大阪市営地下鉄谷町線延伸の工事現場でガス爆発が発生し、79人が死亡、420人が重軽傷を負った「天六ガス爆発事故」から4月で50年を迎える。当時は1970年大阪万博の開幕直後。高度経済成長まっただ中の大惨事は「都市災害」の概念が浸透するきっかけにもなった。刑事責任を問われた元職員に、生死をさまよった被害者や遺族。5年後に再び大阪で万博を迎える今、関係者の言葉に耳を傾け、都市開発のありように目を向けたい。 「日本一長い商店街」として知られる大阪市北区の天神橋筋商店街の北端に位置する通称「天六交差点」。約300メートル東の都島通で70年4月8日午後5時45分ごろ、大爆発は起きた。 この惨事は大都市大阪の過密化を防ぐ再開発途上に起きた未曽有の大災害であったが、今後都市の建設にあたっては安全性の確保に努め、再び惨事を起こすことのないよう祈願と決意を新たにする。 現場近くの国分寺公園には、大阪市や工事
