大河ドラマ視聴者のなかには「戦は嫌だ」的な台詞を現代的観点の混入と忌避する者がいて、どうも件の(元)考証者もそこへの介入を期待されていた節がある。しかし、中世の武士も自分の稼業を罪深いと考えて仏教にすがったりしたわけで、彼らに厭戦思考「も」あったのを否定するのは逆に難しいのでは。
「遊郭はセーフティーネット」だの「ナチスの功績」だのは、結局は下記の知ったかぶり文化の産物で、専門家がいくら訂正を試みても「自分は学者じゃないし」と居直られて終わりであろう。むろん、連中をきちんと馬鹿にしておくことで、「嗤われる」… https://t.co/ytQ23TAXL1
実際、日本が永遠に近代社会の要求にはなじまない「おぞましいアジア」でいてくれることは、西洋の白人至上主義者のような連中にとっては二重の意味で願ったりかなったりなのである。一つには面倒な人権規範を相対化できるから、もう一つには同時に… https://t.co/3clD2uC4wm
もし「日本人差別」なるものがあるとすれば、ロボットの美少女に興奮しているヘンタイである、といったステレオタイプにほかなるまい。にもかかわらず、抗議するどころか、嬉々としてそのパターンに合わせようと振舞ってしまう心性が見受けられるわけで、確かにこれは研究し甲斐のあるテーマであろう。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く